僕が土木技術者の卵のころ、何度も壁にぶち当たっては激論になっていたことがあった。
どんな激論かと言えば、例えば川なら川の護岸を設計するとき、どの程度の川の断面にし、どれくらいの河床勾配に持っていけば、河水は安全に流れるか、そのために川の流域面積を計算し、都市部や山間部で変化する流出係数を決め、最終的に断面を決定していく。
そのときには過去の災害を紐解いて考慮していくわけだが、その段階で、災害規模を30年に一度なのか50年に一度なのか、100年に一度なのか考えて安全率を出していく。
その安全率のとりかたが新米技術者には、最大公約数的な取り方ができないのだ。
ついぞ「安全なほうが良いに決まっている」
そう独り決めして、基礎設計をしてしまう。
すると、先輩から「なにやってるんだ!」となる。
「何故ですかとなる」
まったく言うことを聞かないから、それを聞いていた上司からダメだしがくる。
「西ちゃんそうはいかないでしょ」「何円かかるの?」
若気の至りで、勝てないと薄々思っても、はむかう。
「人の命とお金とどちらが大事なんですか」
とやるから埒が明かなくなる。
今思うと、技術屋は最高のものを造りたいんだよね。
先輩も上司たちも。
最期は、「今は暫定値でも全体を完成させるのが優先なのだ」
で、議論は納得いかないまま終息させられる。
でも暫定値は、いつか納得値になっていくのがおちなのだ。
技術屋は、いつも理想論と経済効率論とのギャップに鬩ぎあう。
「想定外」と言う言葉を聞くと、いつも当時の激論が思い出される。
「想定外」なんて実はない。
予想はしていたけど、できませんでしたと言うべきなのだと。
だから設計強度をしっかりと表に出して、それを越える天災が起きた場合の対策をしっかりマニュアル化し、日頃から浸透させておかなければならないのだ。
それを怠っていたのだと。
少なくとも。技術屋なら。