浅草のそら
浅草のそら
今日は、成道会。
お釈迦様が悟りを得た日であり、仏教徒にはとても大事な日です。
キリスト教徒が人口の数パーセントの日本なのに、クリスマスがすっかり定着している。よくよくかんあえて見るとおかしな話だ。
ぼーと生きてるんじゃね~よ。。。と言いたくなりはしないが、子供時代はプレゼントをおねだりしたり、年に二度だけのケーキ屋ご馳走を食べたりとその恩恵に存分にあづかっていたのだから突っ込めるわけがないではないか。
ただ・・・キリスト様のお誕生日は盛大に祝って、仏教に深い恩恵を頂いてる仏陀には余りにも冷たくはないかの~という素朴な疑問からの思いなだけだ。ま、イエス様が洗礼者ヨハネに洗礼を受けた日を祝ってもらっているかといえばそんなことないのだから・・・痛み分けということだろうかな。
浅草のそら
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浅草のそら
満月
姉弟ってどこかでつながっているものなのかな。
一昨日は父親が他界して丸60年。
回忌法要に60回忌というのがあるのであれば一巡と回忌とでもいうのか、生きてれば還暦を祝うようなそんな記念の一日になるのだろう。
昨日の早朝、走りに行かなくちゃとまどろんでいる時にそうだ!今日は父親の60回忌だと、自分なりに新設した回忌であることに気がついた。
父親の亡くなった年齢を意識して始めた朝ジョグ。
52歳で逝ってしまった親父の歳は越さないとと思いたって10年を越え、今の今まで続けているのだが、そんな気持ちが昨日は一日中胸の中に消えずに灯し続けていた。
そんな夕刻、海老名に住む二つ上の姉からメールが入った。
「昨日で60年だね」「小金井に行ってきたあの時と同じような満月が綺麗だった」
小金井というのは父の実家で、父が死んだとき我が家では墓を建てる経済的余力はなく十数年間居候させてもらっていた。
父が亡くなるとき姉は5歳。
死ぬような手術ではないのに術中に突然亡くなった。
姉だけが父が死んだ夜中に起こされ眠い目をこすりながら、病院まで満月に見つめられながら歩いて行った。
「パパが死んだ」潰れるような心を満月がずっと寄り添って自分を慰めてくれたんだ。ほんとに感じたんだよ。昔、姉が話してくれたっけ。
思い出した。
知らずうちに僕も昨夜の満月には何故か心が惹かれた。月は直接見てもいないのに・・・。
姉からのメールを受け取って、そういうことだったのかと腑に落ちた。