夏の定番

夏になるとこの画像がルーチンだ。 
昭和のおおらかな時代の好きものの遊びの一コマだ。
富士山頂上から百メートルほど走った所あたりかな。
このあとものの見事に空転をかまして背中から着地しているが友は撮り逃した。

最近、富士山のブル道がテレビに映っていた。
各山荘に荷をあげるために毎日往復している話や傷病者をふもとに下ろすために頑張っている話し。並行して最近の富士登山の状況も映し出され無謀な外人で関係者の頭を痛ませている現状も少し飲みこめた。

弾丸登山はダメと言うのが最近の常識のようだ。が昭和の僕らの時代は、仕事が終わったその足で5合目に向かい日にちが変わった頃に登山開始とにかく多かったのを覚えている。若者にはそれがトレンディーだったのだろう、人ごみの中を歩くようだった。自転車を頃がしているのは奇異の目にさらされるのを覚悟の上だったがどこ吹く風だった。

弾丸登山も疲れたら斜面で大の字に寝転で休むなんてまゆをしかめられる行為になったんだと。
まして自転車を担ぎあげ、頂上から自転車ごと転がり遊ぶなんて。。。さ。

仏様に魅入られるということ

仕事がらと言うことではないと思うのだけれど。。。

TONは、ずーーっと以前からこの仕事につくずっと前から世の中では一般に霊能者と言う名前でくくられる方々とのご縁がすこぶる多い。
今になって考えればあの人もそうだった、この人もそうだった、と言えるのだが。自分の母親もその一人だったかもしれない。
勘が鋭すぎるから、しょちゅういろいろもらってきて疲れてばかりいた。
人との縁が極端で、良い人はめちゃくちゃよく、悪い人はめちゃくちゃ悪い。
その余波はTONを含めた家族にもおのずと行きわたった。

四柱推命をしてもらうと宗教の星が3つも4つも出てくるTON。出家させるのがよかろうなさもなくば苦労する。などと言われてきたが、案に反して宗教なんて大嫌い!と思いながら育った。そのために技術屋を選んで数字で判断する世界に身を置いた。それなのにそれなのに、どういう訳かいつのまに仏壇屋を始める矛盾さ。

20歳のころに弘法大師にぞっこんになった。寝ても覚めても弘法大師。いても経ってもいられず真冬の高野山奥の院に逢いに行った。ちぎれるような寒さにとんぼ返りした。
天中から舞い降りる歌、讃禱歌との出会いから、その創始者に「修行しなさい」と新宿のお寺(当時は教会)の尼さまから勧められた。
グズグズしているうちに天台の僧と仲良くなった。供養のためにしょっちゅう行動を共にした。身体さえ病に蝕まれていなければ座主に押される方がその師匠だった。共に坂本にある塔頭にあいさつに行くとそのまま山にいなさいと言われた。ありがたかったが小さい子供がいた時代。丁寧にお断りした。
そんなこんなで今がある。
自分の心には素直でいたいと思う。でもやりたいと思えばどんな労苦でもいとわないとも思う。

「龍が喜んでいますね」

昨日、仲の良いお客様のK氏が、お連れして下さった書家の小櫃(おびつ)さんの開口一番の言葉。
店の入り口の壁がなぜか空虚に感じた。K氏にここに掛けられる書はないでしょうかと尋ねるとほどなく両手で抱えられるのと思う大きさの荷物を持ちながら再び来店された。
「龍」と揮毫されていた。
いつもはこのサイズは書かないと言う。
でも壁のサイズを測ったようにピタリとはまった。

小櫃というお名前も珍しいが、お話しさせていただく中に、一言一句、弘法大師に魅入られていらっしゃることがよくよく感じられた。話していて楽しい。
描かれる書の中にその魂は封じ込められているんだな。TONの胸に沸いたことばだ。
説明ではない。感じるままに。なのだ。