4年ぶりの写経会  ようやく再スタート。

まる三年中止せざるを得なかった写経会。
店の二階はとても使えない状態だったので会場を借りての再スタート。

久々の写経は写し紙でした。おまけに筆ペン(絶対普段はやらないんだけど)。早いのなんの。墨を磨らないでよいということはなんと早いことでしょうか。一時間で書き終えてしまった。

またあいましょう。。。

昨年からお世話になったお客様の訃報が続く。

30年を越えて陰に陽にお付き合いして頂いたお客様との離別。

お客さまいう単語では言い表せない。友人、恩人、師匠、、、なんだろう、親戚のおじさん、おばさんとでも言うのかな、少なくともお金の行き来だけのお付き合いではないのだから。

イチロー、ジロー、サブローさんとTONの心の中であだ名していたお客様も、去年の暮れ16日にイチローさんがお亡くなりになって現世ではお会いすることはできなくなった。世話好きでイチローさんのファンが店に訪ねてきてくれるほどだった。お寺や神社の話題で盛り上がることはできなくなりましたね。

今日は一緒に善光寺や比叡山に旅させていただいたり、共に観劇に行ってみたり、うまいコーヒーには目のないTさんが正月の松の内に亡くなられたことを告げに奥様とお嬢さんで来てくださった。
彼にもどれほど励まされてきただろう。実のお姉さんもすでに鬼籍に入っているが姉弟そして奥様で笑顔を数え切れぬほどいただいてきた。
幾ばくかの経済的結果は仕事である以上必要だが、それだけでは仕事は続かない。そんなつながりなら最後は怠惰になって雲散霧消するのがオチだと思っている。
うさぎやのどら焼きがTさんのトレードマークだった。

今日の手土産は奥様によるがTさん、一緒に来てくれましたね。

また会いましょう。

継続のエネルギー。

朝一番でご来店いただいた。

はい。とばかりにお買い物の後に手渡された。

菩提寺に収められたOさんのお遍路の航跡の数々。番外を含めたお四国の108令嬢の横額は人きは際立って見える。職人もちょっと苦労した力作だしね。

先回ご来店くださった時に、お寺に奉納した全容を「見てみたいです」と漏らした。が、コロナの今の現状じゃ店を抜け出せませんから・・・との言葉を覚えていてくださった。わざわざ写真を撮り、額にしてくださってお持ちくださったのだ。お買い物は付け足しだ。

感動した。

お客様とのそんな心の交流が、TONにとっての燃料になる。

早速、巡礼コーナーに展示させていただいた。

今生

しばらくぶりに懐かしいお客様が訪ねてくださった。大事にしてきた念珠が切れてしまったと言うことだった。

ご夫婦仲が良く、いつもご一緒にいらして下さり、十三仏だったと思うが掛軸をお買い求め頂いた。拙い商品説明にも真剣に向かい合ってくださって、奥様と顔を見合わせながら、ほほ笑んで即決してくださったのをよく覚えている。うちが企画を行って招待状を出すと、いつも二人で「来たよ」とTONを会場の中から探して声をかけてくださっていた。

かれこれ30年近くになる。奥様一人は珍しい。

着江場三年前に他界されたと言う。その前に最愛のお嬢さまを50代で亡くされて、気落ちされたまま気力を失われたようだった。

ちょうどTONの木心の近い先輩が亡くなった報がその朝届いたばかりだったこともあって、なんともいたたまれない気持ちに落ち込んだ。いずれあちらの世界で再会するのだからそれまでさといつも思うようにしているのだが、それでもそれまでの寂しさは寂しさのままなのだ。

今生にあり縁もてし人はやはり大切にしたい。

お客様と出会えるのも一期一会だなと思った次第。

難波淳朗という作家

念珠堂を開店した40年前、まだ什器もまともに間に合わないまま、はじめの一歩の企画として行ったのが、仏壇とは縁もゆかりも?ない作家の個展だった。

「難波淳朗」名を聞いてほ~!と驚かれる人はかなり写仏に心した方だろうか。

今では一般化した写仏という名詞となった仏様を写すという修行をカルチャーとして根付かせられた功労者の一人だった。

「だった」というのは、すでに鬼籍に入られてしまっているからなのだが、今のショールームをオープンして数年で亡くなられてしまった。

カルチャー教室をいくつも主催されており、片肺の体を押して東奔西走されていた。

その人間性に魅了されるファンや生徒さんたちも多かった。

氏のアトリエを訪ねたとき「僕の絵を銀行や病院や役所に飾れるようになったら社会や人の心の風向きはだいぶ様変わりしているだろう」とぼそっと語られた言葉は今も耳から離れない。

写仏教室を店のカルチャー室を使って行う準備をしている最中に一風が過ぎるように旅たってしまった。

あと4年もすれば33回忌・・・かぁ。

今日、生徒さんのお一人の方が先生の遺された作品だからとお持ちくださった。TONが氏の大ファンなんですよと以前お話したことを覚えておいてくださっていた。

ご高齢にもかかわらず川向こうから訪ねてくださった。ありがたい。

氏の筆使いを久しぶりに拝見することができた。

先生、クリスチャンだったことを憚らず僕の観音様はマリア様なんだよと耳打ちしてくれましたっけね。

春が来た

一足早く桜が咲いています。

造花じゃないよ。

店の対面にあるミフィの花屋さんの店長さんからいただいた。

昨日はまだ蕾だったのに一日で開花してしまいました。

花は、見えざるところでしっかり根を張っていく。あっと思った時には全開する。

人も同じだね。

ITADAKI

おっかしいなぁ。。。

うちは販売店のはずなんだけど。。。

なぜかなぁ。。。

増える。仏像。

目黒の若旦那の置き土産。。。

あ!そうか今日からだったんだ。

古地図ファンのTONならではの企画を商店街で立てたのです。
ポスターサイズの江戸古地図を片手に浅草の錦絵と現代を比較しながら歩いてもらおうと、そして通過ポイントには江戸時代の錦絵を同地点にてフォトフレームに収まってもらおうとなんてことを考えた次第。

けど・・・・

緊急事態宣言が出されたので延期となり申した。。。(;_;)

そうだ!今日がスタートだったんだからだわ。

参加者には古地図が手元に残るから後々浅草を楽しんでもらえるでしょ。

ちゃんとできるようになるのかな。。。。

この時期だからこそ光る。。。いちご一会

9割減からよくて半減がコロナ騒動以降の飲食業から聞こえるうめき声。

飲食業にかかわらず半分行けば良い方でよく利用していたお店が、知らぬ間に看板を下ろしていたなんてのはいささか気落ちしないわけがない。

そんな中にあって、ビジネスチャンスを感じ取りすっ店するお店もある。

当店のとなりにあってしばらくシャッターを下ろしていた物件に新たなお店があすより開店する。挨拶に来てくださって看板メニューをおすそ分けくださった。

いちご畑を埼玉や長野に三ヶ所持っているのだとか。それこそ積み立ていちごを使って和洋両刀使いのスイーツを店内でこさえるのだという。

行かない訳に行かないじゃん。

道の反対側にはミフィーのお店があり、コラボされるといいなぁと思うTONであったのであった。。。