水上フェスティバル

何年目になるのだろう・・・

もともと浅草は水都。
一時はカミソリ堤防と水質の悪化で大きな下水路と様変わりして、人の記憶と足は水辺からどんどん離れていった。

でも川を大切にしない都市が栄えた試しはない。

人の生命を、記憶を、愛着を生み出す水の流れを取り戻していくものは、そこから復活の道が見えてくる。

水都、浅草なのである。

今日から三社祭り

今日から祭りに入る。
本格的に神輿が町内を巡るのは明日からなのだが、関係諸団体への挨拶回りが始まる今日という日が、実質的な祭りの始まりとなる。

普段の観光地が一色、江戸の空気に衣替えするのだから実に面白い。DNAの成せる業とはこういうものなのだろうと思う。

股木提灯は町のあちこちの通りの空中を賑わしている。
あいにく自分たちの通りには今年は出ないが、神酒所が造られ高張提灯に火が灯ると、嫌が応にも情緒を醸し出す。これが世界の都市TOKYOかと外人の目を釘付けにすることだろう。

ぼくは見てるだけなのさ・・・・

今日から五月・・・・・といえば。

五月に入りました。

一日は、通常は靖国参りの日なのですが、今日は朝から浅草寺の掃除の会、九時からは商店会の掃除の会と続くので、泣く泣く九段まで足を延ばせませんでした。

日曜日だと本殿の昇殿参拝、遊就館を見学して帰り道、骨董市が開かれているので覗きながら冷やかすのだけれど・・・残念。

浅草は、急に町全体が変化します。

そう・・・三社祭りです。

「お祭りモードになっちゃったからね」と六時からの浅草寺の勤行にも半袖で参加するメンバーもいるくらいです。まだ肌寒いでしょうに。

花散らし・・・まだまだ

桜たちは、散っていません。

いまこそ本当の満開です。

うるさい酒飲みはいないし
はと君(失礼ね!あたし女の子よ)たちも満開の桜を背景にのんびり日向ぼっこです。

景色

浅草寺を横切って川手に出ようとすると・・・

正月でもないのに、華やかな色合いが人ごみに映える。

本堂側を望むとそこにも。

この寒いのにコートもなしで振り袖姿。

あ~~~

なるほど。これがレンタル着物なのだ。

しかし、、、、同じモンゴロイドの顔だけにわからないなぁ。。。

最近は歩き姿も教えられるのかもしれないが、しゃなりしゃなりと日本人の娘さんを凌ぐおしとやかな所作の方もいらっしゃる。

う~~~~ん。日本がんばれ。

でも、、、レンタル会社、ショールくらい貸せないかな。。。

TONが誤ることではないにせよ、申しわけなく思ってしまう。

「キモノサムイ」ってことになりはしないのかっ!

東京の中の江戸

早朝から雷門前が騒がしい。

窓を開けて見渡してみるといくつもの纏(まとい)が目に入る。

そういえば毎年三社祭りが終わったあたりに消防の式典があったのを思い出しネットで調べてみた。

消防殉職者慰霊祭が浅草寺で行われる。
(11時式典 12時梯子乗り・纒振り演技)
http://www.edosyoubou.jp/
江戸消防記念会のホームページ

大都会東京の中の江戸を見た思いだ。

いよいよ本番

わが町会の神輿。
この日しかお目にかかれないからしっかり見ておこう。。。

四十数年ぶりに本社神輿を氏子だけで担ぐのだとか。

正常化していく。
もともと氏子による奉賛の祭りなのだから当然といえば当然。

看板猫

最近あちこちで看板猫という新ジャンルが流行している。
浅草は招き猫の発祥の伝説のある土地柄のためか、猫を愛する人々が多い。

知人にも野良猫を引き取っては空いている自宅を開放して最多で20匹近くのニャンコの館としていた(土地価格の高い浅草で・・・)人がいる。

毎朝走る隅田川のあたりにも野良猫たちが多く生息しているが、貧相な(顔は別にして)ニャン顔をした奴は一匹たりともお目にかかることはできない。

みんなコロコロしてのさばっている。

近所のギャラリーefという蔵のある芸術集団かと思わされる喫茶店の看板猫が一昨年のクリスマスを過ぎた頃に亡くなった(猫仲間の共通語としては虹の橋を渡ったという)。

飼い主はもちろん悲しんだ。
が、そこは芸術家魂のあるご主人のことで、哀悼の気持ちを一冊の本にまとめた。

 

昨日、時間の合間に哀悼本というべき銀次郎くんの本を買いにfまで伺った。

なんと新店長がお出迎えしてくれた。

ありがとうにゃ・・・

とでも言いたげな表情だった。と添えておくことにする。

当店にはなぜか看板猫は縁がないようだ。

豚(TON)がマスコットとなっているせいだからなのだろうか・・・
猫も遠慮しているように拝察する。。。

風景が変わる・・・

TONがよく行く喫茶店。

今時のカフェではどうも自分には似合わないし、なんたって腰が落ち着かない。

だから昔ながらの喫茶店が行きつけとなる。

ここは東参道の入口近くの古い喫茶店。家族で経営している。昼の二時まではランチ扱いになるが、僕には何時に言ってもランチ扱いにしてくれる。

そんなことで嬉しい原因もあるけれど、昔ながらの人情がそこにはあって、ぼくの席も決まっている。
マスターやママの顔を見ること、そして後味のさっぱりしたコーヒーがそこでしか味わえないので無理をしても足を延ばしてしまう。

以前は、ランチの時間ギリギリまでサラリーマンで混んでいて、相席で肩を触れながら、ざわざわとした喧騒さと熱気が漂う喫茶店だった。それでも懲りずに通いたくなるのだからね。

店の回りは靴の問屋ばかり。大小メーカーやハンドメイドの店、靴作りの職人たちそんな人たちが息抜きにどっと繰り出してそれなりに賑わっていた。

ぼくのお気に入りの窓際の席につくと靴問屋が軒を並べていた。

問屋ゆえに面白くもおかしくもない風景だったのだが、ごちゃごちゃした雷門前の風景に慣れた目にはそれなりにほっとしたものだった。

正月の慌ただしさで、自分の店から出ることができなかったので久しぶりにおいしいコーヒーが飲みたくて足を延ばしてみた。二ヶ月を優に超えて足が遠のいていた。

店に入るとすぐに定位置に付いた。

ん?何か違う。違うよ・・・
なにか落ち着かない。

あ!

風景が違う。

靴屋がみーーーんなやめてしまったのだ。

その代わりに中国人相手とおぼしきノータックスの土産物屋が軒を連ね始めていた。

経営者が日本人ではないということも驚かされた。