ちいさなことだけど

もともとデスクワークがいやで、
土木技術者の道を選んだ。

山野に囲まれたくて、
自転車趣味を選んだはずなんだけれど・・・

どういうわけか、気付くと都会のビル群に囲まれ、
窓を開ければ、隣の窓に飛び移れそうな下町にあって、
お店に一日はりついている。

考えれば考えるほど「?」が百も千も浮んでは消えていく。
縁の不思議さを噛みしめる。

自然にどっぷりつかるのは何より好きなのだ。
いつかは、海の近くに住みたいとも考えるが…

こんな都会の真っ只中だけど、
ここに暮らすと、些細な変化でも敏感になるのがわかる。

ネコの額の自然が微妙に変化する。
その様がすばらしく変化に富んでいるように見える。

小さな命が、懸命にアスファルトの切れ目から、
敷石の継ぎ目から、
植栽の合間に…と、ところどころ顔をのぞかせる。

人工的な中にも自然に回帰しようとする命に
ついエールを送ってしまう。

ラベンダーが植えられた雷門前。

なかなかいい

ご注文いただいたものだけど
自分で作りながら、なかなかいい(^^ 自画自賛?

六本取りのオリジナル編みを施している。

オーラ

新宿区のKさんは、
カイロの草分けの一人

80歳をこえてなお現役で東京近辺の患者さん宅を走り廻る。
小さい体に似合わず、人の倍のスピードで、
サッササッサと歩いて、あっという間に見えなくなってしまう。

「お元気ですよねえ…」
いつもの一言をかける。

朝ごはんには文字通り、ごはんを食べて一日中、外食はしない。

会うたびに力をもらえる。
体中からの、オーラがまぶしい。

自分もあと30年。
同じように活動できるかな…

歳重ね

商売柄、仏壇屋というのは、お年寄りとのご縁が多い。

もともと人の話を聞くのが好きだから、
苦もなく…というより興味深々で、その方の人生を聞きたくなる(時間の許す限り)

自分の人生は、まあ…せいぜい…よくて80年と思っているけど、
お年寄り(と思うことはないのだが)の話を聞くということは、
相手の人生のエキスを短時間に経験させていただける、
ということを意味していると思う。

プラス云十年。また他の方の話を聞けば、プラス云十年・・・
と、歳を加算できる気がしてならない。

そう考えると、自分は妖怪のような年齢になってしまうのだが、
今だ元気だ。

だから、聞けるときは、同調できるよう、
話しの環境にすっぽり入るようにする。

喜怒哀楽すべてに周波数が合うように。

中途半端だと聞き逃してしまう。

真剣勝負だ。
相手の人生の山谷をトレースしたいと思う。

昨日の元特攻隊のMさんの話もそうだった。
今日は93歳のおばあちゃま。

かくしゃくと一人で浅草経由で西新井大師に出かける。

「あんたんとこが好きなのよ」
と言って、小一時間浅草の昔話をして帰る。

誠に楽しい。
いったい幾つ歳を重ねただろうか。

昨日は、仲良くさせていただいている智鏡師のご縁で
よい出会いをさせていただいた。
御歳82歳になられる元特攻の隊員の方だった。

僕にとってのひと月は、靖国神社参拝からはじまる。

身内に戦闘員としての戦没者が見当たるわけではないのだが、
15年前から、よほどのことがない限り毎月続けてきた。

昇殿参拝を終えると、遊就館にほぼ定期便のように通う。
そして、命の言葉を読み返し、帰る。
常設している命の霊簿帳をいつもめくっては、
自分と同姓をいつも探すのだ。

上さんの故郷熊本近くで、同姓の津留何某命は見つかるが
僕の家計の名は見つからない。

近いお名前で「新海」という名に親近感を持った。

「新海希典少尉」
特攻のコーナーに遺品も展示されていた。
説明書きも読ませていただいた。
「恩人と同じ名前か…」

ここに来るのは初めてとおっしゃっていた
アサヒビール最上階の小じゃれた喫茶店で、
元特攻隊員の前村氏とお話しをさせていただきながら、

その口から「新海少尉が戦果確認機で僕の機を含め4機で飛び立ち
ながら死ななくてよい方が先に亡くなった」

と、耳を疑う名が飛び出した。

新海氏は上官であったのだという。

(ネット上に戦記を見つけ読み返してみた)
http://ysptclub.rithosts.net/ktftw/maemura2.html

よく聞けば、前村氏と数人の戦友が、元上官の遺品をご苦労の末、
靖国神社に奉納した経緯を語ってくださった。

「僕が今の会社を設立するとき、多大なバックボーンになってくださった方がいた。
その方も新海という方だったんですよ。」

話しは盛り上がった。

心の中では、
「動かされた・・・」。

正直そう思わざるを得なかった。

非日常ということ

非日常ということ。

今日は、久しぶりにお休みを貰って、マイサンを一人選別して
ディズニーワールドに出かけた。

ディズニーランドは、工事中から
完成するのを待ちに待っていたほどだったのだが、
いざ出来上がってからは、数えるほどしか出かけたためしがなかった。

何より、サービス業としての見本みたいな
ここの経営スタイルを、

経営者研修では、何度も取り上げられていた。
際立っていた。

それだけに、アトラクションを楽しむと言うより
学びに行くことばかりだった、デズニーランド。

開園から20年を過ぎてなお異彩を放つ。

園内に入ると、何故かミッキー等のキャラクターにみな変身したがる。
やたらと目に付くミッキーの耳やかぶりもの。

冷静になって考えると、何故?
と考えたくなる。

大の大人が、尻尾を生やしてみたり、
クマに頭をかじられているようなかぶりものをしてみたり、
鼠の耳をつけてみたり、

日本人が子供っぽいとは言え、度を越えている。

不思議だと思った。

考えた末、
日常⇔非日常

この使い分けの中で、中庸を保っているようにも見えた。
スイッチングしているのだろう。

ゆえに、非日常時は、
徹底して「非」にならないといけないのだ。

なんとなく、うなずけた。
非日常は、大切なのだよね。

お気に入り

きれいな縞瑪瑙仕立の念珠を、
買い求めてくださったお客様がいらっしゃった。

僕のお気に入りのひとつで(写真を撮る前だったので残念)

販売担当の店の子に、
「売れちゃったの」
と漏らしたものだから、怒られた。

販売してなんぼでしょ。
と言いたいのだろう。

その通り。

けど…僕は、ダメなのである。

大切に使ってくれるかな…
よく出来てるのわかってくれているのかな…
etc…etcなのである。

考えると、なんでこう情が移っちゃうのだろうと思うこともあるが、
その分だけ、情を尽くしているつもりなのである。
しかたない。これがぼくなのである。
諦めている。

自分が創るものは、本当に気に入るまでやり直す。
職人に頼まなければならないものは、気に入るまでやり直させる。

出入りの職人や、業者さんは、たまったものではないだろう。

首を立てに振らないのだから。
この頑固オヤジは。

僕には、4人子供がいる。しかし女の子はいない。
よかったとつくづく思う。

こんな性格だから、
花嫁の父になったら、
さぞかし大変なことになってしまうだろう。

上さんからも、ことあるごとに揶揄されている。
神様はちゃんと考えてくれるようだと。

作るのはいいのだけれど・・・

まずこの写真をじっくり見てもらいたい。
持ち込まれた水晶玉を使って製作したものだ。

お気づきだろうか。

一見して、つないだ玉が、
九十九折れになっているのが判る。

玉の状態を見る限り入手先は海外。
お土産屋で、「お兄さんちょっとちょっと」と片言の日本語で、
「水晶、水晶」「安いよ」

すると、
「ん?水晶?これは安い!」
と思われて、衝動的に求められたのだろう。

現地のものは細い化繊の糸に仮通しされて500mm、600mmと
いうような長さに調整されて売られているはず。

それを本連の念珠にするなら何本と計算して
2~3本買ってこられるわけだ。

日本で買えばウン万円するから、
「これは安い」

人情だろうなあ。

けれど、いざ本仕立になると、それなりの糸を通す。

すると・・・
玉穴にきっちり通った中糸は、

玉穴のゆがみをものの見事に表現してくれることになる。

それが、この写真なのです。

気にしない人は気にしなくてよいのだろうが
僕は気になって仕方がない。

よく見ると、玉の直径も0.5~0.7mm違う
玉穴も、0.4~0.5mm程度誤差がある。
糸を通すと、ばっちりわかる。

これで仕立てて、何年もつかな…と思うと
とたんに手が進まなくなってしまう。

だから、最近は、「作っても、もちませんよ。すぐ切れますよ」
と言うことにしている。
本当は、どうするの?と言いたいのだが・・・

念珠は、プロに任せて欲しい・・・

という気持ちと、

価格の違いはちゃんと意味があるんよ。

と言いたいところなのだ。
けれど、「自分にも説明責任があるよな」と、
自戒も湧いてくる。

さあ頑張って、切れにくいように仕上げるとしよう。

写経

ホームページにこられるお客様の解析をしていると、
キーワードで写経が多いのに驚く。

少し前は、念珠や数珠が大部を占めていたのに・・・

写経がマスコミにもてはやされて、
さかんに、雑誌や新聞に取り上げられたのは3年位前のこと。

表向きの流行が過ぎると、マスコミは、見向きもしなくなった感がある。

が、どっこい違うんだなあ。