早くも東京近辺はお盆が終ってしまった。
月遅れのお盆で動いているところから見るとなんとも変な感触を受けるようだ。
かくいう僕とて同じ思いなのだ。
明治8年の太陽暦導入は日本文化に多大なる影響を与えた。
明治政府のお膝元である東京はその意向を強く受けながらも新暦に従った。
山梨県はそれより早く条例化して新暦で盆を行なうようになった。
首都圏は7月盆が多いが、都市部を離れればまだまだ農業を主体としていた当時は、その意に反して旧暦や月遅れの形がそのまま残った。
日本の文化行事は旧暦を中心に行なわれていた。
永く続くにはそれなりの根拠があったのだと思う。
自然体として人の情の発露でなければ、いづれ淘汰たされていただろう。
が千年を越えて面々と引き継いで継続してきたということは何らかの自然現象と情的なものとが合致していたからこそなのだと思う。
頭の中だけでこねくり回してこうだと規律されたものでは、よくて形ばかりのみが残っていくことになる。
精神性を伴わないものは、形骸化し、いづれ朽ちてしまうのではないのかな。
ちょっと心配だ。
一昨年も同じようなことを書いていた・・・
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とにかくもう送り火だ。