堆朱二題

漆を何度も何度も繰り返し塗り重ね固めたものを堆朱(ついしゅ)と呼びます。

層にした部分に墨流しの風合いが生まれて人気があるようだ。

ただし本漆を使用しての堆朱ではないようだが、制作方法は同じ工程を取って製品になる。

お店に展示しているのは古風な色合いの黒や紫、派手といっても堆朱の語源の古来からの朱色くらいだけれど、こういうのもありますよと見せてもらったのが本品。

お~~~~!思わず唸る。

口に入れたくなっちゃうよ。けどりっぱな堆朱。

いっそ腕輪にしたくなった。面白いだろうなぁ。

まだそこまでの冒険心には至らなかった。。。がどうだろう。

蛍光色を混ぜたら暗い夜道に交通安全に寄与できるんじゃないかなぁ。

なんてね。

これでも5、6万円するんだからね。

白檀平玉の応用

108本連の腕輪用にと思って磨ってもらった老山白檀の平玉だけど、老山がこう高騰しちゃうと108玉にするとえらく高価になっちゃうので半繰(54玉)にしてみました。

いっそ親玉、二天もポイントにしてみようかなと本翡翠を差し込んでみました。

王の石というだけあって貫禄は十分。

琥珀だと同系色でいいかも、一石飛ばしに小玉を差し込んでも面白そう、はたまた・・・次から次に想いつきが暴走しようとするのでいい加減にストップ。

基本は。このへんまでだよね。

老山白檀の二重腕輪

先日古いお客様から再注文を頂いて、当時念珠堂で作ったものと同じものをとのご指定。

検索をかけてみると平玉の本連腕輪だった。

なかなか思い出せなくて、玉の仕入れを見てみると、略式の腕輪を何本か潰して長いお念珠に作り直していたことがわかった。

当時もこの平玉がなぜかなくて職人に特別に磨ってもらっていた。

意識していない間に在庫は底をついていたので、お客様にはだいぶお時間を頂き、新たに玉を削り出した。材料がないかもという器具もあったのだが、先日老山白檀の平玉が手元に届いた。
とは言っても以前と比べると倍にもなる高騰ぶりっ子。以前は一万円そこそこだったのに2万円を超えてしまう。だんだんやりにくい時代になっちゃったなぁ。

そんなブーブーをよそに、えも言われぬかをりがTONの周りを充満する。

やはりマイソールの老山白檀だ。

親玉、四天を足すと標準サイズのTONの腕にぴったりサイズとなる。
いつもなら人口の腕輪なのだけど、今年の冬はこれで行こうかな。

四国三十六不動の腕輪

依頼されて製作いたしました。

迂闊にも三十六不動でこういう企画のあることを知りませんでした。

最近はありとあらゆるところで行われているので、営業的に言えば囲い込みと言うことになるのでしょうね。

だから、TONとしては内面的な耕しが気になるところです。

菊房と手毬房

昔ながらの菊房の良さは風合いの良さに尽きるかもしれない。編込んできた糸を利用して数百本の絹糸を束ねてうまく球体に整える。職人の腕の見せ所だ。

慣れないうちは糸が開かなかったり、結び糸を切ってしまったり、鋏ワークで丸める作業でいびつにしたり、はたまた束ねた糸を数本の絹糸で縛るときに、細い絹糸が指に(関節に)食い込んでめり込んでしまったりと小指の第一関節は夏でもアカギレ傷状態になってしまう。そんな苦労は案外知られていないなぁ。

菊房の弱点は球を作るために中央で縛っているだけなので、絡みやすい毛糸で作った珠ではなく糸同士が絡みにくい正絹糸(絡みにくいので戦前まではパラシュートに正絹を使用したと聞く)を数百本を縛る数本の糸の圧力だけで束ねるのだから、経年劣化で何本かの糸が抜けていくと崩れてしまう。法事の間、手持ち無沙汰に房をモミモミしていたら壊れちゃった経験は案外多いのではないだろうか。

一方、手毬房はもともとは猿の手と呼ばれる組紐の形の発展形。

小田巻、釈迦梵天、網梵天、いろんな名前を持っている。当店では手毬房と呼ぶ。

今は木玉を芯にして太い寄り糸を交互に重ねて作る。

手毬房の良さは何と言っても丈夫なことに尽きるだろう。固くて嫌という方もちらほらいるにはいる。菊房の風合いが感じられないがデザイン性といえばそうなのだと思う。何より丈夫が長所なのだ。

念珠堂ではどちらもお受けできます。