盆提灯を見ると思い出す。

盆提灯に明かりが入ると
夢幻を感じる。

と同時に、「ほっ」と、僕の心が一息入れる音が聞こえる。

癒される。

この仕事を始めた頃、ある出逢いがあった。

仕事一筋の男性だった。
お仏壇を購入してくださり、お伺いすることになった。

その方は、奥様と二人暮しだった。
ただ、人と違うのは、奥様は意識がなかったということであった。
仕事一筋の企業戦士だったご主人は、
家庭を顧みる余裕すらない中、奥様が、家を切り盛り
典型的な企業戦士の家だった。

ある日、その奥様が倒れられた。
会社を辞め、自宅療養を余儀なくされた。
そんな時に出逢わせていただいたのだ。

初めて伺ったときも、寝たきりとなられた奥様を
かいがいしくも一人で、お世話されていらっしゃった。

二度目の訪問時は、仏壇を納めたとき。
同じような光景を横目に見ながらも
なにより意識のない奥様の下の世話までなさりながら、
ご主人は嬉々としてお世話をされていた、その働きように
心底感動した。

その数年後、
あまりにも急な昇天であった。

弔問にお伺いした。

内心、大変なお勤めから開放されたことで、
多少はホッとされていらっしゃるのでは?

などと、心のすみに思いを持っていた僕は、
心から侘びを入れなければならなかった。

正直、恥ずかしかった。
認識を改めさせられることとなった。

ご主人は四十九日間を文字通り「裳」に服しておられた。

線香を24時間いや、49日間切らすことなく焚き続け、
家を空けることはなかった。
天国の妻に聞かせて上げるのだと言い、
仏教書を読みふけっていた。

そんな薄暗い部屋の中に、
霊前灯の明かりが薄ぼんやり周りを照らしていた。
印象的だった。

亡き妻に手向ける夫婦の絆を見た。

励まそうと訪ねた僕のほうが、胸を熱くさせられ、
ひとつ灯火を持ち帰ることとなった。

ジンクス

雨が断続的に続いている。
明日は、仏壇の納品が待っているのだが、
必ず晴れると信じている。

全く心配していないから、雨具の用意もしない。
少なくとも仏壇を家に納める時だけは止むだろう。

僕のジンクスは、20年破られていないのだ。
明日が楽しみだ。

雨に考える

とっても不思議な日。

雨は、人を選別してくれるみたい。

天気がよく、人の出がよければ、浅草という観光地は好立地となる。
それに伴って、入店してくださるお客様もがぜん多くなる。
それはそれで、新しい出会いの場が醸造されて楽しいものである。
じゃあ、それが、売り上げにつながるかと言えば、必ずしもそうではない。
これは出逢いなのだとつくづく思う。

個人的には、人混みは避けたい口だし、
ただ、お客様をマネーの対象に見る商売の仕方は、
身震いするほど嫌悪感を感じてしまう。

「損得より善悪を考える商売をせよ」とは、古人の言であるけれど
当を得ている未来永劫の原則だと思う。

商売をし始め、少し慣れてきた頃のことを思い出した。

商売スタート当初は、全く未知の分野であり、
対人(嫌)恐怖症に近くもあったのだからおのずと、
薄氷を踏むような仕事ぶりであったはずだ。

そんな、恐る恐るお客様に接していたものが、
多少の自信がつくと、やる気満々が度を越して
かなりの増長慢になった時期があった。

何をやってもうまくいくのだ。
そんなときの自分は、
お客様を見ると、一目で心のうちが、伝わってくる。
何をしたいのか、家族構成は、血液型は、出身地は、懐具合は・・・
何もかもが、心に浮かんでしまう。
それをそのままお伝えするだけで、
成約につながることが多かった。

不思議な話しだと思う。
人間そう単純ではないらしい。
また、慢心にはちゃんと、奥底にある良心が警告をしてくれるようだ。

いつのまにか人の顔をみると、相手のお財布が優先するようになってきていた。
そうすると、徐々に、商売そのものまで嫌気がさしてきた。

「おはようございます」と挨拶すると、この方はいくら持っている。
と顔が円に見えてしまうのだから、これはショックである。
たまったものではない。
縁を大事にしたいと始めた仕事が、円を先に考えるようになっていた。
唖然とした。

このままじゃいけない。
あせればあせるほど空回りしてくる。

結果、一切、手を引いた。

一からやり直した。
この経験がありがたいと今は思える。
僕にとっての商売とは・・・と、心底、心に焼きついた。

歴史

子供の時から歴史物が好き。
世界史より日本史が好き。
特定の人物と自分を重ね合わせて読むのが好きなのだ。

でも、最近になって、若いときの読みかたでは得られなかった、
歴史が、ぐっと身近に感じるようになった。

明治維新も江戸時代も鎌倉時代も平安時代も・・・
ぐっと近づいてきて、当時が生きいきと感じるようになってきた。
なぜだろう。

考えてみた。

今、51歳。言葉を替えれば半世紀。
これの倍生きれば一世紀。

ということは、その4倍で江戸時代。
その9倍で鎌倉時代・・・

あ。たったそれだけなのだ。
と、換算値が身近になったためなのかもしれない。

歴史は断片じゃないんだよね・・・
連綿と連続しているもんなのだ・・・

当たり前なことなのだけれど、
今更と思われるかもしれないけれど、

妙に実感させられているのである。

神の国

いつも行く喫茶店で、昼食のカレーをワフワフしながら、
ニューズウィークを斜め読みした。もちろん日本版だが。

日本のスピリチュアル熱について特集を組んでいた。
面白かったのが、「日本人の宗教観」について。

日本人は、神道の行事をこなしながら、
葬式は仏式で、結婚式はキリスト教式で行なう。
こうした感覚は、一神教の外人には不思議でならないのだという。

まあ日本人である自分も度々、不思議に思うのだから、
致し方ないかとも思った。

まあそこまでなら、よく言われていることだから、
「そうだよ」と答えるしかない。
想定内の話しだったが、
次の文章には、少しばかり考えさせられた。

「それほど多くの宗教を取り入れていながら、
人生観に影響するほど、宗教によって救われたと思う人はいない」

思わず苦笑した。

「また、信仰の力なしにひとつの国が、
うまく機能していることには好奇心をそそられる。

神がいなくても人は善良な存在でいられることも不思議でならない」

これは面白い感覚だと思った。

まあ、褒められているのか、
けなさっれているのかよくわからない文章だったけれど、

日本人は、八百万(やおよろず)の神々の住む神国で、
深遠な民族性なのさと答えたくなった。

原点

お客さまからのご依頼で、
ろうそくのページを急きょてこ入れしました。

http://www.nenjudo.co.jp/page/mituro.html

ページ全てをリニューアルしたかったものだから
どんどん後回しになって、工事中のまま、
1年以上ほっぽらかしのままになっていた。

尻に火がつかないと動かないようになってきてしまった…

あ!っと、そうじゃなかった。
そうじゃないよ。

足元に火が廻らないと動かないのは昔からなんだ。
動かないから、動くように、火をつけて廻ったんだった。

後悔しやすい人だから、後悔できないように、
渡った橋を落としてきたんだった。

付和雷同だから、前しか見ないようにしてきたんだった。

初心を忘れちゃいけない。

お客様のおかげで、
また、原点を思い出させてもらった。

パラオ

1日。
写経の日でもあったのだけれど、人に頼んで靖国神社に走る。

九段下の地下鉄出口から表に出ると、
青葉に溢れている大鳥居が目に付いた。

新芽の青い匂いは、
若いときはいやでしょうがなかったけれど、
今は、命の精気を感じて、なぜか力が出てくる。

もう桜も散って青葉が目にやさしい。

鳥居をくぐるとバスが10台以上留まっていた。
右翼の凱旋車にしてはおとなしいし、時期が違うなと思いつつ覗き込んで見ると、
「生長の家○○教会」遠いところは・・・オー。広島からの参拝だ。

忙しいとこぼしていても都内にいて、足をちょっと伸ばせば、
苦もなく来れる距離にいることは、なんと恵まれていることか。

浅草なんて近い近い。

今日の参拝記念は、乾菓子でした。

いつものように遊就館。

ちょうどパラオ展が開かれていた。

第一次大戦後31年間統治し、
教育や産業の振興に他の国に行なったように、
力を注いできたことも知らなかった。

国民の日本人への好感度は今でも高く、
その国旗やパラオ語になった日本語の多さにあらわれている。
約束、切手、電報、独立、恋人、寂しい、誕生日・・・etc

日本とパラオの関係がこれほど深いことをとを知らなかった。
浅学だなあ。ほんと。

見終わると、パラオに行きたくなっていた。単純な男。

駆け足で、見終わる。
飯田橋駅に向かう。
初めての道順で、方向音痴なので途中、地図を見い見い、
それでも見当ハズレになりながら歩く。

地図を見ると、○○坂というのがすこぶる多いことに気付かされた。
謂れを読みながら全部の坂を歩いてみたくなったが、ちょっとかなわない。

二合半坂を下りて富士見町をすり抜けて、駅に無事たどり着いた。

ドキュメントから

早朝の(世間的には真夜中の)番組に、
若年性認知症のドキュメントをやっていた。

途中からだったので、2例だけだったが、
一人は経営者を旦那に持つ主婦、
もう一例は、技術職の60代の男性だった。

女性はまだ軽い段階だけれど、
文字が書けなくなったのが一番のショックだったそうだ。

それはそうだろう、昨日までなんの苦もなく帳簿を管理していた人が、
突然字を書けなくなるなんて。想像するだに恐ろしいよ。

次の例は、奥様との二人暮し。
技術系の会社を経営していたご主人が、
この病気と診断されて、苦渋の選択で会社をたたむ。

奥様すら思い出せないときもあるほどに悪化する。
徘徊を始めたのが限界で、介護施設に入ることになる。

その前後をルポしていたのだが、もう目が釘付けとなる。

夫婦間で二人の間でしか読めない空気を読めなくなって、
共通の思い出も失い、最期は「いつもいるけど、あなたどなたでしたっけ?」

などと言われたら、自分ならどうなるだろう…

2例目の男性にあっては、技術屋が、ある日から、
急に図面が読めなくなったのだそうだ。

これは、ショックが大きい。

さしずめ僕の仕事なら、念珠が作れなくなるとか、
お金が数えられなくなる。
とでも言うことか…(喜ぶ人間もいそうだが)

これは、相手を理解しなければと思っても、
受容するのは、なかなかきびしいな。

というのが本音。

でも、病にかかった当の本人が、
何より苦しんでいることをこの番組の中で教えられた。

コピーをとるために機械のある二階に行くと、
「あれ?何しにきたんだっけ」を繰返すようになったり、

「あのときのあれは、あれしたっけ」式会話が増えてくる昨今、

決して人ごとに感じなくなりつつあるBooなのであった。

思いと行いは違うもの…

ここ3日間は、天候が思わしくないせいか、
お店もガーラガラ。

今日も、あまり天候は冴えないと知る。

なら、これもやって、あれもやって、ついでに、
いつも手が出せないで、上さんから「まあだ」
と、言われ続けているポスターの原稿も作っちゃおう。

朝、家を出るときは、資料を両手に持って店に出かけた。

午前中、まあ予想通り、お客さまも少なく、順調にこなせた。

それでもお客様で中座する時もあり、
そのたびに、画面を隠してリアルの仕事に戻る。

接客の仕事から戻ると、前の仕事を忘れて、
新しい仕事を始めてしまう。

あせっている。

しばらくパソコンの前に座っていると、

また、中座。
席を暖められないまま、そんなことが続いているうちに、
もう店を閉める時間。

気が付けば、何一つ終わらせていないことに気付いた。

電気を落とそうと、パソコンを覗くと、画面の中に、
ぎっしり中途半端な資料が、次の順番を待っていた。

ごめんね。今日はここまで。時間切れ。

友、逝く

友というには申し訳ないほど年上なのだけれど…
20年近くお付き合いしていた、
高岡銅器の卸元の営業が亡くなった。

彼の代わりに営業に来ていた、
若社長の報告で初めて知った。

去年の早春、時ならぬ雪のなか、
高岡まで見舞いに行ったその人だった。

自分のオヤジのような歳だった。

古いタイプの営業マンで、とにかく取引先に尽くす人だった。

物を売る前に、まず相手の声をよく聞いた。

合うたびに、昔はね…と懐かしそうに、
夜汽車に揺られ高岡から上野まで重い荷物を抱えて、
営業に来ていた話をするのが彼の定番だった。

職人よりも仕事を知っていた。

否、
「知る努力を惜しまなかった」と、言うほうが正しいだろう。

だから、職人でもない営業マンの彼の要求には、
頑固職人たちが、いとも簡単にうなずくのを見た。

仕事とはこうするもんだよと教えられた気がした。

二周りも三回りも年上なのに、小さなことにも、
全身で感動することを忘れなかった。

強面の顔がそのときだけクシャクシャになって喜ぶ。
その落差が面白かった。

「会社では、うるさいと煙たがられていますよ」と、
いつもこぼしていた。

そうだろうなあと僕も思った。
彼の営業マンとしての周到さや研究熱心さは、天下一品だった。

後輩がついてこれないのも当たりまえと思いつつも、
「大久保彦左衛門だね。そういう人が必要なのよ」といつもからかい励ましていた。

妙に気が合った。

「高岡に泊まりに来てよ。魚が美味しいからさ」と、

自分がでかい魚を吊り上げた写真を見せびらかしながら、
再三再四、聞かされた。

あまりにも僕の腰が重いので、最後には、
「じいが死んじゃったらどこも案内してあげれないじゃない」
と、冗談交じりの本気とも取れる言葉を口にしていた。

約束を果たせたのは、病に冒され、入院した
去年の早春が最初で最期の訪問だった。

自慢のクルーザーに乗せてもらうことも、ついにかなわなかった。

海の音が玄関先まで聞こえて来るんだよ…
泊まりにきてよ…