月初めは靖国神社の昇殿参拝。
そのあとは必ず遊就館によるを日課としている。
世話人をしてくださっていた師にはお会いできなくなってしまったけれど。
いれば、ただになるからもって行きなさいとご自分の会員証を貸してくれたろう。
でもぼくは終身会員だから実際はフリーで入れるのだ。けど、いつも気にかけてくれた。そんな人がいないというのはどこなく物足りなくなるものだ。
いつものようにエレベーター奥の兵士の像に挨拶をして、展示室に入るが目的は特攻のコーナーにおられる新海中尉に挨拶をするためゆえ、ほとんどのコーナーは足早に過ぎる。
途中ふと足が止まる。
日清戦争に至った経緯がやたらと気になってつい腰を落ち着けてしまった。
NHKが坂の上の雲を放送していたせいなのか、日露戦争のコーナーにはやたらと若者が多く目に付く。
日清日露の戦役もよくよく研究しないと大東亜戦争、太平洋戦争の意味あいも導き出されない。
泰緬鉄道はご存知の方も多いと思うが、タイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ補給路の為に日本軍が昭和18年に敷設した鉄道である。
機関車はC62型の蒸気機関車が使われた。
泰緬鉄道が開通した時のその当事者(車)が靖国神社の遊就館に保管されている。
タイ国鉄で使われていたものを関係者の浄財で日本に帰国した。
戦後も使われていただけに今でも釜に火を入れれば走りだしそうなほど手入れは行き届いている。
帰り際、C型らしい大動輪が目に飛び込んで釘付けになってしまった。
昭和11年生れの躯体は戦前、戦中、戦後の動乱期を越えてきた。
どんな歴史を見てきたのだろうか。
桜はまだまだでした。