
久しぶりにTさんがみえた。
法螺貝の吹き口の形状を手直ししようかということでの来店。
試しにと、一吹き聞かせてくれた。
ブォー・・・・
狭い室内では凄い音量。
なれど、心地よし。
ただ・・・
外を通る人が音に引き寄せられて入店して来られた。
ありがたいこっちゃ。
「ほらを吹いてくれてありがとう」と、ぼく。
「いえ。法螺をたてると言って下さい」と、Tさん。
爆笑。
とにかくいろんなことが毎日

久しぶりにTさんがみえた。
法螺貝の吹き口の形状を手直ししようかということでの来店。
試しにと、一吹き聞かせてくれた。
ブォー・・・・
狭い室内では凄い音量。
なれど、心地よし。
ただ・・・
外を通る人が音に引き寄せられて入店して来られた。
ありがたいこっちゃ。
「ほらを吹いてくれてありがとう」と、ぼく。
「いえ。法螺をたてると言って下さい」と、Tさん。
爆笑。
鎌倉までの道路が意外に空いていて予想外に早く着いてしまった。
集合まで一時間半以上なにしようかと。
そうだ。大仏さんをのぞこう。
修学旅行の学生でちょっとざわついてはいたけれど、見学に支障はなかった。
シルエットに浮ぶ大仏さん。

前から見ると堂々としている大仏さんも
後姿は、猫背でかわいい。
香席はこんなようす。

梅が咲き始めていた。


今日は、社内研修のため
お店はお休みです。
鎌倉へ行きます。
遊びではありません(きっぱり)
創業時から鎌倉の香司と仲が良いので、香席を主催してもらい店の全員に香道を体験してもらいます。(昔は当店でも香席は続けていたのですが)
香はあらゆる文化の結集です。
学ぶにもロケーションも必要なのです。
鎌倉を選びました。
って勝手に理屈をつけてぇーっと。
どうも最近、香と念珠と仏像にセクトしすぎているのか、もともとが仏壇屋であることをみんな忘れるきらいがあって、更に拍車がかかりはしないかとやや心配ではあるのですが・・・
まあいいでしょう。
そうなったらそうなったで。
とにかく明日13日(金)はお休みです。
無駄足をさせてしまうお客様がありませんように。
ネットでのご注文のご発送は14日以降になります。
ご迷惑をおかけいたしますが、何とぞよろしくお願いいたします
珊瑚は言わずと知れた子宝と安産のお守りだ。
先週本当に久しぶりに甥っ子似のSさんが初々しい新妻と連れ添って訪ねてくれた。
体は大きいけれど気が優しい。
そう金太郎みたいなおにいちゃんだ。
その金太郎にいちゃんは、自分の念珠のパワーアップを図るのと一緒に子宝に恵まれるにはどうしたらいいかなとお守り代わりの念珠の素材を質問してきた。
鸚鵡返しに「珊瑚でしょ」。
口を突いて出た。
全くもって考える時間もなく間髪いれず口が勝手に開いた。
珊瑚には昔から女性の邪鬼払いと、子宝、安産の絶大なる信仰があった。
僕もそんな珊瑚が好きになった。
だからすんなりと口に出たのかもしれない。
もしかしたら珊瑚がSさんを待っていたのかもしれない。
日曜の朝に電話が入った。
Sさんだった。
「赤ちゃん・・・」
「できたの?」またぼくは即答していた。
感動していた。
珊瑚がどうのというのではなかった。
Sさんの心根が嬉しくて気持ちが泣いていた。
今日、「神戸から電話です」と呼ばれて驚き慌てて受話に出ました。
たまたま(ということは仏教的にはないのだが)同じブログのシステムの店子で神戸に冠三宝というお店を持たれるKさまからだったのです。
ブログの縁で、念珠ブレスをお買い求めくださって、今日到着しましたということのご報告と、そのお礼の言葉を頂戴しました。
「嬉しくてお電話しちゃいました」と嬉しそうなお声を聞いて、「喜んでいただいてこの上なく嬉しいです」と言葉にでたけれど、どう表現してよいやらどぎまぎでした。
自分の表現力のなさに呆れてしまいます。
でも何より嬉しいものです。
力が湧いてきます。
朝一番で店に訪ねて下さった東京のKさん。
メールで何度かやり取りさせていただいて、石の種類を決めたうえでご来店されたのです。
30分程度お時間を頂戴して、4本製作させていただきました。
お客様を目の前に製作するのは、昔はドキドキもので、玉でも落としようものならあたふたし頭は真っ白となったものです。
今はなんとふてぶてしくなったものでしょうか。
持ち込みの玉もありましたので何気なく、
「どこのお店で買われたんですか?」と尋ねると、
「だいぶ前ですがここですよ」との答え。
これもまた冥利に尽きる話しです。
数日かけて、古いお客様台帳を整理しました。
日付を見るともう二十年も前の台帳でした。
場所をとるのと紙だとどうしても融通が利かないために、電子化しようと決めたのです。
店番の合間を縫いながら一枚一枚読み返しつつスキャニングしました。
お客様との出会いの様子。
ご家族のこと。
どんな表情をしている方なのか。
どうすると喜んで下さるのか。お悩み事は・・・etc.
お買い上げの商品のこと以上に、お客様の人となりを想像できるカルテのようなものです。
店に立たせたバイトの子たちにも昔は書いてもらいました。
それは、一枚の紙きれなのです。けれど、僕には「人」そのものなのです。
だから、お客様一人一人が、20年経った今でも、カルテに目を通すと実像と化してきます。
面白いもので、読むとお客様のことばかりが想像されるのではなく、対面させてもらった店側の人間性も実像化してくるのです。
表面的なことばかりに終始する記入例。枝葉がやたらと多く、かえってお客様の実像が見えてこない記入例。情の機微に触れる記入例・・・
対面した店員のお客様への愛情度が見事に現れます。
でも熱心に書いてある台帳には、自分で記入したものも含めて頭が下がります。
そこには、対面したお客様をあらゆる角度で知ろうとする努力の跡が読み取れるからです。読みながら涙が出ることすらあります。
僕にはこの書き込みが初心を思い出さしてくれる原点回帰の妙薬であり、カンフル剤であり、宝物なのです。
ボケの花。
ここ最近懐かしいお客様が次々に現れる。
でも不思議と時間の経過は感じない。
「よく覚えていてくれましたね」と喜んでくださるのだが
作らせてもらった念珠や仏像を見れば、時間がワープするのだ。
以前は毎日何十通も手紙を書いていた。
お客様が帰った後すぐに、昼食の後に、仕事を終わらせた後に・・・
いつもお手紙セットは手放せないツールの一つ。そして住所録。筆。
筆も下手の横好きでこれもまた手放せなくなったツール。
一ヶ月の経費で一番使ったものは家賃の次に多かったのは通信費だった。
でもね自分で覚えられる人数って3000人がいいところ。
だからホテルマンのドアボーイの姿に感銘を受ける。
お客様の名と背景をとことん覚えている。
ああなりたいと思うけれど、なかなか難しい。
あのときのあれを買ってくださったあの人ですね。
あれであれしてで話が通じるようになってくるとあきまへん。
何はともあれ、懐かしいゲストが忘れないで十年以上経っていながら覚えていてくださるのは嬉しいものだ。

鐘ヶ淵最中です。
せっかくなので栞を読みました。
「元和元年(1615年)当時隅田川の辺りに普門院なる寺がありました。
同寺亀戸に移るとき、法具および梵鐘を船に積んで隅田川をわたろうとしたときに誤って沈没してしまいました。享保年間(1716~1737年)末に御徒衆数百人幾十筋の網をもってその鐘を引揚げようとしましたが水草が生い茂る中で龍頭光を発し網みな切れてついに及ばず、昔時は晴天風静かな日船にてその底見ると鐘がありありと見えたといわれ以来この地を鐘ケ淵と伝えられてきました。」
ん~~。なるほど。
100年間は間違いなく川底にあったんだ。
その普門院は?と調べてみるとこちらも亀戸にたしかに実在する。
おもしろい話だなあ。
まさかもうないでしょうね。
ちなみに「カネボウ」の名称はもともと「鐘淵紡績」つまりこの鐘ヶ淵が故郷ということなのだ。
昨日郵便局のある江戸通りに面したA3出口に人が溢れていた。
地上に排出された群集は浅草寺がどっち方面かわからず、
烏合の衆化していた。
変だなあ・・・
普段は全然人の出入りのない乗降口なのに・・・
改札で変な誘導しているのじゃないのかな?
今朝調べてみようと混みあう店を抜けて改札に向かった。
的中した。
浅草寺は「A3方面」としっかり表示されている。
では、出口付近には何か表示があるの?
と思いきや、何もないのだ。
地上出口に係員がいるわけでもない。
地図や案内板が用意されているわけでもない。
まったくの烏合の衆と化すのだ。
職員の一人を捕まえて案内板を出口付近に用意するよう依頼した。
「ここで案内してますから大丈夫です」「検討します」
官僚的お決まり文句だ。
実際に「浅草寺どっちだろうね?」と聞いているのだ。
その旨も話した。
「検討します」
地下の住人には地上のことがわからないのだろうか?
浅草寺方面は「A4出口」ですから。
開店早々、となりの珈琲ショップ「クローバー」の店長さんが
今年もよろしく・・・とお年賀を置いていかれた。

暖かいお年賀。
こういう届け物もうれしいかも・・・
ということで僕はお返しに

を送った。
凶が出たらどうしよう・・・ って?
いやいやご心配なく。
お寺や神社のおみくじにも言えることですが、
凶が悪いわけなのではありませんから。
(大吉にもいえることです)
どう生きるかが大事なのですから。
おみくじは諮詢でしかないのです。
左右されて黄を落とすことも、高ぶらせることもありません。
常に中道です。