昨日、四万六千日にあたり混み会う店内で、はたと考え込んでしまった。
というのも初盆なので盆棚を飾りたいからと白提灯やらまこもやらお買い求めいただいたお客様に、みそはぎは?蓮の葉は?どこで手に入れるのと聞かれたからだ。
昔なら花屋の店頭に並んだし、並ばずとも田んぼに行けば邯鄲に手に入ったのだから。
まあ今でも地方に行けばまだまだ必需品として容易に手に入るものなれど、東京ではどうすればよいだろう。まさか不忍池に行って蓮の葉を刈り取って、田んぼに行ってミソハギを取ってこられたら?とは言えないし。
もっと言えば盆棚の四隅を囲うわら縄を張るための笹竹すら、あれ?なのである。
造花で間に合わせようと思えば合羽橋に行けば手に入る。
でもね・・・、口が開かなかった。
お迎え用の手持ち提灯に自家の墓所からお迎えすることすら難しい環境。
お墓まで車で何時間なんてまだ生易しい。新幹線でカンテラに火を移して持ち帰ったという話もあるくらい、墓所と自宅が乖離している現代。その相田を生めるものはなんだろうか。
しかしこう考えてみると、農業が身近にあった日本ならではの習慣だなあと思わされる。
それでも路地やマンションの玄関先で、ほうろくで迎え火をたく煙を見ると、なんともいえない暖かさを感じざるを得ないのだ。
ともあれ「ミソハギ」である。
みそはぎを漢字で書くと「禊萩」と書く。
「みそぎはぎ」から「みそはぎ」の名が生まれたとも言われるが
ミソハギにふくませた水でお供えの「水の子」に降りかけ清める。
みそはぎの花言葉が「慈悲」「慈哀」というのも盆花にふさわしい花と言う感じである。