近くの空き地で昨日からドッコンドッコンと地響きを轟かせながらボーリング調査をしている。小さな機械で作業している割にはけたたましい音と振動を発する。
他の人にはあまり気にならないようだが、砂上の楼閣ではないが、念珠堂のあるこの土地はえらく響く。
興味津々で、囲いもせぬままオープンで作業している作業員をずっと観察していた。
自分も40年前にはあんなことをやっていたこともあったんだな。。。そのうち足元にボーリンして上がったコアが置かれているのに気がついた。近寄って作業の邪魔にならない程度に話しを切りだした。
何かいいものでますか?
きょとんとした顔をしながら、「いや貝ばっかり出るよ」
ここらだと30mは掘らないと岩が出ないでしょう?
「いや40mだね」
見てもいいぃ?
人の良い親方は仕事を理解してくれていると思ってか、快く見せてくれた。
17mとマジック書きされたビニール袋の中に押し出されてひしゃげた土くれが入っていた。どれも暗灰色の砂礫泥岩で十分水を含んでいる。隅田川が近いとは言え地下水となって砂礫層を通してここまで浸透しているのだろう。細かい貝殻の化石が含まれているのも見られた。
奥州征伐に出陣した源頼朝の軍勢は目の前の江戸通りを北上し今の白鬚橋上流の河岸から船で千葉に渡った。つまり目の前は決して狭い川ではなかったということ、川というより干潟のほうがぴったりくる。軍勢を運ぶのだから吃水が取れるほどの水深があったのだろう。まさに航路である。
観音様が隅田川より揚がったのはそれよりさらに500年遡るのだからここは海岸ペリであったと想像するのが順当だ。歩きやすい海岸端が締固められ徐々に往還となっていったのだろう。道で縁切りされたとは言えもとは海岸もしかしたら。。。もしかすると。。。40m下の層には塩基反応があるのだろうか。おもしろそう。
また邪魔しに行ってみようかな。