外国からの巡礼者

はっやいなぁ。。。あっと言う間に時間が過ぎていく。店は外人のお客様で八割がた占められている感じ。海外に語学留学する必要なんてないよ。ここに来ればよくわかる。

フランス人の同じ年くらいかなぁ、健脚そうなお客様と接していたら、すでに巡礼に行ってきましたと、店に懸けてあるある四国の巡拝軸を指さして話してくれた。
四国を?
もちろん。
歩きで?
もちろん!
という会話となった。

この掛軸が欲しいと言うのだが、これは四国のお寺からいただいたものだからノ―セールだと応える。

自分の足で四国は回ったと言うし、熊野古道も2回、他にもちょこちょこかじっている。
研究者ですか?
日本文化が好きなんですよ。

聞くと日本には一カ月滞在すると言う。

あ!ほんなら観音霊場に行きなさいよ!と秩父霊場を勧めた。
二日あれば巡れるからと話すとその気になっていく。足には自信があるのだろう。
おかげでまっさらな朱印軸を求めてくれた。
観音霊場の虜になってくれるといいな。と思いつつ前途を祝させてもらった。

誰の代わりに来たのかな。。。

糸トンボが生きれる環境が残っている事に驚き。
自然は脅威だと思う。人間が勝手に「この環境では動植物は厳しいと言わざるを得ない」なんて・・・とても言えないのだ。それともトンボに乗っかって誰か来てくれたのかしら。

今日着てくれているのかなぁ

昨日お二人揃って作務衣を買っていただいた。

何処のお国ですかを聞き忘れてしまったのが残念。

でも今日の花火大会にはきっと二人揃って着て下さることだろう。

浅草のそら

仕事がらと言うこともそうだし、町の冠婚葬祭の婚を除いた冠葬祭はお手伝いが回ってきて特に葬祭は切っても切れない間柄である。
昔は極力逃げて回っていたし、涙にくれる場所は仮病を使ってでもスル―が原則だった。が、年齢もそれなりになってくると責任が付いて回り通夜も告別式も参加の憂き目にあう。今は決して避けるほどのことはないのだがそれでも・・・・井上揚水の歌詞のように避けたいのが本音だ。
だから今は極力チャンネルを微妙にずらし感情をこっちに置いて客観的に観察することにに徹している。
今日は老齢のご夫婦で先にご婦人が先に旅たたれた。
式の最中はずーっとご主人を追っていた。ポーカーフェースで貫きとおされていらっしゃって最後まで公衆の面前では終了するのかなと思って見ていた。
式の最後出棺の場になり喪主の言葉を聞いていた。
話の前後は忘れたが「彼女は頑張ってきました」相手を慰労する言葉が出た途端相形が崩れた。

感情の出どころは相手をかばうときその隙をパーンと突いて出る。もんだなぁ。。。

そう。たぶん故人が頑張る姿が走馬灯のように巡り巡ったのだろう。
死という購いきれない出来事に涙を誘うのではなく、他を思いやった出来事に感情のコックが開いたのだろう。。。

大事に使ってくれてありがとう。

何十年も経っている腕輪とは誰が信じるだろう。

念珠に造詣の深い方なら、天竺菩提樹の経年変化さを見れば理解できると思う。が、木玉は手入れ次第で恐ろく姿を変貌させるのだ。
そう考えるといかに愛情をかけて持ち続けてくださっているかが理解できるというもの。

そんな彼、N氏とは子供のころからのお付き合いということになる。
TONが気付いたのは中学校の純朴さを感じるそんなときからだが、念珠をこよなく愛してくれる少年だったのは覚えている。高校、大学、社会人となり一貫して心の持ちようは変わらない。大したものだと思う。

当時でも入手困難だったと思うが、翡翠(ジェード)の翠の強さは並ではない。やっぱり翡翠は石の王様だね。。。

ブログをひっくり返せば何処かに記載しているだろうな。と思って時間のある時に調べてみたくなったしだい。

つい最近たまたま保存していた翡翠を屋久杉に組み込んで仮製作していた腕輪を彼に見てもらった。どうやら心に留めてくれていたようだった。

自分が気に入らない玉はそもそも入手しないが、お気に入りはそれをわかってもらえる方でないと「売約済み~~」と口に出してしまう癖がTONにはあるものだからどうして手元に残っていたかはまぁまぁ想像できる。まあその口だろう。

でもいい色でしょ。
今日N氏の問いかけから、この腕輪の話になり彼なら可愛がってくれると瞬時にお嫁入りを勧めることとなった。

N氏の足が画角に写りこんでた。

写経同好会

三年間のコロナ自粛で写経も三年間お休みを余儀なくされてしまっていた。
ようやく規制は解除されたが、高齢者で構成する沙羅の会には三年間というハードルはかなり高かった。

いろいろ相談、打ち合わせを重ねた。ここらが潮時かという雰囲気。一息つけようもやむなしの同調空気もあったが、参加者全員を集めていざ蓋を開けてみると、「続けるんでしょ?」と先手を打たれた。後で聞いたが、辞める気マンマンの顔をしていたと聞かされた。顔に出たかまだまだだなぁ。

「難しことはいいから、皆が集まって心を空にする、できる時間はとても貴重なの」との言葉を聞いてしまう。「同好会でいいじゃない」そんな言葉が飛び交いあれよあれよと、日時が決まり、会場が決まり、参加者が決まってしまった。
心を空にする集まり。もう少し続けていこう。。。答えが決まった。

懐かしい顔が揃った。

いつ行けるかなぁ。。。

念珠堂の古くからのお客様が歩き遍路に旅立った。

以前順打ちで回っているが、再びの遍路路行き。80歳を過ぎての逆打ちを決意した趣意書のようなものだろうかある日見せてくださった。

ある面うらやましい。

体力が落ちないように早朝のランを初めて15年龍がまだ四国には旅立てないでいる。
こんなものさっと決意してでかけりゃいいことと思うだろうがそれができないのさ。
だから彼のように心を揺さぶられる何かに出会い旅立つ人を見るのは嬉しいし心強くもある。

どうか気をつけてお大師様と歩いてきてください。

https://www.facebook.com/profile.php?id=100093004191082

リトマス紙

昨日、ずっと長らく合っていなかった大先輩からLINEが入った。
何事かと恐る恐るだが意を決してLINEを返してみることにした。
僕が一行書く間に10行が還ってくる。
いろいろ情報交換をしながらこの人ならもしかしたらと切り出した。
とても大切ながらもずっと連絡のとれていなかった友人(共通の友人だったので)。その消息を知りたかったのだ。

アメリカをこよなく愛し、仕事の合間に横須賀の米軍基地の将校の家のお手伝いをしてまで生きた英語を身につけて準備をしていた。準備の完了するやいなや、周りの声を聞くまでもなくとっとと渡米してスパニッシュの方と結婚した。
一途で気持ちがクリアで話しているとこちらの心のねじ曲がりを修正してくれるそんなリトマス試験紙みたいな人だった。
渡米してからは文通が唯一の情報交換の時代。こちらも会社を興したりバタバタしていている間にわからなくなってしまった。何年も前から連絡の方法を模索していたが全くわからずのまま無駄な時が過ぎシしている間に今回のLINE。調べてもらうとなんと10年前にこの世を去ったとわかった。ガンだったと聞いた。正直落ち込んだ。
そして気づかされた。思うことはすぐにやりなさい。後悔をしないため。
思いをいつまでも引きずってはいけない。
一期一会を常に実践しなさい。
そんなことなんだと思ったのだ。

あなたは今でもリトマス試験紙でいてくれているんだね。

4年ぶりの写経会  ようやく再スタート。

まる三年中止せざるを得なかった写経会。
店の二階はとても使えない状態だったので会場を借りての再スタート。

久々の写経は写し紙でした。おまけに筆ペン(絶対普段はやらないんだけど)。早いのなんの。墨を磨らないでよいということはなんと早いことでしょうか。一時間で書き終えてしまった。