いつもの団塊のお兄さんたちが3人で訪ねてくれた。

「上野まで来たから、ここまで来たら浅草に足を伸ばさないとね」
嬉しいことを言ってくれるではないか(冗談でも嬉しい)。

 ササ、寿司食いね。 神田の生まれだってネ

等とは口が裂けても言えない偉いお兄さんたちである。
象徴的に言うならば、B型、O型、AB型という感じかな。
全く個性がそれぞれ異なる。
けれど面白いようにうまく調和している。

いつも巡礼を共にする。禅の修行を共にしている。
そういう仲間である。
師匠のお坊さんに導師を依頼して、共にインドまで仏跡を旅し座禅を組んできたほど篤い信仰心を持つ。

それが根底にあるから、個性がそれぞれ際立つのに
落ち着くところに落ち着く。
決してばらばらにはならないのだろう。
こういう友人関係は頼もしくもあり、羨ましくもある。

辛口が冴えるT氏は体の調子が悪いから最近は巡礼もままならないと
僕の耳元でボソッと小声で漏らされた。
パワフルなエネルギーを発散し続けているように見受けられていただけに、
若干気になった。

でもこんな善き友と四国を間もなく旅する奇遇を得たのだ。

帰る後姿に「がんっばって」と心うちで手を思わず合わせてしまった。

これも縁なのだ

シャッターを下ろし一日が終ると、
文字通りへにょへにょになる。

横浜に住んでいたときは、若かったせいだろうか
一呼吸・・・

「ふ~~」とすれば、
もう疲れは飛んで、さっそうと駅まで走って帰ったものだったが、

今は、あきまへん。

骨を抜いた蛇がとぐろを巻いているようなもので(想像してください)
いっきに緊張の糸が切れてしまう。

このまま布団にもぐりこめれば極楽気分で夢心地に慣れるのだが…
そう言ってられるほど甘くはない。

まだ頑張らなきゃと言うときは、
これだ

クローバカフェ。

お隣さんにコーヒー店があるのもありがたい。
しかも二軒も並んでいる。
腹が減れば、中華屋も、もんじゃ屋もすし屋もなんでもごじゃれの通りである。

考えようによっちゃ、もっと働けという
天の声なのだろうか・・・

クローバーさんの開店時にもこんな日記を書いてたね。

061031のブログ。

店長の実家は大きなサイクルショップなのだ。

そういえばこの日記を書いた辺りから自転車の趣味復活の兆候が
くすぶり始めたのだから、縁といえば縁なのだ。

そろそろ、こんなことを書いていないで帰ろうっと。

今更ながら・・・

仲良くしてくれているお客様が「四国霊場の先達になったよ」と
店に報告方々、新たな注文の為、来店してくださった。

先達の免状と共に手渡される朱の錫杖を拝見した。

本当に一生懸命巡礼をされてきた方だから、
さぞ感無量かと思いきや、嬉しさはもちろん隠せない部分であるけれど、
しっかりとマイナス部分を把握してきていた。

「今度あの寺に行ったときに、同じ状態なら忠告しておかなければ」

民間の意識をもって寺を見るそんな意識がビンビン感じられた。

先達にしても、他を差し置いて我も我もの気配りできないものも多いから
と先達らが集まる会において、これまた素朴に感じた感触を
置き土産にしてくれた。

「仏彫っても魂入れず」であってはならないこと、
何に対しても共通することだ。

今更ながら心に響いた。

ああ楽しい・・・

実に楽しい。
と、言うとなんだか不謹慎ではあるのだけれど…

お客様と話をさせていただいている時ほど、こんなに楽しいことはない。

つい時間の概念をなくしてしまい、気付くと店が閉まっていた…
なんてことも、過去、幾度と経験してきた。

今日は、団塊(と思うのだけれど)のお兄さんグループと
お話しさせていただいた。
これがとにかく仏教の勉強をよくよくされていて、
おまけに巡礼や座禅も数多くこなしてこらえて信行共にすすんでいる。
とても太刀打ちできる方たちではないから、ぼくも素直に聴いている。

秩父を歩き、四国を歩くのだと言う。

気をつけて行かれて欲しい。
また軽快なしゃべりを聞かせてもらいたいと心から思った。

その後は、目黒の若旦那。
電話ではあったけれど、やはり電話と言う媒体を使って
話をしていると言うことを感じさせない楽しさがある。

もうずいぶん長くお付き合いさせていただいているように思うが…
やはり長い。

何はともあれ、体だけは気をつけてもらいたい。
心底思っているのだ。

小僧の雪

!!こんなに雪が…

っと、昔の写真でした。

よかった…

積もらなくて。

立ち話

二時間立ち話。

もとはと言えば、五重塔が発端だったのだけど、

話は、どんどん広がった。
お住まいの話。先祖供養にとにかくお金をかけた。
仕事は継続させるよりも廃業を選んだ。

早稲田と東大に受かったが性格に合った早稲田に行って、あとでばれて父親にこっぴどく叱られた。
特攻隊でゼロ戦で飛び立ちながらも、エンジン故障で途中で引き返し命拾いされた。

戦後はとにかく事業に没頭した。頑張った。
そして、
骨董蒐集にも熱をあげた・・・・・・

とにかく80を越えた御歳ながら、しゃきっとされていて
さすが、軍隊と剣道で鍛えた体は今なお現役なのだろう。
タチ仕事に慣れているはずの僕が足をぶらぶらする始末。

途中、食事に出た子が戻ってきて、なおも延々と話は続いた。

はて?何の話だったかな…

けれど、これだけは感動した。

母親の死に目に会えなかった。
仕事で出張していた為だった。
旅館で窓を開けていると火の玉が飛び込んで自分の周りを何度か回って
飛び出した。

同時間、母親は息を引取った。
(実は、ぼくの母も同じ体験をしていて、子供の頃よき聞かされたものだ)

霊を見る人に「左肩にあなたのお母さんがついて守ってくれている」と教えられてから
痛い所があると、左肩に手を当ててその手を患部に当てるようになった。
すると、嘘のように痛みが消えた。

80を越えてからも、同じことを行ったら直ったんだ。

くそ真面目に、しかも嬉しそうに話してくれるその顔には

この方にはお母さんが今も心に働きかけてくれているんだなあ。
強く印象に残った。

自分が同じ歳になったとき、こんな若造に同じことを口から吐露できるだろうか…
心に問いかけてしまった。

年輪

夕方、一人の紳士が夫婦連れで店にみえた。
何となくどこかでお合いした感じはするのだが、
念珠を求めに来られて、次長の手に負えなくて
バトンタッチされた形で、適当な念珠がない旨告げることになった。

時間さえあれば、適当な価格帯と希望でおつくりすることはできると話すと
時間がない。今日明日の話なのだという。

僕も実務的に話さざるを得ずあーだこうだと話しを進めながら
在家用としては程遠い、尺6寸の大玉に収まった。

「これは、お寺さんが使うような大きさですね」
何の気なしに漏らした言葉が引き金になって、

「私たちも寺のものなの」
と奥様。

「あ。それは失礼しました」
「智韻寺と申します」
!!!

「E!ぼく西海です!」
「まあ==そうかしらと思ったけれど…」と奥様。
「もし間違えていたら失礼になるから黙っていたんだけれど」とご主人。

忙しさに讃祷歌を歌いに行っていた足が止まって何年になるんだろう…
讃祷歌の生みの親であり、公私でお世話になった先代の住職が亡くなって10数年。
そういえば一度もお逢いしていなかった。

お互いに年輪の刻みを目測違いしていたようだった。

お互い若夫婦だったんだ。

懐かしすぎて言葉にならなかった。

以前も讃祷歌の日記を書いていました。

猫くる

店のシャッターを開けると・・・
サッと黒い影が飛び込んできた。
近所の猫が迷い込んできた。

朝一の来店猫。でした。

どうもメダカが、一匹、また一匹といなくなるその原因者。
すっかり我が家と決め込んでいる。

だから、迷い込んだのではなく、

「ただいニャー」

と帰ってきたつもりなのだろう。

「金と銀の目の猫じゃあ追っ払えないでしょ」
と猫好きのお姉さんにストップをかけられて、
店長の猫撃退は避けられた。

もんだから、安心しての~びのび。

「ここアタチの家」
お食事もできるし(活きためだか最高!)、暖かいし…

お騒がせしましたニャア。

足止め

夕方あと一仕事と思っていたら、
お得意さんの一人、Mさんが来店され、

この方はチベット仏教にある4大派閥の最古(古派という)派のニンマ派で20年以上、
仕事を辞める事もなくその最長老からの直接指導を受け修行を続けてこられた。
何度チベットと日本を行き来したか知れない。
http://www.tibethouse.jp/culture/buddhism_4categolies.html

大学の講師をを務めたり、その道ではインテリ層の部類のはずなのだが、
全くそのかけらも、いっさいそぶりも見せない。

だから馬が合う。

仕事柄、べらんめえとまでは行かないが、
気持ちはその世界に近いようで、細かいことは気にしない。

表に出たがらないので、
チベット仏教の法灯を護持している希少な立場にありながら、
せっせと行法を極める努力を惜しまない。
ゆえに、そんな所に学ばされ、また魅かれるのだろう。

http://www.tibethouse.jp/home.html

「チベットはこの先どうなるんでしょうね」と時たま投げかける。
政治の話はしたくない表情ながら重い口で、
民族浄化(漢民族化)はもう避けられないねと寂しげに、
且つ険しい表情で漏らす。

ふ~ん。なのに平和の祭典のオリンピックが行われるの。
と、僕の不思議を投げかけるが、話はそれ以上進展することはなかった。
あきらめているのだろうか。

考えるに、その法は、すこぶる速やかに、かつ世界的にどの宗教より席巻しているように見えるのは僕だけではないと思う。日本ではあまり馴染みがないが、ヨーロッパでもアメリカでも、仏教といえばチベット仏教をさすように拝察する。

国追われて山河ありではないが、国亡して「法」弘がる。

キリストの死後(復活後)300年以上ローマ帝国の迫害を受けていたキリスト教が、
目を覆いたくなる犠牲の元にいつしか国教となるに至った。
回教にしてもしかり、仏教にしてもしかりであった。

歴史を見れば、宗教とは権力からの迫害に決して屈服した歴史はない。
むしろ、迫害するその側の心に伝達され、教勢を広げていった歴史を考えると、
不思議な気持ちになるのを止める事はできない。

気付くと、閉店時間になってそそくさと辞していかれた。

今日は2時間。
つい足止めさせてしまった。
でも今日は短かったほうかな…。