ワイヤーとて
安心してはいけないと言うこと。
味わいのある・・・
ずいぶん昔のハリの親玉だ。
ハリ・・・つまり玻璃・・・もともとは天然ガラスを指した言葉。
そのハリの親玉、ここにきて全く手に入らなくなった。
こう見えても、一つ一つ吹いて作る手工品。
何処にもある後継者の問題で、ついに終了してしまった。
ハリ仕立てなんて安い念珠の代名詞のように使われて久しいが、これが案外見逃されてきたことなのだ。
いまさらながらだが、じっくり観察していると、一つ一つ実に興味深いことがわかる。
とくにこんな古いハリになると穴の形状も躯体本体のガラスが流れているさま(流紋)も面白い。
「水晶仕立てにしようか?」と相談された時、今はランクを考えなければ,水晶なんていくらでも作れる時代。
この趣きさを惜しむ気持ちが先立って、そのままのパーツを用いてお使いになることをお勧めした。
案外見落としている美はこうしてあちこちにあるのかもしれないと改めて思わされた。
浅草のそら
浅草のそら
スカイツリー今
影ぼうし
昔から影って好きだったんですよね。
影踏みに興じていた頃の夕暮れに変化していく茜の空はなんとも言えずよかった。
影はどんどん大きくなっていき、のろまな弟をあざ笑う狡猾な姉の影も難なく踏めるようになる。
自転車で旅をしているころ、山道の夕刻と言うのは、迷ったり、道が荒れていたりで予定通り宿に着かないと、昼間は快適な林間コースであっても、かなり心細くあせるものなのだ。そんな時でも、数メートルにも伸びきった相棒の自転車の影を見ると、頼もしく思いながら追いかけて行ける。なかなかおつなものだった。
都会の雑踏も人人人で息が詰まりそうな空間であるのに、ふと目を落としてみると、朝の活力に満ちた影法師が、夕刻の赤い日に伸びた影法師が、時と場所を忘れさせてくれる。
どこに想いのチャンネルが潜んでいるかわからないものだ。
全てお日様のなせるわざ。
やっぱりお日様は偉いわ。
浅草のそら

