昨日から太陽頼みだった春の雰囲気が、お日様が隠れてもなお気温が温む夜桜にちょうど良くなりましたね。

ようやく咲きました。

けど・・・こんなのも・・・

昨日から太陽頼みだった春の雰囲気が、お日様が隠れてもなお気温が温む夜桜にちょうど良くなりましたね。



ねっこ好きのTONは地上に見える壮大さより地下の部分に魅かれる。
10mを超える大きな街路樹でも1m角程度の窓が地面に開いていることが多い。この窓からどれだけ外界とつながっているのだろうかといつも思いながら通り過ぎる。
朝ジョグのコースにしている墨田川の両岸の桜も公園という名目のために樹木の際まで舗装が施されて人の通行に利している。さすが5mを超えるほどに成長してくるともう堪らず根っこが舗装部分を押し上げて生命の強さを示し出す。
大木には大木なりの言い訳があるはずだ。しかし人は構わず木の言い分を聞こうともせず大切な根っこの上を歩き固めていく。く、苦しい・・・・

実にアートだなと惚れ惚れし、足を留める。
気には気の理由(わけ)がある。直ぐな気持ちになって聞いてみたいよね。


桜の季節も今週末か来週あたままでくらいかな。ケヤキの新芽もそろそろで出している。見納めの桜を愛でる朝を大事にしたいなぁ。。。

仏壇業界では4月初旬は業者展示会が目白押しとなる。業界のことにあまり興味を持たないTONなのだが、最近の活況さやメーカーの情報などを狙って、足早にグルッと回ってくるのが毎年の仕事だ。たまたまある会場で長くお付き合いしている業者さんとばったり出会い、つい立ち話しからたまたま今回持ってきていた商品に目がいった。
相手は専門外の商品だが親友のお坊さんが作られたのだとか。しかも細部のディティールを出すために手作業が必要。その手作業が地元の独立支援の為の福祉作業所の助けをいただいて世に出したのだとか。
ディスプレー替わりにおいていたようだったのだが、TONは初めから目が釘付け。おもむろに話しをその商品に持って行くことでゲットしたというわけだ。。
五劫思惟阿弥陀のなんと香炉だ。
五劫思惟阿弥陀 を権威ある新聞紙上に仏様のアフロヘアーと表現されたことで寺側からクレームが入ったという。素人の第一印象なら笑って済ませれば良いことだけど、権威者にはそう甘い顔をしてはいられなかったということか。それはそれで笑い話のような気もするが。

東大寺の説明を読ませてもらうと 五劫思惟阿弥陀如来は、阿弥陀如来の異形のひとつで、経説によると四十八の大願を成就するために永い間、剃髪をすることもなく坐禅・思惟していたので、このような髪形になったという。劫とは永い時間を示す単位で、方四十里もある大磐石を百年に一度ずつ白氈で払って、その石がすりきれてなくなっても終わらない時間だといい、要するに永遠・無限をさすものと解してよいであろう。
とある。
奈良十輪院、京都大蓮寺、和歌山道成寺、京都西向寺、東京淨真寺、 会津藩に縁の深い金戒光明寺(通称くろ谷さま)などでお目にかかれるようでまた一つ宿題ができたかな。

強烈な寒の戻りで、川沿いの桜たちは重い花びらをつけたまま、また週末を迎えるのかな。
ウィークディというのに桜の下の広いスペースにブルーシートを敷き待ち人を迎える準備をしている者も一人やふたりではなかった。
写真は勝海舟(勝安房)の像のある墨田区役所下の公園。
目と鼻の先の水戸藩下屋敷跡の公園の桜も土手管理道路脇に植えられた桜たちも、すねかじりの子供にヒーヒーしている親よろしく、こぼれ落ちない花びらがぶら下がったままで、重たそうに枝を垂れている構図は毎年のことだが、今年は時間が長いかな。栄養をいっぱい取ってくれよ。ねえ。





https://www.youtube.com/watch?v=TcwG4vjEbqI
彼が藝大時代にご縁があって、日本に帰っている時には店に寄ってくれる。
TONもどうしているかな…と思うときに限って、どういう訳だか顔を見せてくれる。
話をしていても夢の実現に、その真剣さに、心が打たれる。
彼はジャグリングは禅なのだという。芸の中に仏教を見出すという。
ジャグリングが1000年続く日本のパフォーマンスだということも教えられた。
驚いた。



新元号が令和(Reiwa)と決まったそうである。
まだ1ヶ月後のことではあるけれど、世の中がすっかり変わったような気にもなる。
日本人だなぁとつくづく感じるTONだ。
ちなみにreiwaという語はチベット語で「希望」を意味するのだとか・・・。
希望だなぁ・・・・

久しぶりに作ってみました。
トルコの勾玉はトルコブルーと白のコンビ。ヘマタイトには黒と銀糸のコンビ。
ちょっと渋め(^0_0^)
