浅草のそら 東京大空襲の慰霊日

今日は3月10日。

都民であればまず80年近く前になるとは言え東京の空を何百にもの敵機に覆われ、無辜(むこ)の命を一晩にして10万人近く奪った大空襲を忘れることはできない。
人々(とくに女子供達は)いかばかり恐ろしかっただろうか。

町内が全滅した話も聞いた。焼夷弾の熱波から逃げる余り小学校などのプールに飛び込んで折り重なるように亡くなった人々のことも、言問橋の橋上で浅草区、墨田区両側の炎に動きが取れないまま亡くなった数千人の住民の話も繰り返し聞いた。今は桜の名所になる公園も数え切れない人々の仮埋葬場と空襲後に駆り出されて遺体処理をさせられた話も何度聞いてきただろうか。疎開から帰ってくると家も親もいなくなって路頭に迷ってしまったなど。。。

身の回りから大正生まれがいなくなり、昭和一桁も数えるほどになり直接体験してきた先輩たちがいなくなってくると、文言だけの伝書となってきた。そこにいかに等身大の人の情が込められ正しく伝わるかがこれからの大事な部分なのだろうと思えてやまない。

写真は我が町会に当たる吾妻橋西詰。

吾妻橋からアサヒビール(朝日麦酒)が望まれる。