再会

数年ぶりで店に訪ねてくれたMさん。

孫やお嫁さんとともに。

一代で繊維関係の会社を興し業界のトップランナーとして走ってこられ財も名誉も築いてこられた。
最初に来店くださったのは、30年も前のこと。
奥様がお香が好きで、店を気に入ってくれた。
ずーっとのお付き合いになる。

体調管理に余念のないMさんは、日毎、午後になると川向こうからぐるーっと浅草を一周りを日課とし、コースのお休みどころにご来店されていた。

お茶を飲み長い時で一時間近くを、趣味の写真の話、生まれ故郷名古屋の話、事業の話と話題は尽きなかった。中でも裸一貫で今の事業を起こし生き馬の目を抜く業界でトップを走れたかの話は教えられるところが多かったしMさんも若かりし頃を彷彿させていたのだろう。目を輝かせておられた。

もう十年も前になるだろうか、川向こうにあった会社をたたんで、神田の息子に任せている会社に全て譲るからもう来れなくなると、さよならを伝えに来てくれた。
毎日散歩コースで寄ってくれた、口は悪いが憎めない風貌はその日から遠ざかってしまった。

五年ほど前だったろうか、「もう体が言うことをきかないので、正月の年賀はやめます。さいなら」
と、彼らしい一筆が書き添えられた年賀状を懐に忍ばせて店へ最期の訪問をいただいた。

そして今日。

「もう91歳だよ」

最近、奥様を亡くされて、ひとり暮らしでは大変だからと、大きい等々力の屋敷から有料の老人ホームに移られたことを聞かされた。

「もうこれが最後だね」と握手を求められた。そしてハグをも。

涙を流しているのがわかった。

でもね・・・Mさん、
あと三十年。

僕があと三十年しないと、Mさんの奥底の気持ちはわからないよ。

きっと今はわかっていない・・・。

だから、また会いましょうと握手をして別れた。

少将きたる。。。

順君:デビューして3日目だよぼく。

今日は、タイムマシンでやって来てくれたおじさん(失礼!)がいるんだ。。。

日本海軍の少将なんだって。。。

海軍だから栄養いいんだね。

双眼鏡持っているから艦橋にいたのかな・・・
勲章つけてるから・・・

でもお店が閉まったらどこか行っちゃった。
ちゃんと元の時代に帰れたかな・・・

新顔・・・

デビューですだ。

店頭には小僧君が長年立ちん坊をして道行く人に可愛がられているけれど・・・

新顔は、巡礼用品をアピールするために白装束を着てお招きしたいと手を挙げました。

ほんとに?

頑張れるの?

夏は暑いし、冬は凍るよ?

との店長の意地悪な質問にも、ハイ!と元気に答えました。

こんなつぶらな瞳で答えられちゃぁね・・・・・

ん?君外人さんだったの?

近頃は・・・

今日はお店を一時間近く前に開けた。

四万六千日だから・・・とか、儲け根性から・・・とかではなく、朝、日頃お付き合いのある浅草消防署の依頼で、ちびっこ消防団の活動でいろいろ聞きに行きたいからということだったので日頃は社長出勤する日曜の午前中にして9時過ぎには準備を終えていた。

ありがたいことに、朝起きは三文の得のことわざ通り浅草寺に向かう参拝客の足が店に吸い込まれる。
「いつもは10時開店だから助かるわ・・・」
ちょっと複雑な気もしないでもないけれど、手応えのある開店であったわけで・・・

そうこうしているうちに、ごめんくださいと、お店のお客様らしくないご挨拶とともに消防団御一行さまが来店された。

小学校低学年から6年生くらいまでかな~

次々と質問攻めにされ・・・・るのを期待していたが、初めて見るTONの顔に恐れをなしたか言葉が出てこない。

(安心しなさい。食べやしないから・・・)

心の中で優しく問いかけ、にっこり作り笑いをして問いを引き出す。

8名の団員が一巡するとようやく慣れてきたのか、店の商品について質問が。
ん?消防の質問じゃないの。

というわけで、子供の目から見る仏壇業界の傾向と対策をディスカッションすることとなった。

お線香はなにいろがあるのですか?
お線香は何種類あるんですか?
etc.etc.

付き添いの消防署の係長さんに伺うと、家に仏壇がない子が多いこと。
仏壇があるとしてもローソクは電気式のものを使うということ。
改めて実情が披瀝された感じだ。

仏壇屋に足を運ぶなんて生涯何度もないだろう。若い人が入りやすい店を作らないとと思って始めた創業気持ちは間違えていなかったことを再認識させられたと同時に、さらに若い人・・・子供とも言う・・・が入りやすい店というのも考えないとな・・・。

巡礼記

「こんにちは」

と、老齢なる青年がお店に来られた。

聞くとお年は81歳なのだとか。

「ありがとうね。たいへん参考になったよ」

ん?まだ事情が呑み込めないTONは恐る恐る言葉を投げかけながらも、記憶を紐解いてみることにした。

「霊場周りね・・・」「Tさんの・・・」

で、ようやく理解。

ずっと以前、お客様の一人Tさんに霊場周りの発願があって、TONは便乗させていただいたというわけで、二人三脚の旅日記をかかせてもらった。

Tさんの御府内巡礼始末記

これが集大成になるわけで、今でも参考にして下さる方が切れない。

でも名乗り出てきてくださったのは久しぶりだった。

「いろいろ大変なこともあったけどね」と、本当はお寺への不満もお有りだったのだろうことは言葉のはしばしに捕らえることができるのだが、巡るものの信仰心がすべてを前向きのエネルギーに転化して捉えていらっしゃるようだった。
TONだったらそうはいかないな。悪いものは悪いと門前でも一言行ってくるだろう・・・

奥様が「私巡る!」と一念発起されたその声に応えて御夫婦で巡る。
コース取りから予算のことまでご主人が下調べをする。
シルバーパスが使える範囲だから御府内八十八ヶ所がやりやすいと。
とはいえ八十歳を越えて楽ではないはず。

そんなときに傍らにあったのが巡礼記だった。
いやいや・・・ありがたいことだと手を合わせるのはTONのほうだとの思い。

肝心の自分の巡りはいつになることやら。

あ・・・・と!
秩父霊場は、残り半分残したままだった。
30年ぶりにレストアした自転車でまわっていながら、まだ結願していないから、結願後にレポート書こう・・・と思いつつ・・・5年経っちゃっていたこと、思い出した。。。

国語って何かな。。。

お客様との会話にやる気が生まれる。

外国語も通じないのに、言葉の壁はひょいと超える。

お互い何を求め、何を尋ね、何を伝えたいのかわからないながらも、笑いが生まれる。

去年の夏頃までは中国のお客様がとにかく多かった。暮れから今に至るは、西欧系のお客様が引きを切らさない。

どちらにしてもカタコトの英語で対応するしかないが、翻訳ソフトも活躍しないでもないが、熱心にあーだこーだしていると、相手もあーだこーだと答えるようになる。

おもしろいもので、結局は人間対人間ということなのであろうという結論となる。

二度も三度も足を向けていただけることを考えれば、気を悪くして帰られたのではないことだけは一目瞭然だ。

そんなとき「楽しい」という三文字が心に浮かんでくる。

話題には事欠かないなぁ。。。。

上さんから電話が来た。

「テレビで紹介されているわよ」

情報番組の中でミルキーだのサクマのドロップだののお線香が紹介されていたらしい。

「ほーそうですか」とTONの無関心さに、電話口のむこうで明らかにつまづいたようであった。

導火線に火が点いてしまったと思われるので、いち早く消化するためには売上げに熱心なTON店長をアピールしかないと考えた。長いあいだの経験がモノを言うのもこういう時である。

そこで、お彼岸が終わって引っ込めてしまった沖看板をなんとかしないとと忠告を受けていたあれに手を加えることを閃いた。前々からやれやれと言われながら重い腰を上げないTONであったわけで、こんな時に点数稼ぎをしようと目論んだのだ。

チョークなんて何十年も手にしてないからね。
意外とむずかしいのよ・・・

と思う気持ちをこっち(ってどっちだ?)に置いて・・・・っと。

なんだかぎこちない手つきで書いていると
「あら?ペコちゃんかわいいですねぇ」
なんて、通る人にほめられちゃったりして・・・ブタも褒めれば木に登る・・・

一気に書き上げました。
といっても、もっと書き入れたいとしていたのに、「もういいからいいから」とは、上さんの言葉。褒めもしなけりゃ、郎も労ってくれもせず・・・芸術の域まで高めようとするTONのアートに対する向上心もそこそこに外に持って行ってしまった。


やっぱりちょっと寂しいよなぁ・・・

今月の仏教ライフが届いた。

仏教ライフというのは、仏教情報センターから発行されている月刊誌だ。
仏教情報センターというのは、各宗のお坊さんが交代でテレホン無料相談を受け付けてこられた組織だ。終末医療に関する「いのちを見つめる集い」というのも企画してきている。

TONも体の自由が効いた過去において何度か伺ったことがある。
がん患者の集いだったが体験談を車座になって話し合い衝撃を受けた記憶がある。

90年代中盤からお付き合いさせていただいているので20年以上ということになる。

さて、今月は・・・と開いてみると、

あらま。ぶっちゃけ寺で有名な浄土宗の井上広法師の見開き特集だ。

「ぶっちゃけ寺がかなえたお坊さんの3つの夢」
という主題が面白そうで、つい時間中に読んでしまった。

「お坊さんへの誤解を解く」
坊主丸儲けという偏見。お坊さんもちゃんと税金は払っている。
被災地の支援に行ってもやるせない中傷の言葉にさらされることもある。

「社会参加する仏教」

「お茶の間に仏教」
仏教の教えは遠いものではないということ。生活に密着しているのだということだ。

というのがサブタイトルに別れそれぞれの講話は納得させられた。

TONにはあらにもうひとつ夢がある。

「墨染の衣を着て医療関係の現場に行ける」というものだ。

お寺様に確認されたらよろしかろうと思うが、相当な抵抗があると思う。

仏教に付いたイメージというのは、死と余りにも近すぎる。
仏教は、本来生きるために学ぶものであって死んだらなにもせず、仏になるのではないということ。生き方を仏教の中から見つけて欲しいと思うのだ(もちろん仏教に限っているのえはないけど・・・)

いつかそれも昔話になる時が来るような気がする。

我が内なる開国ということ

TONは梅栄堂の薫りがこの仕事についてからこの方好きなのである。

日本香堂では、沈香青雲。伽羅大観。沈香寿山。

まあとにかく自然の香木の香りが大好き。

煙の少ないものつまり微煙香が世の中の主流になってしまった感のある昨今だが、煙が少ないということは、香りを乗せるための分子、キャリアが少ないということになる。

だから微香であるとも言えるわけだ。

フランスの友人に頼まれたからと梅栄堂の商品を頼まれ買いにこられた。

さんざん探して、当店に行き着いてくれたらしい。

「香水の本場でこの香りですか?」と店のものが尋ねると

「この薫りがベリーグッドなの」だそうである。

もちろんフランス語で言われたのだろうが。

お墓に使う束になったお線香を大量に買っていかれる外人もいらっしゃる。
自分も含めたごく一般の日本人ならだれでも不思議に思うことだろう。

けれど、聞くとベリーグッドなのだそうだ。

我々日本人には、お線香=お墓参りorお葬式=縁起が悪い という回路が出来上がってしまっているようだ。

グローバリズムの波が押し寄せて日本のあらゆるものが開国を迫られている。

でも開国しなければならないのは、じつは我が内にあって常識という殻に守られ続けているものなのではないだろうか。