浅草のそら

何人の方を見送ってきただろう。同じ位置で。何十年も前から。よちよち歩きの幼児が学生となり成人となり嫁さんを見せてくれに来て子供が生まれましたと報告に来てくれ、ん?子供の顔見てないなぁ。
まぁ後ろ姿をずっと見送ってきたのって、TONにとっての財産なんだよね。

お金はそこそこ苦しまない程度にあればいい。あの世には持って行けやしないんだから。
出来るならアンパンマンのお父さん(ジャムおじさん)のような生き方が出来たらベストだ。
アンパンマンのような子供や孫が生まれ育ったら最高なんだけどな。

浅草のそら

内陸の陽だまりではもう桜の開花も全然おかしくない風景だろう。

けどここ(墨田公園)は風の通り道になるためか毎年他より遅くに花をつける🌼🌸

雅(みやび)と言う桜。

天皇陛下のご婚礼に因んだ品種らしい。

桃色が強くて華やかだ。花びらが散り出すとソメイヨシノが一気に開花するだろう。

浅草のそら 3.11なのだ

2011.3.11の浅草のそらはこんなだった。
常盤堂の風流な姿を隠す野暮なオブジェはないし、どことなく広々して見える。青空。
観光客の姿も今と変わらぬ賑わい。

地震後津波が遡上してきた。まだ吾妻橋まで隅田川テラスはできてなかったんだね。
まだこんなだもんね。

浅草のそら 東京大空襲の慰霊日

今日は3月10日。

都民であればまず80年近く前になるとは言え東京の空を何百にもの敵機に覆われ、無辜(むこ)の命を一晩にして10万人近く奪った大空襲を忘れることはできない。
人々(とくに女子供達は)いかばかり恐ろしかっただろうか。

町内が全滅した話も聞いた。焼夷弾の熱波から逃げる余り小学校などのプールに飛び込んで折り重なるように亡くなった人々のことも、言問橋の橋上で浅草区、墨田区両側の炎に動きが取れないまま亡くなった数千人の住民の話も繰り返し聞いた。今は桜の名所になる公園も数え切れない人々の仮埋葬場と空襲後に駆り出されて遺体処理をさせられた話も何度聞いてきただろうか。疎開から帰ってくると家も親もいなくなって路頭に迷ってしまったなど。。。

身の回りから大正生まれがいなくなり、昭和一桁も数えるほどになり直接体験してきた先輩たちがいなくなってくると、文言だけの伝書となってきた。そこにいかに等身大の人の情が込められ正しく伝わるかがこれからの大事な部分なのだろうと思えてやまない。

写真は我が町会に当たる吾妻橋西詰。

吾妻橋からアサヒビール(朝日麦酒)が望まれる。

もうこんなに咲いてるの!

はい。

残念でした。

去年の画像でした。

そう考えると、去年は暖かかったんだね。。。

はい残念でした。

ソメイヨシノの多い墨田公園ですがこの桜は少数派の大寒桜でした。
ピンクが濃いのが特徴です。

大寒桜が葉桜になるころソメイヨシノが開花します。