なんだか釈然としないんだ。

昼過ぎに店が混み始め、商品やディスプレーなど準備不足のことで頭がはちきれそうなとき、後ろからトントンと方を叩くものがあった。

ふと振り向くと、わが雷門一之宮商店会の会員の一人。もんじゃ焼き屋の若社長。
「なんだかお客様が少ない気がしていたら、地下鉄の出口がまた規制されているんですよ。会長知ってた?」

「いんや。全然!」
店を放って駅長室に交渉に行かざるを得なかったのでありました。

この商店会の発足の原因の一つでもあった商店会に面している地下鉄出口の問題。

10年くらい以前に改装工事のためと称して、突如出口が閉鎖されたことがあった。
地下鉄出口から浅草寺への参道ともなっているこの通りにとって生命線を立たれた感じで、人っ子一人、参拝客が通らなくなった。

これにはさすがのTONも血相を変えた。

当時は一商人として。

ありとあらゆる手を駆使して半日で工事差し止めを強行した。
その後の工事は片側づつの工事で難なくクリアーした。
やればできるじゃん。
「なのに何故?」という疑問が浮かんだ。
なんで地元商店街に先行して情報を流し、シュミレーションし確認しないんだろう・・・と。

東京マラソンのときも青天の霹靂だった。
東京を愛するということではこんなに面白い行事はない。
もろ手を挙げて賛成なのだった。が、第一回目の時はまさかまさか、念珠堂が立地するこの商店会(当時は設立前)が100m角の三角デルタ地帯ならぬ三角人真空地帯になろうとは・・・思いもよらなかった。

突然3つある商店街の入り口が全て塞がれてしまったのだ。
しかも、地下鉄の改札口の目の前に規制線が張られて、「出口はこちらですよ」とはるか遠くの出口に誘導されていく始末。

来街者である観光のお客様は、地元民と違い抜け道があるなどとわかろうはずはない。

これも尽くせるだけの手を尽くしたが理解に多くの労力と時間が浪費した。
次年度つまり2回目からの大会からは規制線は張らないことを約束させなんとか協力体制を築くことに成功した。

しかし、浅草に催事のあるごとに、同じことの繰り返しは起きて、そんな姿勢に防衛体制をと商店会が結成された動機の一因となった。

地下鉄を運営する側は安全第一。
もちろん当たり前のことだと思う。

かと言って、情報も伝えないまま、結果だけ示して(実力行使したあとで)商店主たちが口を出すことではないと一刀両断にしてよいものなのだろうか・・・
じゃあ、それほど安全にこだわるならば、各所にモニターを設置し、万一に備えていると胸を晴れるのだろうか・・・
地上まで254段あり、ビルの5、6階に相当する急階段を老若男女関係なく、お参りに行くならば歩かざるを得ないこの駅。

足腰が弱っている方が階段の途中でストップしている姿はここの日常の光景。
個人的には、「お寺は山の上にあるのが当然だもの。お山の石段を六根清浄と登るが如くなのだよ」と思うてみても、せんないこと。

ご老人を、乳母車のお母さんを何度商店会メンバーが担ぎ上げてきたかと言いたくなる。

「そこは聖域!」を口にして一歩たりとも、受容しまいとする頑迷な姿勢。

TONにはどうにもその辺りが釈然としないのでありました。

こんなでいいのかな・・・と。

ともに・・・

だいぶ年季の入った腕輪を預かる。
「ゴムが伸びてしまったから替えて」と言うこと。

よく見ると、七福神がバラの木に彫り込まれた、わが社の念珠に他ならなかった。

像の彫りこみの角はきれいにR(丸み)をつけていて手にし易そうな、ふくよかな形状に変化していた。

垢のたぐいも見あたらず、大事大事に使われてきたことは一目でわかる。
尋ねると何でも20年前にうちで買ってくださったのだという。

なるほど・・・

20年の重みか・・・

少し話を伺ってみた。
「娘が難病にあって入院している」のだといわれる。
年頃の娘さんだという。

ふと思った。

気休めにしかならない言葉。
でも言わずに入られなかった言葉。

「きっと良くなりますよ」

「ありがとう」
改まった顔になり、素直に謝辞を述べられた。
少なからず心が揺さぶられた。

あまりにもストレートに反応してくださった「ありがとう」だったから。

そして、とても重い「ありがとう」だったから。

20年前に求めてくださったということは、病にあるお子さんは、乳飲み子だったのだろう。
その子とほぼ一緒にこの腕輪も大切に扱われながら、ご主人とともに連れ添ってきてくれた。

そんな時の経過が僕には何か不思議な感慨を与えてくれた。

そうか・・・

一緒だったんだ・・・

今はこういう時代

仏像など人に頼まれて求めにいらっしゃった場合、お顔が決め手になるのだけど、昔は「帰ってからね」となるところだったけど、今は、「じゃあちょっと聞いてみるわ」と、メールで写真を送って決められる。

便利な世の中だなあ・・・

気をつけねば

以前は500ウォンが日本の500円玉と大きさ重さが酷似していたことで、自販機に大量にみつかったと世間を騒がせたことがあったが、今度はこれが流通し始めているそうだ。

日本の100円玉と酷似した大きさ重さであるとか。
自販機に組み込まれている日本の鑑識機は優秀だから、こんな事くらい平気の平左なのだけれど、精密すぎて日本のお金すら微妙な質量不足を感知してはじてしまうのだとか。

そのためについ識別の感度を落として運用してしまう。と、こんなつまらない詐欺に合ってしまうことにもなる。

切れすぎる刃物は運用が難しいということか。
凡庸にすると、その汎用さゆえに間隙を縫って邪悪が入り込もうとする。

なんと難しい世の中よのう・・・

ムディター正月号でました

季刊誌(今は年二回)のムディターの正月号が出ました。

青山俊董師の「縁起達磨の語りかけるもの」
対本宗訓師の「患者に寄り添う臨床僧」
種村健二朗氏の「死ぬ苦しみ」

新刊案内、七福神めぐり、諸団体の行時 etc. です。

生きる

いつも店にいらしていただいている海外のお坊さん。
「おみやげ」と言ってはバナナを一房ドーンと置いていってくれる。
純真無垢な気持ちが見るからにこぼれていて、初対面のお客様からも笑顔を引き出す天才だ。英語も中国語も日本語も堪能でそれでいてさりげない。
日本の仏教大学に留学して学びつづけるには人に言えない苦労を伴っているだろうに・・・顔にださない。

そんな彼がどことなく元気がなかった。
「どうしたんですか?元気ありませんよ」
と問うと、

故国の親友が最近、自殺をしたのだという。

親友は学歴もなくその社会の中ではいつも蔑まれる事が多かったという。
それを苦にしてのことらしいと言う。亡くなったその当日も彼は親友に電話をかけた。にもかかわらず、電話には出てくれなかった。その日に声も聞くことなしに逝ってしまった。
「僕が学校を終えて帰ったら一緒になにか仕事をやろうねと、いつも励ましながらきたのに・・・」

涙を飲みながら、笑顔を作りながら彼は話してくれた。
自分を責めているな・・・そう思った。

TONちゃんも22才の時に親友をなくした。
高校時代からの友人で、高校時代、二人して北海道に旅行した。社会に出てからもサイクリングの魅力を説き、ツーリング仲間として伊勢に行ったり木曽に行ったりしながら、人生を語った仲間だった。

ある日以前お職場に彼の父親から電話が入り、「Tが自殺した」と聞いた。原因はわからなかった。
でも父親の話は「奴は自転車を担いで金沢に一人で出かけ、死に場所を探したみたいだったけど、旅先では死に切れず、横浜の自宅に帰ってきて首をつったんだ」と涙ながら語ってくれた。
自転車に引きずり込んだその自転車に乗って死に場所を求めたくらいなら、何故!僕を連想しなかったんだ・・・・・

自戒の念で来る日も来る日も散々に打ちのめされた。

そんな僕の若き頃の話しを彼にした。

顔色が変わった。

声にならなかった。

自分を責めることはないんだよ。
それが言いたかったのだが、分かってくれるには時間がかかるよな・・・

自分だってわからないことだらけだもん。
でも生きなきゃ。

El Samurai

お客様が朝一番で・・・どころか開店前に2度も足を運んでくださっていた。
カントリースタイルにどこか日本人離れした風貌。

お伺いしてみると、メキシコから来てくださったとのこと。
46年間メキシコに住んでいる。
すでに帰化されて、現地にしっかり根付いているのだろいう。

「これからは世界に出よ」という僕の言に感化されたのでもないだろうが、末の子供が何故かメキシコに行きたいとの希望。
つい、立ち話に興じてしまった。
九州人らしく、僕の回りも九州が多いことを話すと、とたんに博多弁になる。

「メキシコに来たら、うちにおいで。
娘に話しておくから」
とまで打ち解けてくださった。

これで愚息は野垂れ死にすることはなくなった。

ここがお客様のお店。
メキシコシティーの中心部で営業されているんだ・・・

El Samurai

http://ameblo.jp/his-mexicocity/entry-10146670382.html

日々

いつもお付き合いさせていただいている業者の社長が、突然(自分としてはなのだが・・・)鬼籍に入ったことを知った。

ここ最近やたらと、この「突然」ということが多くなって、「またか」と思う気持ちと、「何故もっと話しができなかったかな」と言う気持ちが織り交ぜて沸々わいてくる。
故人に対しては誰でも思うことなのかもしれない。
でも、予兆っていつもながら必ずあるんだよね。

虫の知らせ。

今回もそう・・・

だから結局娑婆にいる間は、日々、一生懸命やることをやるしかない。今日逢える人には最高の出会いでなければいけないんだ、と気づかせられる。

きつねの嫁入り

地方によっては、別の言い方もあるようだが、
天気雨を子供の頃から教えられた。

天気はこんなにいいのに・・・

せっかく外に出した商品を慌てて片付ける様を「狐」の奴めどっかで面白がっているに違いない。

「コーン」

母心

台湾の方で、もうずっと長いお付き合いをしてくださっているお客様がいる。
かわいい兄妹と共に、年に2~3回。

小学校はアメリカンスクール。
実に人懐っこくて、いつもニコニコお母さんもニコニコ。
僕も知らぬうちにニコニコ。

ニコニコを伝染させて帰る。

そろそろ逢いたいなあと思うと、後ろから突然

「店長さ~ん」

と元気な声をかけてくださり驚かしてくれる。
そんなお付き合いも続くと身内動揺に感じてくる。

ある日、息子がアメリカに留学すると言い出し、あまりの心労にせめてお守りにと念珠を持たせた、
アメリカだからなかなかな押しには来れないだろうと、中ゴムをうんと入れてね。

それが何年たつんだろう・・・

「なかなか帰ってきません」
母親の心配をよそに、青春を謳歌していたのだろうか・・・
研究に没頭しているのだろうか・・・

いつしかお母さん、足を引きずるようになり
杖を突くようになる。
手術を繰り返す。

(どうしているかしら)

「店長さ~ん」

やっぱり現れてくださった。

体が傾いていた。
「娘がアメリカに行くって」
170cmをとうに越え成長した娘もわが手を離れて飛び立とうとするる。

お母さん心がどうかしてしまいそうな雰囲気が会話の中に垣間見れる。

親の気持ちが、理解できるころにはみんなどうしているのかな。

ひきこもごもを感じる。

「NASAの宇宙船を打ち上げの時に、お兄ちゃんは映ると思うから、次の打ち上げの中継を待っているのよね」

半ば真剣にそんなことを言わしめる。そんな残される母の心にちょっとばかりキュントなった。