はるばると

和光市からお客様をお向かえした。
ネットを見てくださって、ご夫婦でご来店くださった。
ネットの購入には慣れた方のようだった。
若いご夫婦なのに、すごくしっかりした供養心、姿勢をもたれていて
驚いた。

そんな方に
「作ってくれる人を見たかったの」とおっしゃっていただいた。
「書き込みは、全部読ませていただきました」

んん~。恥ずかしい…
駄文ばかりが目立つのに、「申し訳ないです」正直な気持ち。

それでも何か感じ取ってくださったと思うと、嬉しい。
小一時間お話しをさせていただいて、ヒントをひとつ置いていってくださった。
うちの扱い商材は、ネットで販売してよいものだろうかと実は考え始めていたのだ。
多くのショップが、雨後のたけのこのように(屋号まで似たところも出てきた)、現れてきた。それはそれで喜ぶべきことなのだと思う。
けれど、商材に対して、商売の方法に対して、etcと、いろいろな声が聞こえてくる。
自分なりにも少なからず考えさせられたりもしている。

子供のとき、通販でコインを時々買っていた。
夢を描き、比較し、なけなしのお小遣いをはたいて。
しかしそのたびに、通販会社の姿勢や、送られてきた商品に夢をみごとにかき消されてきた。
それは、通販をさせてもらう側となったとき、自分の反面教師となった。

ましてや僕の扱い商材は、お守りとして持っていただくもの。
いつも、どう表現したら、この祈りの道具をお伝えできるだろうか…
必要以上に考えている。

お金を仲介にするということは、形の上では商行為なのだ。

仕事を始めた頃(だいぶ昔の話だが)は、これがいつもネックだった。
職人のままでいたい。幸せだけ願うことが出来ないのか…
けれど、お金の話を出すと、急に自分の心がさめてしまっていた。
だから、いつも揺れていた。

「目標は持つけど、結果は考えない」ことにした。

そこから、商いとしての取り組みが変化したように思う。

20年も前の話だ。

ここしばらく、ホームページの更新速度が鈍っている。
以前は、トップページは毎日どこかしらいじっていたし
買い物ページもどんどん商品をアップしていた。
現実、浅草のリアルの店舗では、新入荷の商品が、
本当は、目白押しなのだが、ネットには反映されていない。

ブログやSNS(mixi)への集中度は、生半可ではない。
家族はあきれ返っているし、
ネットショップの友人からは、心配されてしまっている。
ブログは、同時に複数書いている。
しかも毎日。

商売人が商売をほおっておいているように映るのだろうと思う。
しかし、
羅針盤が狂っているわけではない。
自分なりに考えあってのこと。

ただ、うまく言えないのだ。
途中結果では、何もこたえられない。
いつもそうなのだ。
直感でこれ!と思うと即、動いてしまう。
動くと継続する。
石橋はさんざん叩きもするけれど、
直感で動くほうがはずさない。そして、

すぐにはやめないから困るときもある。
けれど、はずしたことは、今までひとつも無い。

さてさて、いつ、どういう結果になるのだろう。

春はスローライフ?

ちょっと上野まで足をのばしても、
桜の勢いについ立ち止まることが多くて
なかなか、目的地に着かない。

帰りは帰りで、なかなか店にたどり着けない。

こんな色合いにも心奪われて。

あっという間に…

咲きました!

朝は、まだ五分咲きだったはずなのに、
お日様の日に照らされて

あ!!   

というまに、咲きました。

なかなか眩しい。

こんな共演もあり。

切れない

いつも出す梱包荷物。

箱の大きさによって、テープの切る位置がちがう。
模様のないガムテープなら角でピッと切るんだけど…

切れないよ。

これじゃ。

他愛ないことなのだけれど。

意外とこだわるBoo店長です。

桜咲く

用事で合羽橋に足を伸ばすと
お~~!

咲いている。
なんで、墨田公園はまだなのに?

目と鼻の先の違いなのに、
ここは、ずいぶん内陸気候なのかな。

もうそろそろ・・・考えようよ

能登地震、 時間が経てば経つほど、被害のひどさが伝わってくる。
地震すごさを視覚で見せるときのとき、決まって映すのが、墓石や寺院の山門。
墓石の画は、お決まりになっているのか、連想しやすいのか・・・
それほど、地震にもろいと報道側も見る側も予測(納得)しやすいということだろうか。

地震が起きるたび、「石塔や灯籠の下敷きになって…」
という、圧死の記事が目に入る。
以前に千葉のお寺で住職婦人が、犠牲になられたことがあった。

ちょうど僕の設計で、巨大なカロートをもつ墓所工事をいていた頃のこと
自分のことのように衝撃を受けた記憶がある。
墓と燈篭の違いはあるにせよ、石材を積み重ねていると言うことでは一緒であるのだから。

今回の地震でもお亡くなりになった1名の方は、倒れた石灯籠による圧死である。
心から冥福をお祈り申し上げたい。

でも、この種の事故は、毎回起きる。

毎回だよ。なぜ? 憤りを感じる。
全くと言ってよいくらい、教訓が次に生きていない。

轍を思いっきり踏み続けている。

何トンもある石を、ただ重ねただけの構造だもの。
簡単に倒れる。あたりまえだよ。

地震があれば崩れるのはわかるはず。

そろそろ、地震列島の上に住んでいることを意識してもいいんじゃあないの。

地震のときは、「モニュメントや灯籠には近づくな」です。