年輪

夕方、一人の紳士が夫婦連れで店にみえた。
何となくどこかでお合いした感じはするのだが、
念珠を求めに来られて、次長の手に負えなくて
バトンタッチされた形で、適当な念珠がない旨告げることになった。

時間さえあれば、適当な価格帯と希望でおつくりすることはできると話すと
時間がない。今日明日の話なのだという。

僕も実務的に話さざるを得ずあーだこうだと話しを進めながら
在家用としては程遠い、尺6寸の大玉に収まった。

「これは、お寺さんが使うような大きさですね」
何の気なしに漏らした言葉が引き金になって、

「私たちも寺のものなの」
と奥様。

「あ。それは失礼しました」
「智韻寺と申します」
!!!

「E!ぼく西海です!」
「まあ==そうかしらと思ったけれど…」と奥様。
「もし間違えていたら失礼になるから黙っていたんだけれど」とご主人。

忙しさに讃祷歌を歌いに行っていた足が止まって何年になるんだろう…
讃祷歌の生みの親であり、公私でお世話になった先代の住職が亡くなって10数年。
そういえば一度もお逢いしていなかった。

お互いに年輪の刻みを目測違いしていたようだった。

お互い若夫婦だったんだ。

懐かしすぎて言葉にならなかった。

以前も讃祷歌の日記を書いていました。

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