初雪

何の花だっけ。

いまだに植物の名前が覚えられない…
好きなんだけどねえ…

ぼやく。

そんなぼやきにめげることもなく
通りは、花で埋め尽くされる。

どうでもよいが、今日、雪が降った。

3月10日に想うこと

3月になると決まって戦争の、というか、
空襲のことが頭から離れなくなる。

横浜市民でいたときは、
さほど気にも留めない話題であったのだが、

東京に、引越した初日に東京慰霊堂に出くわすほど、
過去、帝都と呼ばれていた、東京と言う町には、
爪あとが、ここそこに残っていた(る)。

横浜は、子供の頃、空襲で焼け落ちた焼け焦げたビルが、
馬車道から本町にかけて、かなりの数残っていた。

幼い頃の記憶だったからか、浜っ子には、
戦中の文化史財という意識が薄いためか、
かまわず真新しい町に生まれ変わってしまったために、
目に触れて残るものは、数少なくなったように感じる。

一方、東京においては、成人してからの記憶であり、
そしてまた、商売柄ということも一役買っているのかも知れない。

「慰霊堂」つまり「陸軍被服廠(ひふくしょう)跡」は、
当時とにかく、恐ろしかった。

訪れたのが、夕刻と言うこともあったが、
何ともいえない雰囲気を漂わせていた。

鈍感な僕でも、これくらに霊気は感じる。
そんな状況だった。

政教分離とかいうことで、東京都が直接手を出せない。
ゆえに、外郭団体をつくり、公園管理を依頼していた。
国の政策で亡くなっていった多くの命に対して、
なんともはがゆい「管理」をしていたのだ。

地元有志、仏教会が供養を続けていたが、
誰よりも一人の心ある方の頑張りによって、
供養が支えられていたことをある縁を通じて知った。

もう四半世紀が経ってしまった。

信じられないほど整備され、
何十万柱の無縁仏が眠っているなんて、
これっぽっちも感じない、
明るい公園内にわずかながらホッとするのだ。

4月15は横浜空襲。
http://www.history.independence.co.jp/ww2/index.html

海は広いな・・・

忙しい時間を割きに割いて、国際展示場までアシを伸ばす。
「japan shop」最終日に何とか滑り込んだ。
本当に久しぶりだった。

でもどうーーしても、

確認しておかないとならないことがあり、
出かけたが、

行くと連鎖反応的に次から次に
課題が生まれてくる。

問題解決に行ったのか、
課題をもらいに行ったのか、わからなくなった。

昼飯はまず取らない。
一緒に出かけたものならわかるけれど
よほど忍耐強いか、
好みが全くもって同じかでもない限り

へとへとに疲れ果て、文句の固まりになって帰るのが落ち
というような、廻り方をする。

要するに貧乏性なのかもしれない。
しかし、向学心に燃えているんだ、と言って欲しいと
本人は希望している。

まあとにかく、本日も独楽鼠のように、
くるくる廻った廻った。
目も回った。

そんなときブースのはずれからみえる東京湾は
生きた海とは思えない鉛色であっても、

ホッとする景色なのだ。

散華

今日は、遅くなっちゃった。

と少しばかりあきらめながらも

月初めの参拝に、九段下に走る。

出迎えは、いつも大鳥居と狛犬。

ふっと、見ると、何度みたかわからない狛犬の顔が

やけに新鮮に見えた。

少しばかり、こっけいな顔の表情に

つい立ち尽くしてしまう羽目になった。

昇殿参拝を終えてさっと帰るはずが、

どうも遊就館は、抜くことができない。

若い頃は、同じ若者としての立場で、

命(みこと)の遺志を、自分と比較して読んだ。

今は、

19、20という子供たちが、国と家族を想って散華した心を

親の目で読むようになった。

そうなると、遺書は、また違った輝きを発して

見えるようになった。

ふと見上げると

恐いくらいだ…。

上を見上げると、どんな都会にいても
自然を感じることができる。

自然を感じると言うことは、
生かされていると言うことを確認できること。

何千mも空気の層がのっかっているんだ。僕の頭に。

おばけ煙突

ぼくと同世代(昭和30年代)以上の方なら
まず覚えていらっしゃるだろう。

横浜に住んでいた子供のころ
おばけ煙突の話題はよく出た。

「おばけとは一体なんだろう?」と
子供心にその正体は奇々怪々であった。
おばけのように、消えたり現れたりとするものなのか、
誰かを化かすものなのか・・・狸じゃああるまいし

テレビだか映画の合間の日本ニュースだかで
はじめて、その威容に触れた。

「なあんだ。ただのでっかい煙突じゃあないか」
当時は、風呂屋の煙突も乱立している時代。

でかい煙突は、まあ見慣れた光景ではあった。

しかし、それでもでかかった。

見る角度によって、4本、3本、2本、1本と変化する。

子供心に不思議で不思議でならなかった。
そのうち本物を見ることもなく
取り壊されて、記憶からも消えていった。

浅草文庫のあるテプコ浅草に寄り道中
二階に上がると突然、
ふるい記憶の主に出逢うことになった。

それがこれであった。

4本に

3本に

2本に

1本に

ほー こういう配置だったのだ。
模型でようやくなるほどと理解できた。

45年目の理解である。

本物は、黒々と天を突き抜ける威容…異様さで
おどろおどろしく見えた。気がしたが…

千住火力発電所という。
下町っ子は、生活の一部のようだったんだろうな。

桜はまだかいな

桜を考える季節じゃあないよね。まだ。
二月だよ・・・

梅まつりはじまります。

桜は、しっかり芽を出して、
慌て者は花を咲かせるかもね。

あ!ここに一番春が来ていた。