猿島坂東観音霊場の御開帳

猿島と聞いて浜っ子のTONとして思い描いたのは横須賀沖に浮かぶ無人島の猿島。
へ~猿島に観音霊場があったんだ~などと赤面してしまうチグハグな理解をしてしまった。
猿島と書いて、「さしま」と呼ぶ。あやうく頓珍漢な記憶となるところだった。
お客様からいただいた資料をもとに調査開始。

全国の霊場辞典で調べる。

ない。載ってない。あれ~?

載っていないよ。。。
成立は享保10年(1725)に下野の国都賀郡に生まれた雄弁上人が開創した。
これだけ歴史があるなら載っていないはずはないのだが、よくよく調べると
廃寺も多く、お開帳でもなければご朱印もいただけない無住の寺もあるようだ。
言い換えれば御開帳の時だから貴重なご朱印をいただけるということだろう。

行ってみたいなぁ。。。

洛陽三三所の出開帳 9日の日曜日までだって。

昨日お付き合いしている京都のお香屋さんの営業さんが挨拶に来てくれた。
そこで話題になったのが、何故自分たちが京都から今回出てきたかという事だった。
それが、このお寺の企画にくっついて物産展を行いますとのことだった『お砂踏み』お砂踏みと聞いてもピンとこない人も多いだろう。
様々な都合で巡礼やお寺のお参りにいけない方の為に、お寺の聖地の砂を持ってきて、それを踏んで分詞されたご本尊を拝めば現地に行ってお参りしたと同じ功徳が得られると言う信仰の形である。

で、浅草寺境内でお砂踏みを行い、自分たちは京都の物産を即売するという。その販売員としてきましたという挨拶だったのだ。
お砂踏みと聞けば結構大がかりなイベントだ。行かないわけにはいかないだろう。ただ、、、

出開帳もお砂踏みも京都を経由して知った。ようなもんかな。

お砂踏みのテントに並行して京都物産市が行われていた。当初、こっちが目的だったんだけど。。。(大きな声では言えないが)

面白いね。移動販売車(パンの移動販売くらいの大きさか?)にお香を積んで面白い売り方するね~。

で、TONは洛陽観音霊場を満願です。ハ・ハ・ハ。。。
これで時々仕立させていただく「洛陽観音霊場の観音玉」で創らせていただく念珠も遠慮なくできるってものです。

朝ブラ西に向かう

朝のルーチンはかろうじて守られているTON。

最近は川沿いのコースに厭きをきたし東向き(スカイツリー外回り)がもっぱらで、お日様に向かって挑戦する毎朝だったのだが今朝はどういう訳か足が勝手に西に向いて歩き始めた。上野はなぁなんて思っていたのに何で?招かれてしまったと言うべきか。。。

どうせなら上野のお山のいつもはいかない辺りを散策しようと決めたらさらに足の回転数に拍車がかかった。上野大仏で働くSさんの顔でも見ようかなと思うが時すでに早し。こんな時間に誰がいるっていうの?

黒門側から山に入る。
山と言っても岡なのだが、そもそも上野恩賜公園=東叡山寛永寺であって、ご維新にまつわる戊辰戦争によって寛永寺のめぼしい伽藍が灰に帰し、国⇒東京都(府)へ移管され公園として整備された。もとが寺の敷地だったこともあり、霊地の厳かさは抜けきれるものではないと言うのか、地面からわき上がる得も言われぬパワーはそれをついぞ思い出させる。
なかでも上野東照宮は霊地中の霊地と思えてならないTONなのだ。
参道の途中右側に五重塔が建っているが、寛永寺のそれと思っていただけに説明文を改めて四で東照宮に付随するものだったことを知った。
ご維新の神仏分離令によって数奇な運命の遡上となった五重塔で、取り壊しの憂き目にあいながら寛永寺に帰属替えによって延命し東京府に帰属替えという経過を辿りなんとその敷地は動物園のテリトリー上にあると言うのだからなんだか笑っちゃう。どおりで塔の正面に向かい鉄の柵で仕切られなければならないのだろうか?の疑問は今朝解決した。

立派な五重塔である。

入れないじゃん。

浅草へのお決まりコースで行くと、ここに出くわす。
銀座線の車両基地だが全てが1000形に置き換わっていた。両大師橋からJRの狭い線路を見てきた後だけに標準軌がやたら広く見えてしまうの仕方ないことだ。

誘われて、つい。亀戸天神。

ボウフラではありません。5月5日にちなんだあれです。あれ?

なんだと思う?うさぎは応えません。

普段は押上から北へは大通りしか走らないので歩きならです。

亀戸天神につきました。

浮世絵に出てきそうな構図。TON凄い!

モネの世界。

藤を見に来たんだけど、ブドウの芯状態のがが垂れ下がっているのみでした。

余分:スカイツリー駅近くの踏切。
開かずの踏切だったんだけどあと時間の問題で高架化おしまいだなぁ。。。
ホント!に町が変わりました。

四萬六千日というか今日はほおずき市。明日が本番。

神社は夏詣。寺はお盆。

朝が早いせいもあるかもしれないが屋台やほおずきの出店が少なく感じるのはTONの錯覚だろうか。

小学生がこの場を通って登校するのは浅草、っていう光景かな。

明日は観音様のご利益絶頂日の四万六千日当日となる。

今日より人手が多くなったら、大したものだと思う。
今日は日曜日。人手が多いのは当たり前だが、明日は観音信仰のメモリアルディだからだ。
ブラックマンディ…じゃない、ハッピーマンディの施策で本来の記念日が人の(経済の)都合で勝手に動かされて連休を生む方策とされたわけだが、記念日とはそういうものではないだろう!がTONの思い。これからの誕生日は〇月の第二週の金曜日ね。結婚記念日は〇月の第一火曜日にしたよ。誰が納得いくだろうか。そのうちめんどくさくなって雲散霧消するのがおちだ。

∴四万六千日は7月10日なのだ。これとて本当は旧暦で数えるのが本当だったりして。

牛島神社界隈

スカイツリーまでの道中は大手資本や自治体の手が入りすっかり変貌した。

東武電車の広大な基地のあったスカイツリーの敷地が今のように開発されようとはだれが想像できただろう。北十間川と隅田川との合流地点の枕橋からスカイツリーまでの電車の高架下はご存知であろうミズマチと名がつけられた商業施設となって枕橋あたりが昭和の頭まで東武の駅だった痕跡すら消えてしまった。
電車や車で通ったりすれば10分も満たない距離なのだけど、てくてく歩いてみると、ホーっと思わせてくれる歴史の痕跡を見せてくれる。

川の反対側(浅草側)に住んでいるとわざわざ牛島神社に詣でることもないのだけれど朝ブラブラの中でお参り方々覗いてみると、震撼とした社域は保たれているのに驚く。
貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建。というのだからなかなかの社歴である。
ご祭神は須佐之男命、天之穂日命、貞辰親王命
須佐之男命ばかりが目立つ。

須佐之男の命を祀る神社は牛とのご縁が深い。どこか艶かしい牛様。
狛犬は各神社見比べていくとなかなか面白い。
水戸藩江戸下屋敷跡地の公園。昔の日本庭園風の配置とはガラッと変わった。
おまけ。徳川家康の入府400年祭の記念カラーだったと思うスペーシアのカラーリング。今年も走る。

2023年元旦朝ブラ

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

全~~~く季節感を無くしてしまったようなここ最近の暮れ正月なのだが、今年(去年か)はさらに輪をかけた感があった。ただ、やり残しがあるようような焦燥感だけが仕事の原動力にはなっていたのが正直なところ。

それでも元旦の朝は若い頃からの習慣?からか初日の出に祈るなんて洒落た気分が湧いてくるのだからルーチンは大切に。だ。

でもそのルーチンも手抜きをした。常ならば、必要以上に早くに目を覚ませ、それすら体内時計で勝手に起きれたものなのだが携帯の目覚ましに頼って、スヌーズ機能まで起動させて2回目にやっと起きたのが現実。

いかんなぁ。。。と思いつつもさっと着替えてさっと出て行くところは憎い。

この時間に歩き出すのは久々だ。
たったか走れたときはいつも夜明け前だった。
膝と腰を気遣って歩きに変えてからは、夏でない真冬の季節、早足とはいえ汗が噴き出すには時間がかかるわけで、おひさまが顔を出してから始めようとなってしまった。
またいずれそのうち走れるようになるだろう。焦るな焦るな。

駒形堂6時半でこの明るさ。まだ夜明け前。今日は桜橋まででいいや。
しかし日は確実に長くなった。。。気がする。

おいお前!って

はい!初日の出。それでも予定の15分遅れだよ。都会の日の出は遅い。
人が多い。去年の三倍くらいはいるかな。

待乳山聖天の甍が神々しい。。。がよくわからないじゃん。
観音様内は人でごった返しているように見えますか?いえいえ本来なら今立つこの場所なんて押すな押すなで外にはじかれちゃうんでありますよ。

普通の祝日の参拝風景と変わらない。
元旦は日本の国旗が全ての店の軒先を飾り壮観だったのだが。。。
一方通行にならないね。どうやら午後から一方通行になったようだ。脇道からの流入雨も無理ですよ。ご注意あれ。
お参りは早朝に限ります。。。

コロナ禍の祭り

お見事!としか言いようのない光景だ。

朝のこの時間は活きのいい担ぎ手の連中で足場もないほど混むはずだったが。。。
三社宮神輿庫の鉄扉も固く閉められている。
雷門前がにわかにギャラリー的に多い。ん?なにかある。。。

当たり!

神様をお遷りいただいたお櫃がわが町内を廻られた。

本来なら神輿にて各町内を渡御されるはずだったわけで、そこが祭りの肝のような雰囲気になって今に伝わっているわけなのだ。

が、人は集まるなというのだから、こうなるのはごく自然のこと。寂しいとも声が出るのは人情として仕方のないことなれど、祭りの芯は宗教儀式として、浅草神社の神様となられている土師中知、檜前兄弟の神霊が浅草の氏子たちのもとへと、お行になられることとが本来の姿なのだから、形はどうあれこれで正解なのだ。

それを商売に託ける性根が間違っているというのだ。ろう。

けど来年は賑やかさが戻って欲しいな。

あなたのなせたことがきっかけで浅草はこんなに栄えていますよと報告できる活気さを見せて返してあげたいと思うのだ。が。

栄枯盛衰

栄枯盛衰は世の常。

古い浅草寺境内の写真や錦絵を見ると、多くの人は勘違いを起こす。五重塔を基準に本堂の位置を想像すると北と南があべこべになって方向感覚がくるってしまう。

それもそのはず、五重塔の位置は今と参道をはさんで反対側に建っていたのだ。

本堂は左奥。真ん中の大きな建物は今の宝蔵門。赤い矢印が江戸期の五重塔だ。

樹齢から見ればそれなりの年輪をもつイチョウの古木。火災の類焼を抑える役目とは言え彼の大戦の災禍は古墨も容赦なく燃やした。子供の小さかった頃はよくかくれんぼをした。子供が二人くらいならスッポリ隠れられる。

寺の裏側に回ってもイチョウの木が守る。

けど国宝の本堂は浅草っ子の目の前で焼け落ちた。昭和20年3月10日。東京大空襲。

浅草神社の玉垣を読みながら歩を進めると当時の栄えが目に飛び込む。

栄枯盛衰の博物館。。。

ここからだとわかりにくいけど、人はそこそこ多い。若い方たちが。

今朝の浅草寺

毎月一日は浅草寺境内をお掃除させていただいている。

ここ最近、靖国神社の昇殿参拝には行くことができないので、月替わりは浅草寺の朝課と境内の清掃で切り替わる感じがする。

けれど、このところの騒動で浅草の現状は静寂を保っているわけで今朝はどうだろうと内心ドキドキしながら本堂に向かった。

朝でも昼でもおんなじ光景の仲見世ストリート。。。