やっぱりお客様は慕わしい

とても、慕わしいお客様の来店の多かった一日だった。

ネットのお客様が、リアルのお店にご来店いただけるのは、
何ともいえない喜びがある。

はじめまして、いつもありがとうございます
が、この世界のご挨拶になる。

すでに、ネットの中ではお得意様だから、
どういう方かは、よく存じ上げている。

ただ、五感のうち、視覚でしか捕らえていないから、
あと四つの感覚(まあ味覚は当然抜くから三感となる)が残っているわけで
お店で再会するという構図なのだろう。

昔、小中学時代、流行った「文通」とよく似てはいる。
しばらくやり取りしていると、「写真を送って下さい」というようになる。

そこで、交際の終る率は高い。
しかし、そのフィルターを何とかクリアーすると
今度は実体と会いたくなってくる。

とにかく一番写りの良い写真をお互い送りっこしているのだから
お互い悩む・・・こともあっただろう、と思う。

この試練も越えて出会うと言うのは確率的には、
夜店のコルク鉄砲で、商品を打ち落とし、
勝ち取るより低かったのではないだろうか。

前置きが長くなったが、
ネット商売をしていて、お客様の来訪を受けるのは、
得もいえず嬉しいことである。

S女史の訪問をいただいた。
ちょうど目黒のY氏の訪問をいただいていた最中であったので
立ち話しとなってしまったが(ごめんなさい)。

お土産をいただいた。驚いた。
今、一番欲していたものだったのだ。

以前、立正佼成会とお付き合いさせていただいているときは、
躍進の本によく特集されていた世界宗教者平和会議のニュースだったが、
今は、うわさを聞いても、それを知る術を知らなかった(ネットがあったんだよね)
http://www.wcrp.or.jp/

女史がお身内と参加されたことを以前知り、うらやましがっていたぼくに、
記念誌を持ってきてくださったのだった。

ほかほかの記念誌だ。

お身内のS師も何千人という参加者がいる中から選ばれて、
どアップ写真が掲載されていた。

法に厳しくも慈悲心の師ゆえ、そのオーラをカメラマンは、
見逃さなかったのだろう。

世界の宗教が一同に会するこうした運動には、
心から感服する。

日頃は紛争地帯の心ならずも敵同士となる宗教者も会していると聞き
なお、感動した。

教え(文化)の宗(もと)なる宗教間が、こうして融和していくのだから、
文化、政治、経済においても融和していくであろうこと、

そうした顕在化が一刻も早くなされることを
心から願うのは、Booのみではなかろうと思うし、切に願う。

回転寿司

友人のサイトで紹介していたので
つい手を出してしまった。

「回転寿司占い」なんて言うから
寿司好きの僕としては、黙って見過ごせない。

http://moura.jp/uranai/sushi/index.html

何度やっても、「いくら人間」と出る。

自分らしさを追及するタイプと出て止まない。
どうやら、今の仕事が適職のようだ・・・

ところで、趣味の一つ、本屋の立ち読みで、
回転寿司の秘密という暴露本っぽい本を見つけた。

この手の本は、立ち読みに限る。
(ついでに言えば週刊誌は、喫茶店の座り読みに限る…要するにゴシップ記事は買うに耐えないということなのだが、話ネタ程度のものと割り切っている)

何故、回転寿司のネタは安いのか?と言うのだが、
読んでいると、二度と行きたくなくなる。
代用魚がどうの、薬漬けがどうの、背筋が冷たくなってくる。
お寿司好きで、どれだけ食してきたと思うのか…

大方読み終わったところで小腹がすいてきた。

さあて…
回転寿司に寄って行こう。

鉄舟

昼過ぎ
懐かしいお顔。発見。
福島のS師。

東京に大事な会議に出られる、
その足で、わざわざ浅草経由で行かれるという。

以前に「「鉄舟」を再認識しました」とブログに書いたことを
覚えていてくださり、大事な資料を持ってきてくださったのだ。
ずっしり重い。

「とてもよくまとめられているから」とニコニコしながら渡して下さった。
共にいらした弥子淡さんのうんうんとうなずく姿に
ほほえましさも感じながらも、
鉄舟の精神性を学ぶバトンを
渡されたような緊張感をも同時に感じた。

「これも良かったら」って
S師が書は、まさしく筆が踊っていた。

僕には、同列の宝物だ。

いつまでたっも・・・

我が家は、結婚してこのかた、
「肥後米」以外めったに口にしない。

母の田舎は「ささにしき」の本場であるのだから
もともとは当然、ささにしきファンであったのだが、

結婚して此の方、すっかり好みが変貌した(させられたが正しいかも)
まあなにより、それまでは「肥後米」の旨さを知らなかったのだから
しかたないと思っている。出会いとは恐ろしいものである

関東以北では「肥後米」そのものを、口にしたことがない方が
多いのではないだろうか。

調べてみると、明治期、特に江戸時代までは、
米の相場を決める重要な基本米だったことを知った。

また、江戸にも多く流通していて、ごく一般的なお米であったようだ。

味は、南国育ちであることも影響するのか、ねっとりとして少々時間がたっても
新米の気負いは消えることがない。

もっとも、エンゲル係数のグット高い我が家では、
一ヶ月の山を越えたためしがないのだから、計りようもないのだが。

けれど肥後米が本領を発揮するのは、冷めてからである。
一日以上経って、冷飯になった時の食感のよさは、比類がない。

米の宣伝をしようと思ったのではないのだが、
そんなお米を、せっせせっせと田舎から送り続けてくれている。

親は、いつまでも親であり続けるんだなあということに気づかされるのだ。

昨日送られてきたお米をふと見ると
ビニール袋を透けて、赤い帯がのぞいていた。

50を越えた子供も、子供は子供。

改めて親のありがたみが沁みる、一封だった。

これが噂の・・・

朝「夕張に持って行ったらキムタクのパンと喜ばれた」と朝ズバの
司会者の言葉に乗せられて、ついフラフラと・・・
胸ドキドキにあけてみれば、
なあんだ、ただのカレーパンじゃないの。

あ!このビニール袋が貴重なのね。

ミーハーが経済の砦と開眼

多いなあ

いやでも(っていうことはないけれど)
毎日、お金の顔を見る。

小・中学生の時代は、コイン小僧だった
こよなくお金を愛していた。

お札の顔を見るのも数えるのも好き。

古物商、古銭商を見て廻わるのが趣味。
そこの店主には、何故か可愛がられることが多かった。

あのまま大きくなったら、
守銭奴と言わる人間に間違いなくなったことだろう。
子供時代までは、確かにそうだった。

残念ながら、その心はどこかに置いてきてしまったのだが…
デザインとしての紙幣は、今でも見ていると楽しい。

そんな目で見ていると、
お札の痛みがとても激しいのに気付く。
破れた札がここ最近、本当によく目にする。

モラルが低下していることが原因かもしれないぞ。
老婆心がそう思わせる。

[人のモラルと通貨] なあんて、
そんな統計をとっているところがあれば、読んでみたいものだ。

夢仕事

夢の話。

夢の中で、懸命に大念珠を製作していた。
握りこぶし大の平玉を連ねた108玉の本念珠。

前も見たような光景。
前も同じことをやっている。

以前より一回り大きい念珠だった。
修験者か霊能者かなんだかの競い合いに使うという。
親しい人のようだった。

何を競うのか知らないけれど・・・。

とにかく相手が待っている。

一刻も早く仕立てないといけない。
あと、5玉。あと4玉…3…2…1終了。

全部の玉を通し糸(糸といっても綱引きに使おうかという代物)に
通し終え、いよいよ最後の結びに入ろうとした。

けれど…
「あれ?結べない」

糸が短すぎるのだ。おまけに太いからよけい結べない。
「え゛~」冷や汗を出しながら必死になっている。
細い絹糸で、結束しようともがくのである。

どう考えてみても無理な話だ。

それが、それが、である。
「ガンバレーぼく」と念じると
不思議や不思議、スルスルと糸が伸びるではないか…
ホッとしたところで目が覚めた。

夢でまで仕事をするぼく。ガンバレー。

粋と無粋

英語が苦手なくせに興味があって
NHKのしゃべらナイトをちょこちょこと見ている。

商売上、海外のお客様の対応に困らない為、
必要に迫られという事もなくもない。

でも強制的に勉強するのでは、全く身につかない。
面白いが一番なのだ。

今日の番組には、日本に住む著名外国人による、
フリートークで、日本の良さをディスカッションしていた。

日本は世界に誇れる良さを限りなく秘めている。と分析していた。
日本人よ、もっと自信を持て。とも主張していた。

彼らが日本に感じる魅力の一つに、「粋」ということをあげていた。
少々驚いた。

禅宗の修行も考えると粋の世界の極みだ。
青い目の禅僧はかなり多い。

何気なく「粋」とは何かを調べてみた。
広辞苑には、
「気持や身なりのさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気をもっていること」
また、「遊里・遊興に関して精通していること」と、
わかったようなわからんようなことが述べられていた。

僕なりに考えると「内に秘めて平然を装う」姿に粋を感じること。果てしない奥行きを持つ個の確立した人格を想像した。

粋に対する反対は、無粋だろう。
無粋つまり、「粋で無い」「粋が無い」

やたらとあるものをひけらかす。
金であったり、能力であったり。
また、場の空気を読めない、気配り出来ない人間、

古日本人は、それを無粋といった。

外人たちが、日本にあって海外にない「粋」に興味を持ち来日する。また伝えたいという。

その日本人が、拝金主義、に陥り、粋を捨てている。
抑制の方法を知らない欲望は、味噌もくそも手中に収めようと画策する。行き過ぎた欲は、相手の命をも奪うをよしとする。無粋の極みなりだ。

粋の中に生きていたら、己の了見というものを見極め
必要以上に求めることはしない。

自己主張もいいのだが、無粋にならぬ程度の控えめさは遺したい。

貧乏人の小倅のせいか
「武士は食わねど・・・」の中に
今だに粋を感じる。

春がやってきたよ

10時少し前、開店準備に小走りで店に向かう。

シャッターの前に、見覚えのあるお日様のような方が待っておられた。
よく見ると福島のS師。
そこにおられるだけで、小太陽のよう。
ぼくよりお姉さんのはずなのに、身のこなしが軽やかだ。
それだけでも、パッと春の陽光があたり、春風が吹いた。

何やら大きな荷物をかばんから出され「はい」と、
手渡されるや否や、挨拶もそこそこに「用事があるので」と、その場をあとにされた。

そーと開けてみた。

春が詰まっていた。

こーんなに、心のこもった「春」は、久々だ。
いつも驚かされてしまう…