中心あたりに本当はスカイツリーが見えている。
肉眼では多少影が見えるがレンズには乱反射して写らない。
スカッとした火にまた見たいものだ。
ちょっとした気づきを書きました
中心あたりに本当はスカイツリーが見えている。
肉眼では多少影が見えるがレンズには乱反射して写らない。
スカッとした火にまた見たいものだ。
用事で都庁に出向いた。
ついでにスカイツリーを見たくなって45階の展望室へ。
なんだろう・・・か。
もやかとも思ったが、やけに黄色っぽくも見える。
黄砂かな。
エレベータ前で案内していた若い人に聞いたが「黄砂」なんて知らないと言う。
黄砂。
死語かい。
逃げてます。
捕まってなるものか~~~!
ふと後ろを見ると・・・
そぉれ、つかまえるぞ~~!!
って追いかけっこに見えてしまいました。
いっそ大きな口をあけた鯨の絵でも描いて走らせたら、捕まってもどこかジョークが効いててよいような気もしますが・・・
「収容」はやめようよ・・・
なんだか屈辱的ことばだなぁ。
「おつかれさま」「マラソンばんざい!」とかね。
まるで収監されるみたいだぞ。
走っているほうは大変なんだよね。
ホノルルマラソンのように、7時間でも8時間かけてでも走れるようにはいかない、日本の交通事情を垣間見た気がしました。
東京マラソンのたんびに念珠堂を含む雷門一之宮通りは交通閉鎖の憂き目にあう。
今日一日閑古鳥が鳴く雷門デルタ地帯なのだ。
けれどマラソンはそれとは別に心から声援している。
自分もランナーの端くれと思っているから事故のないように願っている。
車の水しぶきの音を聞いて寝床にいながら空模様を実感。
案の定今日の東京マラソンは朝から小雪交じりの寒い一日になりそう。
走るほうはたいへんだろうな。
あっという間に車椅子ランナーが過ぎ去った。
何度見ても感動する。
今年は何車エントリーしているのかわからないが、団子状態になっていないみたい。
しばらく見ていたが2台しか見ることは出来なかった。
トップランナーがこれまた足早に過ぎました。
冷たい風が吹こうとも
体の芯から凍るような雨が降ろうとも
かじかんで凍りつく毎日であろうとも
自然はちゃくちゃくと春の準備をしている。
だから野山は教科書だというのだ。
いったいなんの団体だろう・・・
尋ねても答えてくれないし・・・
ときどき見かけるのだけれど・・・
無言の行というのはあるけれど、そうでもなさそうだし。
マスクと黒メガネで顔を隠しそれだけでも怖いのに
道がいっぱいの人で占拠するのだから・・・聞きたくもなるでしょ。
地元住人の不安の声くらいには応えてほしいな。
ずっと以前、夜仕事帰り、浅草寺にお参りに行くと大勢の人が本堂前に群れていた。
近づいてみると本堂の手前入り口、のみならず脇からの上がり口をも占拠して、とにかく階段が上がれない。
本堂下で係員らしき人間が、僕が階段を上がるのをあわてて制止した。
そばにいた幹部らしき人間をつかまえて、これはなあに?と聞き尋ねた。
ここでも無言の行だった。
浅草の町民が、お勤めを終えて観音様にお参りしようとしているのに、それを制止してなおかつ無言。
憤りを覚えないのが不思議といえるのではないだろうか。
そのうちほかの幹部らしき者が壇上の賽銭箱あたりに現れると、キャーだのピーだの喝采が沸いた。これまた他の人がどこから取り出したのかご丁寧にローソクに火のついた大きなケーキと、花束を持って現れそのピーの中心者に吹き消させ花束を贈呈した。とたんに大きな拍手が起きる。
どうやら、そこの教祖らしき人間のハピーバースディをしていた模様なのであることが理解できた。
え~~~観音様でぇ???
そう観音様で。
TONを含めた本堂に上がれない参拝者達は、何事かとその光景を見守るしかなかった。
彼ら集団は、観音様は自分らの寺か、集会場所かのように独占したのだった。
当時は小さい子供の待つ身ゆえ、しかたなくその場を離れたが、何かの宗教団体だったのだろうと想像した。
信仰の自由を保障されている国だから、部外者が差し挟むことはないのだが、かと言って人のお参りまで阻止する権利はないんだよ。ねーー。
同じ思想、信条に固まる集団は、他から見ると排他的にも、独善的にもなりやすいし、そう映りやすいのだから、広く鳥瞰できるはずの幹部さんたちは、外から自分たちがどう見られているのか、よくよく目を配り、心を配り、外に向けてフォローしていかないといけないと感じるのだ。
そう素朴に思うTONちゃんなのであります。
たとえよいことをしていたとしても、その手法や結実が違っていれば、だれが感化されたいと思うかというのであるのである。
その点、観音様は、全ての人に遍く心を寄せてくださるのだ。
以前は東館だけだったギフトショー、そして何かの展示会と相乗りだったのに規模が年々大きくなって、ここ最近は東も西も全館あげてオールギフトショーとなってしまった。
規模が大きいのは同一場所で傾向が読めるから、リサーチするにはいいけれど、僕みたいに方向音痴にはいたって不便。というか同じ場所を行ったりきたり。
「あれ?ここさっき通ったじゃん」とあっちウロウロ、こっちウロウロ。TON舎で迷うTONそのものなのである。
まあそれはさておき、以前は香りギフトのブースを熱心に散策して、持ちきれないほどのカタログを蒐集していたTONちゃん。最近は、持って帰っても積読だけと理解できたようで、ほとんどカタログはもらわない。
その代わり、特徴のある商品と出会うと、まず社名とその特徴、そしてネットの有無を調べて済ますことが多くなった。
そしてまた、自分の同業種はまず足が向かない。腐れ縁の・・・あ、いやいやお世話になっている営業さんのところのみは顔を出すが、最期の数分で済ます。
ほとんど他業種のブースに足を運んで時間を消化する。
たとえば、おもちゃ、IT玩具。以外に面白い。
コスメ、衣料用品、健康コーナー、食材関係と飛ばすことなくブース一つ一つを覗いていく。食材では試食は余すことはしない。
お酒の試飲も今回やけに多かった。
断酒していなかったらとっくに出来上がっていただろう。
(だれだ。紅の豚とは・・・)
わしゃ顔に出んわい。
まあさておき、上の写真は、全国の商工会議所が集まったブースなのであります。
そのほか、全国の商工会のブース、都道府県のブースこれらのブースがやけに活気付いていた。
試食が多いということもあるにはあるだろうけれど、通路が人でふさがって通れない。
二つ三つ通りを敬遠してしまったくらい混みあっていて活況を呈していた。
地方発信のブースには、おらが村さを知っとくれというパワー炸裂なのだ。
ちょっと気取って、東京ざんすではないのである。
ちょっと言いすぎはあるけれど、ん~~~何だか地方の時代って本当に来ているな・・・
地方地方と侮るなかれである。
商店会を運営するTONちゃん的立場からも参考になること大有りだった。
公園前の光景。
お母さんたちは移動販売のベーカリに懸命。
あのパンこのパンと飛ぶように売れていた。
「お母さんたちがんばってるねぇ」
「そうだねぇ」
「三時のおやつは今日もパンかなあ」
そんな声が子供たちから聞こえてきそうだった。
「浅草松屋が2月いっぱいで上層階の営業をお終いにするんだって!」
上さんからの情報をみみにして上さん以上に驚いた。
まあ上さんは驚くというより、そのセールに驚いている節が見えなくもないのだが。
今日、欲しい本があったので銀行の帰りにちょっと寄ってみた。
ここに来るたびに昭和の香りがして心地よかったのだけれど残念だな、
建物を変に現代ナイズさせようとするものだから、いたって不健康な内装にならざるを得なかった。
大幅に全面改装すればよいことなのだろうけれど、関東大震災直後の建物。
もう今はそうやたらと見られない松杭で地盤を固めている。
ここはもともと、隅田川の河岸の土地。
地下水位はもともと高いし、変動は少なかっただろうから、松杭がしっかり生きているのだろうと想像に難くない。
そして今はあまり見ない、汲み取り式のトイレの建物でもあった。
若い人は、なに?それと疑問符がつくだろうトイレシステムである。
ここ数年目にしなくなったが、以前は表玄関からあのホースが床を這って、表通りに止めてある埼玉ナンバーのバキュームカーがうんうん唸りながらそれを吸い取っていた。
「ホー!」と感嘆符をあげながらまじまじと観察し物思いに更けていたものだ。
土台がそんな昭和いや、大正を思わせる建物なのだ。
でも戦争には持ちこたえた。
もちろん焼夷弾を受け丸こげになりながらも戦後は生きた。
操業当初の威風堂々の浅草の顔というには少々とうは立っていたが・・・
戦後復興の一助になったことは確かだろうし、子供時代の修学旅行の日光行きには必ずお世話になったところでもある。
装いも近代ビルに近づける工夫もされ、随所に多いがかけられた。
外観もこのデパートのイメージカラーに統一された。
でもね中身は昭和なんだよね。
せっかくの昭和。
ビルの外壁に使っている松屋カラーのシマシマを引っぺがして、元々のデザインを表に出してはどうだろう。
中身だけ昭和を謳い人気を博している、にゃん○ゃタウンの付け焼きレトロじゃない、筋金入りの昭和なのだから。
昭和レトロというより昭和モダニズムを前面に押し出して、浅草という土地柄を最大限に武器にして生かしたら、TDLに負けず劣らずのスポットになるだろうに・・・
上階層から降りるとき、ぼくは必ず階段を使う。
だってこんなオブジェ今どきないでしょう。
壁や手すりに使う人工石も何ともいえないアールと色合いを出し人のぬくもりをビンビン感じる空間である。
最近の御影石のつまらない張り石には絶対感じられないのだ。
ちょっと残念だ。
いつもより人が少ないかなぁ・・・