再開

毎日、300通も400通も来るスパンメールにうんざりする。
見たくも無い画像や、文章、
(美しくない画像や文章は罪だね)
あらぬ無責任な書き込みや…
詐欺まがいの蛮行…
はたまた、拝金主義を全面に押し立てるサイト…

あげたら、きりがないほどのダーティーな部分が露見してくるネット社会。
マスコミもそれ見たことか、と己の足元を隠して誇張しまくる。

その情報の殴り合いの狭間に我々は首をすくみながら
知らぬを決め込む。

40数年ぶりに小学校の友人とmixiの中で再会したのは暮のこと。

ここ最近になって、店にも顔を出してくれるようになった。
お互い不思議な感覚にとらわれる。
小学校卒業を目前に転校し、修学旅行もいけず終いの僕を
そうはっきりと覚えていていれるはずもない。
子供時代の記憶は、都合よくイメージで補修しているもの。

目の前にすると、とたんに修正画像されていくのだ。
あっという間に、40数年の「時」はレタッチされるのだ。

ネットがなかったら、
こんな再開は、果されはしなかっただろう。

今は過去の結果?未来の為?

人の死出の場に出くわすと言うのは、
当たり前のことだ、悲しいものである。

出会わない人は、本当にその場を経験しないで一生を過ごす。
縁のある人は、これでもかというほどに出くわす。

ちなみに僕は多い。

店に訪ねてくれた、Yさんとお話する機会があって
なんとも、不可思議なお話を伺うことができた。

話はこうである。
知人のお見舞いに九州まで足を伸ばした。
「ようこそいらしてくださいました」と病に付しながらのご挨拶。
いたわりの言葉を交わし、
「それじゃあまた」と言葉を発するか、しないかの間にスーッと息を引き取られた。
つまり、死出の最後の挨拶を受け取ったのである。
家族でもない、ましてや旧知の友人でもない、
そんなYさんに、病人は最期の言葉を託されたのだ。

行きがかり上、亡骸とも同じ屋根の下でくらし、葬儀全てをみとり、
まさしく家族同然(以上かも)の10日間を過ごす結果となった。

よほど深い縁があったのか、Yさんの人柄に安心されたことなのかわからないが、
自分に置き換え考えると、人生観に深く影響するだろうことを強く感じた。

僧籍を持つYさんゆえか、天性のおおらかさからか、
消化して受け止めてしまっていることに「さもありなん」「あ!やっぱり」の言葉がフッと頭に浮んだのは、当然の感想だと思う。

大いなる人生の伏線に、無駄はないことを思うと、
今はわからずとも、将来の役回りがあるのだろうなあと
マジマジとお顔を覗き込んでしまう、Booであった。

もうそろそろ・・・考えようよ

能登地震、 時間が経てば経つほど、被害のひどさが伝わってくる。
地震すごさを視覚で見せるときのとき、決まって映すのが、墓石や寺院の山門。
墓石の画は、お決まりになっているのか、連想しやすいのか・・・
それほど、地震にもろいと報道側も見る側も予測(納得)しやすいということだろうか。

地震が起きるたび、「石塔や灯籠の下敷きになって…」
という、圧死の記事が目に入る。
以前に千葉のお寺で住職婦人が、犠牲になられたことがあった。

ちょうど僕の設計で、巨大なカロートをもつ墓所工事をいていた頃のこと
自分のことのように衝撃を受けた記憶がある。
墓と燈篭の違いはあるにせよ、石材を積み重ねていると言うことでは一緒であるのだから。

今回の地震でもお亡くなりになった1名の方は、倒れた石灯籠による圧死である。
心から冥福をお祈り申し上げたい。

でも、この種の事故は、毎回起きる。

毎回だよ。なぜ? 憤りを感じる。
全くと言ってよいくらい、教訓が次に生きていない。

轍を思いっきり踏み続けている。

何トンもある石を、ただ重ねただけの構造だもの。
簡単に倒れる。あたりまえだよ。

地震があれば崩れるのはわかるはず。

そろそろ、地震列島の上に住んでいることを意識してもいいんじゃあないの。

地震のときは、「モニュメントや灯籠には近づくな」です。

おひさしぶり(^^

昼過ぎ、

パソコンに向かっていると、何となく背後に視線を感じる。

店は混んでいるほどでもなかったので、
せめてこの時間にというあせって、カタカタいじっていたのだ。

どうも、妙に背中がこそばゆい。

はっ!と振り返る。
そこに
ニコニコとして、婦人が立って眺めていた。

長らくお会いしていなかったが…当時も3~4回お会いした程度だったと思う。
けれど
瞬く間に記憶は遡った。

指折り数えると…
10数年ぶりに訪ねてくださったのだ。

「覚えてる?」。

何をおっしゃる、うさぎさん…ではなく。M子さん。
よ~~く覚えてますよ。
お客様の顔は、まず忘れないもん。
(ちょっと陰りが見えてきましたが…)

こういう再開は、本当に何よりも嬉しい。
「ずーと仏壇の前で祈ってんのよ」

どうしよう。
Mさんのこと、ぼくは一度も仏壇の前で祈ったことないよ。

でもね、
気付かされてはいるんだ。

今の仕事は、
僕ぐらいの器量でできる仕事じゃあないって事くらいは心得ている。
なのに、今まで続けていられる。

耳には聞こえてこないけど、
目にも見えてこないけど、

見えない祈りが集まって、
聞こえない声が集まって、
ずーと支えてくれているんだってこと。

だから、人を好きになるしかない。
僕にできることは、それしかない。
返せることは、それしかないって。

商売?
考えたことないよ。

浅くさらしさって…

今日は・・・
昨日とは、打って変わって店は暇。
何故か自分だけがバタバタしている。

こんなときでもないと、できないことが山積みだから
仕方ない。

こんなに春の雰囲気が漂っているのに

風は、北西の風。

つめたーい。
さぶーい。

友人のCDを探しに、近くのレコード店に行った。
タワーレコード一位という実績を持つユニットなのに、
インディーズは注文受けないとか…

「固いこというなよ」と心に棘を持ちながらも
浅草らしいと言えばらしいか…などと
早々に諦めた。

浅草を離れて探すとしよう。

今日もひとつ得した気分

最近、夜更かしが続く。
といっても、たかが知れてはいるけれど。

夕べは、パソコンに向かいながら、NHKアーカイブスを見ていた。
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2006/h070311.html#02

ドキュメント人間列島「64歳の新人医師」という内容だった。
27年間の教師生活にピリオドを打ち、50を過ぎて、京大医学部を受験し、医師国家資格を8回チャレンジし、
見事合格する。
その64歳の研修医生活を追ったものだった。

84歳の天寿を全うするまで現役で頑張ったと言う。

見るつもりではなかったけど、その情熱に引き込まれ、
魅入ってしまって、仕事どころではなくなった。

学生時代の同級生との対談のシーンがあった。

かたや、老齢の押しも押されもしない病院長。はじめから医学の道を行った彼の友人であり、
かたや64歳の新米医師である。

全くの同い年ながら、容姿も体力も覇気も全く異なって見えた。
老いという時間を享受していく者と、
夢を実現していく情熱の時間の違いがそこにあるように見えた。

その格差に夢を持つことの大きさを如実に垣間見た。

ひとつ教えられた。
得した気分。

灯台下暗し

自転車で郵便局に行く途中
近くに発見。

元居酒屋の店内を所狭しとパーツで埋め尽くし
体を折り曲げて作業をしていた。

話しながらも、決して手は休めなかった。

去年の夏に開店したのだとか。
30年を越える趣味が高じて、はじめたのだそうだ。

昼間はバイク便を本業としているから、夕刻からの開店なんだとか。
なるほど!どうりで、開店中に出くわさなかったわけだ。

けっしてお世辞にも、「綺麗な」という形容詞は使えないとしても、

2階を埋め尽くす、フレームやパーツの数々には、

好きでなければ、集まらないだろうことが、
同じ好き者として、びんびんと伝わってくるのだ。

店主の情熱に、感じいることしきりだった。

消費者の立場に帰って、改めて教えられた。
我が店はどうだろうか・・・

心のトレース

ALS(筋萎縮性側索硬化症)
久しぶりに、テレビのドキュメントを介して目にした。
NHKの人間ドキュメントのなかで、
少年期に心を開かせてくれた友人に、
己が僅かな余命の間に逢いたいとして、探し出すノンフィクションであった。

自分がALSを始めて知ったのは、30年以上前のことではあるが、
当時は、名前すら知らなかった。
とにかく奇病としか告げられなかった。

次にその病と出会ったのは、
親しくしてくださった、お坊さんが寝たきりとなった。

頭の良い方であっただけに、
本人も、介護する側も口で言い表せない苦悩であったろう。
人生の理不尽さを、心底感じた記憶が今も残る。

科学の進歩著しい現代にあってもなお、
解明されない、病に苦しまねばならないのかと、
目頭を熱くした。

愛する人が、人が人として生きる最低のラインを下回ったとき
周りはやさしくなれるだろうか…。

いや、そうならなければならないのだろう。
そしてまた、知ったものは、
わが身に当てはめてトレースしていくことが必要なのだと思う。

一枚の表紙絵

前から気になっていたことがある。

上さんが塾の講師をしていることで、
隔月購読している本がある。

塾ジャーナルという情報誌なのだが、
問題はその表紙である。

http://www.manavinet.com/book.html

読み始めの頃、へーこんな本があるのか…
関心があるのでもなく、自然に表紙に目が落ちたのだ。

「ホー。市電か…珍しいな」程度の驚きだった。
回が重ねていっても、チンチン電車の表紙は、
よく書き込まれた、雰囲気のある絵のシリーズだった。

しかも、手抜きがない。
好きな人間どうしには感ずる何かが、
オーラのような何かが表紙絵から出ている。
どういう作家か興味が湧いた。
が、が、が、
調べていたが、いっこうにつかめない。

灯台下暗し。
ようやくネットで検索することを思い立った。

一発回答。
「鈴木城氏」がその作者名だった。
神戸生まれ金沢美工大後教師を続けられている。
神戸市電の本も出版されたようだ。
なるほどね。

どうりで…である。
この描写が生まれる訳がわかった。

と、書きながら、一つ気付かされた。
「いい仕事する為には、愛が必要なんだ」
好きを越えて愛情を持って仕事に向かうとき、
伝わるものが生まれるんだろうなあ。

そういう仕事をし続けたいね。

やっぱりお客様は慕わしい

とても、慕わしいお客様の来店の多かった一日だった。

ネットのお客様が、リアルのお店にご来店いただけるのは、
何ともいえない喜びがある。

はじめまして、いつもありがとうございます
が、この世界のご挨拶になる。

すでに、ネットの中ではお得意様だから、
どういう方かは、よく存じ上げている。

ただ、五感のうち、視覚でしか捕らえていないから、
あと四つの感覚(まあ味覚は当然抜くから三感となる)が残っているわけで
お店で再会するという構図なのだろう。

昔、小中学時代、流行った「文通」とよく似てはいる。
しばらくやり取りしていると、「写真を送って下さい」というようになる。

そこで、交際の終る率は高い。
しかし、そのフィルターを何とかクリアーすると
今度は実体と会いたくなってくる。

とにかく一番写りの良い写真をお互い送りっこしているのだから
お互い悩む・・・こともあっただろう、と思う。

この試練も越えて出会うと言うのは確率的には、
夜店のコルク鉄砲で、商品を打ち落とし、
勝ち取るより低かったのではないだろうか。

前置きが長くなったが、
ネット商売をしていて、お客様の来訪を受けるのは、
得もいえず嬉しいことである。

S女史の訪問をいただいた。
ちょうど目黒のY氏の訪問をいただいていた最中であったので
立ち話しとなってしまったが(ごめんなさい)。

お土産をいただいた。驚いた。
今、一番欲していたものだったのだ。

以前、立正佼成会とお付き合いさせていただいているときは、
躍進の本によく特集されていた世界宗教者平和会議のニュースだったが、
今は、うわさを聞いても、それを知る術を知らなかった(ネットがあったんだよね)
http://www.wcrp.or.jp/

女史がお身内と参加されたことを以前知り、うらやましがっていたぼくに、
記念誌を持ってきてくださったのだった。

ほかほかの記念誌だ。

お身内のS師も何千人という参加者がいる中から選ばれて、
どアップ写真が掲載されていた。

法に厳しくも慈悲心の師ゆえ、そのオーラをカメラマンは、
見逃さなかったのだろう。

世界の宗教が一同に会するこうした運動には、
心から感服する。

日頃は紛争地帯の心ならずも敵同士となる宗教者も会していると聞き
なお、感動した。

教え(文化)の宗(もと)なる宗教間が、こうして融和していくのだから、
文化、政治、経済においても融和していくであろうこと、

そうした顕在化が一刻も早くなされることを
心から願うのは、Booのみではなかろうと思うし、切に願う。