商いはあきないって言うけれど・・・

「ちょっと店長借りるね」

と、いつものお庭番の末裔のTさん。

ご家族で来られ、近況など店内で話していたが、忙しそうだからと僅かな時間で席を立つ。
店の前でお見送りと思ったら、話したりないからと、店の子に一言、冒頭の言葉。
隣のコーヒー店に誘われ、のこのことついていった。

「いつもお世話になっているからね。たまにはいいでしょ」
こういう言葉に弱い。

でもね、お世話されているのは僕の方。

長い期間、店を運営できたのはお客様と心の交流ができたからなんだから。

品物とお金のやり取りだけで商売が成り立つ人も中にはいるのかもしれないけれど、僕にはとうていできない。

とうの昔に別の道に走っていただろうと、うそ偽りなく、そう思う。

飽きない商い。厭きない商い。

そのためにはお客様を好きになることしかないんだよ。
仕事を好きになることは後でもついてくる。
お客様が好きになれば、自分の仕事でお客様の役に立てれる。
そう思うから、仕事にも身が入る。

便宜上、仕事が好きだからと口にすることは多い。
でもね、もっと大事なエネルギーの元は、
喜んでもらえるから。

こんなことを言うと、「なに青臭いことを」といぶかしがる輩もいるだろう。

でもね、人の為に尽くせると思うからこそ力も出、長続きもできるんだ。

ぼくは、本当にそう思っている。

だから、人を、お客さまを大事にできないほど心がすさんだら、もう続けられないと店を畳むだろう。

コーヒーを飲みながら、Tさんの髪の白さやしわの深さに気づき眼で追いながら、いっしょに歳をとっている自分が、ちょっと不思議で、ちょっとおかしかった。

これも縁ということ

今のビルに店を引っ越してもう20数年。
当初からのテナントは、わが社ともう一社しか残っていない。

仲の良かった会社は、次々と出て行ってしまった。
どういうわけか、残った最後の一社・・・
何故かしら・・・この会社の社長らしき方とはどうにもこうにもうまが合わない(正しくは合わなかった)。

会社の車を店の前に平気で置いていくし、そもそもいつも苦虫を噛み潰しいて「にがいにがい」といつも言っている顔をして、挨拶をしても黙って通り過ぎる。「・・・・・・・・・」

こういう人間も世の中にいるんだ。

と、僕の心の中では新人類として年上にもかかわらず思うことにした。

が、突然人格が変わった。
ここ数年前から・・・

頭もポマードにオールバックがすっきりと丸刈り。
視覚的にも軽くなった。

いつものように挨拶をすると、鸚鵡返しで挨拶が返ってくる。
しかも、微笑みもプラスされて。

「ホー」
驚いたものだった。

そのうちまたもやしばらく顔を見なくなった。

あまりにも遭遇することがないので、ちょっと物足りなくなった。
苦虫を噛み潰したような表情でも、僕にとって一日のけじめになっていたのだから。

たまりかねて、昨日、苦虫の社員の女の子とエレベーターに同乗したのを幸いと思い、聞いてみた。

「苦虫さんはどうされましたか?最近顔を見ないので、もの足りません」

と心の声はこっちにおいておいて、
「社長さんしばらくお顔見ませんね?」 と。

ちょっと驚いたような、困ったような表情をされた。

「亡くなりました」

「え!!!」と、僕。

何か思い当たるような顔をされて、
「あ!そうだわ。今日が命日でしたゎ」

う~~~ん。
返す言葉が見つからなかった。

これも縁だね・・・・・・・
僕の左斜め上辺りに苦虫社長が「ニッ!」と、笑ったような気がした。

表書き

僕らの仕事はいかんせん葬祭ごとにつながる。

念珠は法具だから、葬祭というより行道であたるし、お香にいたっては、香の道や気分をリフレッシュするためのルームフレッシュナーとでもいうべきもので、葬祭とは縁もないとなるのだけれど、大きく、くくれば、人の生き死にに縁は深い仕事となるのである。

ご進物のお線香やお返し物を取り扱う関係で、ご霊前とは、ご仏前とは、ご神前とはとまず始めに覚えなければ仕事にならない。

蛇足になるが、慶弔ごとの包装紙の包み方は、異なることもこの業界にかかわって初めて覚えさせられた。

ちなみに言えば、喜びごとの包み方は、幾久しく慶びが続きますように、畳まれた包装紙の下端が受けの形になっている。

反対に忌ごとの場合は、同じく下端が開いていて、悲しみは早く抜けるようにと祈る形を取るように包装紙を折りあげなければならない。

日本人の相手を気遣い嗅げながら祈る良さだといつも誇りに思う。

これが店舗販売でまず覚えさせられる第一歩。

で、包装をしかけ紙をし表書きを書くと言うことになる。

四十九日以前にご使用になる場合なら、表書きは
「ご霊前」

それ以降ならば
「ご仏前」

が、一般的なのだが、これは仏式の場合に使われ、しかも厳密に言えば浄土真宗以外の宗派ということになるのだからちょとややこしい。

真宗では、霊の存在を説いていないのだから、ご霊前とはならないから、始めから
「ご仏前」ということになる。

キリスト教では(お線香は持っていかないが・・・)
「献花代」「お香代」

本当に様々だと思う。

で、今日宿題をいただいた。

ある有名な俳優さんの「偲ぶ会に参加するのだけれど、表書きは何と書いたらいいのかしら」という質問だった。
そういう会に参加したことはなかったので、はたと困った。

そこで調べてみた。

あえて無宗教の形をとっているのだからそれにふさわしい表題はなんだろう・・・
ありましたありました。

「御香料」「御花料」「御偲」「御香資」「御香奠」「志」
なるほど・・・

と、してみると、香(花)ということがいかに万国共通・・・万宗共通かがしれよう。

SASAKUSAS始動

お店の出来事と言うよりも、地域の出来事になるのですが。

東京藝大と台東区、墨田区のアートコラボレーションがこの浅草ー墨田地区で始まります。

「墨田川Art Bridge2010」
GTS観光アートプロジェクト。

藝大の「G」、台東区の「T」、墨田区の「S」。
略して「GTS」 車の名前みたい・・・

http://gts-sap.jp/
藝大のアーティストたちが教室、研究室を飛び出して、浅草墨田をキャンバスにアートを表現します。

様々なアートプロジェクトが始動します。
期間は、2010年10月20日~11月14日

その中で雷門1丁目、2丁目地区を担当されるのが、日比野克彦氏を中心にした先端芸術表現の研究室が担当するプロジェクトを

「SASAKUSAS」「ササクサス」と呼びます。

先端芸術表現という研究室が
先端と言うだけありまして、ぼくら素人の考えをはるかに越えている。
生きることが全てアートといいたいのかな・・・と印象付けられました。

ゆえに、この雷門1、2丁目つまりササクサスで実施されるアートには、絵画あり(しかしひとくせあり)、パフォーマンスあり、紙芝居あり、宿題君あり、盆栽あり、着ぐるみあり、バルーン体操あり、楽隊あり etc.etc.・・・通常見ることのできない表現方法の多様性を垣間見、楽しむことができそうです。

実に面白そうな都市空間アート実験と僕には位置づけられた次第です。

じつは、この企画が始めからピンと来たわけではありません。

二ヶ月ほど前から芸術に特化した活動をしている現場の学生さんたちとコミュニケーションをとって、「ササクサスとは何か」、「いったい何をしようというのか」、というところからディスカッションしてきていたのでした。

普段、商いに汗を流している商店主たちには、ピュアな芸術家の卵たちのセンスになかなかついていけず、ちんぷんかんぷんという笑うに笑えない・・・

最期には笑っちゃうしかないことに気づいたわけですが・・・

「ま。やってみなきゃわかんべー」

現実路線の中から一歩、踏み出そうと地元も考えに及んだわけなのでした。

いよいよ16人の若き芸術家たちが一同に会して紹介(説明会)を行ないました。
この得もいわれぬ空気が伝わるでしょうか。


(日比野克彦氏の挨拶)

ほかほか・・・

嬉しい出会いなのだ。

一つは、
以前からメールをやり取りさせていただいていた大阪のSさん。
「お店に行きます」とメールをいただいて、
出張か観光のついでにいらっしゃってくださるものと、TONは浅はかに考えて・・・
「気をつけていらしてくださいね」と軽く承ってしまっていた。

お昼過ぎに来店された。おー!

よくよく伺うと、店に来られる事が主目的だったと言われるではないですか!
あちゃー・・・

平身低頭です・・・心の中で・・・
申し訳ないやら、嬉しいやら・・・

行動力に脱帽です。感謝です。
またおいでくださいね。

もひとつ。

Tさんの巡礼日記をご覧になって、ご夫婦で巡られ結願しましたと、写真いっぱいのメールを頂戴しましたKさん。

奥様をお寺の前に立たせての記念写真がいっぱい。
最期の一枚、結願寺だけご主人とツーショット。
最高の演出です。

現場の空気が・・・
一ヶ寺、一ヶ寺、大切に歩かれた雰囲気が・・・
ひたひた伝わってきました。
感謝です。

Tさんが御府内八十八ヶ所を巡ったレポートを載せたのが江戸400年の年だから・・・
何年経つのだろう・・・
彼のレポートを見てお便りをくださった方も多くいらっしゃいます。

Tさんにも改めて感謝です。

何だか、気持ちがほかほかした一日でした。

そろそろ・・・

外置きのワゴンはお月見に合わせた商品でディスプレーしていました。

けっこうかわいいでしょ。
香炉やお香立てにウサギさん。

美味しそうでしょ。


(実はローソクです)

ウサギ関連は、一番多いのです。

が、もう・・・

そろそろ替えなくちゃ・・・

ぐずぐずしていると、新年(ウサギ年)用に流用することになってしまいます。ので・・・

沁みる

随分ながいお付き合いをさせていただいているSさん。

お買い物のあと「ちょっといいですか?」
と言われる。

今までも住職の講話を聞いては感想を話してくださる。

今回はなんだろう?

でも決まって短い言葉の中に教えられるんだよね。

Sさん。
「最近じわ==っと沁みるんです」

「今まで幾たびも聞いたことのある言葉なのに、お汁に浸っていって、いつしかおつゆが具材にしみとおるように沁みるんです」

一言教えてくださってニコニコしながら帰られた。

その言葉を反芻していると、なんて素直な言葉だろうと感動した。
しかも的確に表現していて。

それって言い換えれば「悟る」ということなんだよね。

Mさんありがとうございました

店が花川戸にあった頃からのお客様Mさん。
もう四半世紀のお付き合いになりますね。

今日二人の息子さんがおみえになりましたよ。
社会的にも地位のありそうな雰囲気を持たれるお二人でした。

Mさんの優しい雰囲気がよく伝えられていらっしゃって・・・
僕の息子たちにはMさんみたいに伝えられるかなと、ふと頭をよぎりました。

昔うちの店の店員がお出しさせていただいた封書をお持ちになりました。
大事に取っていてくださったのですね。

時代色もかからず、綺麗なままに・・・
きっと、たんすかどこか、大切にしまってくださっていたんですね。

古い店の住所を頼りに、「念珠堂」を探して訪ねてくださった。
だいぶ道に迷われたご様子でした。

でも・・・
「親父が残してくれた縁だから」
と、Mさんのお位牌を作ってくださいました。

そういえば昔、仏壇も奥様のお位牌も作らせていただきましたね。

今度は、Mさんのを作る番になるとは・・・
ちょっと早いような気がしました・・・
あなたが84歳の生涯を逝かれたということを聞いて思わず涙を飲み込みました。

讃祷歌の歌声を一緒に聞きにも行きましたこと
ふと思い出しました・・・

本当にありがとうございました。

いつか将来そちらに行く時には、またお茶でも飲みながら話しましょう。

時にかかわらず・・・

90歳に手が届こうと言うにもをなを矍鑠たるK女史はうちの長年のお得意さん。

よき時代を語り部として教えてくださる先生のような人なのである。
カイロの草分け的存在で、この御歳になるも、学び実践し、今なお東京を中心に近郊を走り回って治療を続けている。

150cmに満たない小さな身体を独特のピッチ歩行で、他の歩行者より群を抜いて速い。
あっという間に見えなくなってしまう。

遠野の方言が全く消えない素朴さにだれも心を許してしまう。
以前はよく遠野の民話を話して聞かせてくれたものだが、東北人を母にもつ僕でさえ解析不能になることがあったせいか、最近は少々遠慮されていらっしゃるようにも見える。

女史と語り合うとついぞ時間の経過を忘れてしまう。
診察に回らなければならない身体をここに拘束してしまうので、申し訳ない。

今日はこの夏に遠野へ帰省された話をしてくださった。
毎年の恒例ではあるけれど、話を聞くのが楽しみでもあり、人生を考えさせられもするのである。

遠野の古刹の寺が実家のような女史は、「男として生まれたなら」と祖父が惜しんだと、今は笑い話として語ってくれるが、間違いなく出家の道に入ったであろうことは想像するに難くない。
住職にさせたかったという祖父の思いは、幼い女史の信仰心を研ぎ澄ます環境に育てた。

「人助けをしなさい」との祖父の命を実践したのが今の職業で、遠野にも以前の患者さんがいまもなお、帰りを待ち受けている。

様々な人間関係を話してくれた。

ふと、
「○○ちゃんは親分肌でいつも命令ばかりだったのよね・・・
私はいつも従順で言うことを聞いてばかり・・・だったわ」

ついに幼馴染の好敵手が痴呆を発症したこと、
おまけに同級生を何人も亡くしたことへの気持ちを吐露された。
そんな言葉を聴いていると、そこに幼い女の子が座っているかのような錯覚にとらわれた。

故郷の話をするとき・・・90年近くが瞬く間に逆戻りしてしまうのだろう。

考えてみれば自分の母も田舎に帰ると、邦ちゃんがどうした、よしこちゃんがあーした・・・、だのと、幼馴染にしかわからない世界にとんと入ってしまう。

同じだなあ・・・
姿形は時間の経過をしっかり顔にも手にも刻み付けられているのに・・・
故郷の話になると、人生80年を有に越えていようが、ふと幼い顔が垣間見える。

どことなく不思議さを感じもし、
時の経過というものを重ね着しているだけのことで、
故郷の記憶は、案外そうした厚着をも、簡単に脱ぎすてさせる物なのかもしれないと思った。

人の心底に流れているものは、故郷の水なのだ。な。

狂乱のあとに

昨日は隅田川花火大会。
何十万人の動員だったのだろう。
たぶん公称人数は右肩上がりの報告になるだろうと予測している。

ただ店でお客様の状況を見ていると、交通規制の効果もかなりの効果を上げていることもあって、平年並みもしくは微減と言う漢字に受け止められるのだが。
仏壇屋の立場でこの日をやぶにらみすると、お盆月に必要あって来店されるお客様が激減されたことが気にかかる。

地下鉄の乗り場まで一時間待ちなどという狂気の沙汰はようやく解消されたけれど、この日を避ける意味でこの日にいらっしゃらなくなったと見てよいのだろうか。
浅草は毎月何らかの祭りが用意され賑わいがあるのだが、反面それを避ける人々もいらっしゃることを考えないといけない。

老婆心ながら、花火を先祖供養の心と思ってみる方がどれくらいいるのかな・・・
などと考えなくてもよいことまで考えてしまうのは、歳が行った証拠なのだろうか。