恵みの雨か・・・

毎月一日は早朝、浅草寺の朝のお勤めと境内の掃除。
一旦家に帰って仕切りなおして正装し靖国神社に向かい昇殿参拝することが日課と言うか月課なのだ。

が、清掃は本降りの雨に押切られて中止。
勤行が終わった後、仲間内でコーヒーを飲みながらの茶話会となり今年一年の反省会。のみとなり、締めのお参りと思っていた昇殿参拝も都合が付かず中止。

師走の靖国神社もなかなか風情があって、一人コツコツ歩いているのも頭が整理されて良いものなのだが。残念ながらその両方とも消化不良で終わってしまった。

ただ、いちょうは冷たい雨に呼応するように黄色を増して靖国境内のイチョウとリンクしているようだった。

故郷横浜の大通公園のイチョウ並木も画家の創作意欲を掻き立てるほどに、きっと美しさを増しているのだろう。

故郷愛に少々浸っているTONであった。

越後国一の宮

機会があるうちに行かしてもらおうと、新潟まで足を伸ばした。

越後国一の宮、弥彦神社。
「ヤヒコ」とも呼ぶが、正式には「イヤヒコ」が正しい。

弥彦も彌彦のほうが趣がある。

ご祭神は天香山命「アマノカゴヤマノミコト」で天照太神の曾孫神にあたる。

天孫本紀には高倉下(たかくらじ)とも記され、和歌山県新宮市に住む。

神武天皇の勅命で、越の国を平定する。

先週伊勢神宮にお参りに行った折、神代の物語がやたらと詳しいバスガイドさんが延々と話をされ、越の国を治めに向かわれた話が妙に印象的だったのだ。

・・・という、なんとも不思議がつながりが今回の新潟行きに乗り気になった訳なのだ。


ヨウキタナ・・・狛犬の声が聞こえそうでしたよ。


弥彦神社の山を越えれば日本海。

視界には入らないが、この浜辺から天香山命は越国の第一歩を踏み出したのだという。

駒形堂のお祭り

昨日は観音様の今年最後のお祭り日となる納の観音でした。
そして今日は、駒形橋際に建つ駒形堂でのお祭りです。

こちらも今年最後のご縁日なので、納めの馬頭観音というのだろうか・・・・と。しばい悩むTONでした。。。

青空で気持ち良いご縁日なれど寒風の中、多くの参拝の方がお見えになっていました。

浅草神社

もう正月の装いです。

これから浅草はたいへんな混みようになります。
つかの間のひとときです。

義士祭

仕入れに品川に行く。

泉岳寺の駅を降りると、ふだん静かな泉岳寺周辺がやたらと人の波が立っている。

なんだろう・・・・

今日は十二月十四日・・・・
カラッとした晴天の下では想像するのに難い環境ではあるが。
当時は旧暦の12月だろうから1ヶ月遅れと考えると確かに雪もふろうというものだろう。

そうかぁ。

赤穂浪士討ち入りの日だ。

その四十七士の行列を待つ人、出店に集まる人、その他の群集。
ごった返していた。

増上寺と東京タワー

個人的には、こっちのタワーが好き・・・・

ワクワクしてくる。

改めて眺めていると、
歴史のある増上寺に近接してよくもまぁ・・・

こんな高くて、赤白に塗り別けられた派手な鉄塔が建てられたもの・・・・
と、思わされる。

それだけにもし電波塔としての役目はスカイツリーに譲り、使命は終えたというのなら、土木遺産としてもとの流麗な美しい塔に戻して欲しいと思うのはTONだけだろうか。

八重桜の絨毯

駒形堂の八重桜ももうピンクのじゅうたんを敷き詰める季節となりました。

早いですねぇ。。。

また来年もよろしくね。

舟渡御当日

54年ぶりという舟渡御は誰もが始めての経験。
それだけに、どう舟に乗せ、降ろすのかが興味の中心でした。

この角度から宝蔵門の甍が丸見えになることはそうありません。

浅草寺を出た神様たちは、浅草寺外周を一巡りし、雷門前から右折し花川戸の上船場へ向かいます。

一行が30分遅れで雷門に到着しました。

一之宮が近づいてきました。
三社権現の幟(のぼり)は、神仏分離を愚策と考えるものとしては、うれしいものです。

吾妻橋上は人でぎっしり。割り込めません。

はなから舟への上船を確認したかったTONとしましては、ラッシュの橋上を横目に見ながら、小走りに上流に向かいました。

おっとっと・・・・
着いてみると花川戸の上船場も限りない人でごった返し状態。

淡々と上船は進んでいました。

一之宮は無事上船。

ここら辺から空模様が怪しくなり、ポツポツ。。。。ザーザー。。。。
傘を持たなかったTONは隣の人の傘の軒を借りてじっと待ちました。

雨が降っていなければ、もっと映えるのですが、龍神がつきまといますから、雨は避けられないでしょうね。

一行は船団を整えて。


写真提供K氏


写真提供K氏


写真提供K氏

写真提供のK氏とも話していましたが、本来なら和舟三艘にそれぞれ一之宮、二ノ宮、三之宮を鎮座していただき、土師中知の末裔、浜成の末裔、竹成の末裔がそれぞれに乗り込むと言うのが古式なのだけれど・・・

浚渫などの港湾作業に使う台船に三基まとめて乗せてかぁ・・・せめて和舟がよかったのにねなどと話してみたり企画者側の苦労をよそにしきりに話していたりでした。

専堂坊、斎藤坊、常音坊で仕切られてきた浅草寺三譜代の制度は惜しくも、近年消滅してしまったとはいえ、精神部分には、浅草繁栄の基を築いた、三柱の神様たちへの、先祖供養、孝養であり、先祖の高徳に対しての感謝の気持ちが内在したものが、三社祭りであるし、舟渡御であると思うのだけれど。。。

たんなる馬鹿騒ぎが祭りの姿だなど考えたくもない。

まさかまさか、単なる観光資源などと考えるものは、まさかいないとは思うのだけれど・・・・・

朝の静けさの中で

朝一番に昨晩の堂上げの余韻を確かめに浅草寺本堂外陣に足を向けました。
隅田川をぐるっと一周してからですが。

本堂に入りました。
壮観です。
土師中知を真ん中に、浜成、竹成兄弟を左右にして鎮座いています。


観音様の篤信者第一号である土師中知を神輿に遷し、同座に鎮座する。
歴史を考えれば考えるほど感動ものです。

土師中知(一之宮)と観音様。
どんな対話をされているのでしょうか・・・

この風景、ふだんでは見られないのですが・・・・・

おわかりになりますか?

境内がやけにすっきりして見えませんか。

実は大香炉と賽銭箱が取り払われて(賽銭箱は作業中)います。

雷門の大提灯もこのとおり。

三社の時か台風の時でもないと見られない光景です。

三社祭りも台風並と言うことでしょうか・・・・

新門の若衆が作業中でした。