お化けが出るかな

足元に35㎜のフィルムが転がっている。

大晦日の大掃除のときにどこからか転がり出て、そのまま年を越したのだ。
HUJIFILM ASA400-24枚撮り、使用済み。

2000年にはネットショップを始めていたから、カメラはデジタルに切り替えた。だから少なくとも9年はたってしまっていることになる。

中身はなんだろう・・・
概ね自宅で撮っていたものだとすれば、子供成長記録だろうか。

今更という気もするし、見たい欲望もでてくる。

中身を見たいいう欲求と、お化けになっていたらどうしようという葛藤があるのである。そっとしとこうか・・・いやいや、今ならまだ救えるかも・・・くだらないと思われるかもしれないけれど躊躇している。

しげしげ見ていると、たった24枚撮り、よくても36枚捕りの中によくまあ収まったものだ。
被写体を撮りたいという欲求を当時はよくこの枚数で我慢できたものだと思う。

中学時代はリコーオートハーフが我が家の唯一のカメラだった。
解像度は滅茶苦茶に悪かったけれど、フィルムを小さくこま割りしてくれるから通常の2倍枚数を撮ることができた。
高いフィルムを買えなかったBoo家では非常に重宝した(おまけにモータードライブだったし)。

それでもせいぜい36枚撮×2+α=80枚程度が限界。
子供心にこれは凄いと感じた。ついでに現像代も凄いことになった。

今は僕の携帯電話ですらメモリーが1ギガだから・・・3000枚以上は撮れる勘定。
普段何気なく使っているけれど、改めて考えると技術の革新は凄いことだ。

フィルム時代は限られた資源、資産のバランスの中で、渾身の一場面にチャンスを絞って画面を切り取っていた。フィルムがもったいなくてやたらと撮れなかった。
好き放題に撮れないだけに、一枚一枚に魂がこもっていた。
デジタルになって何となくこの一枚に対しての思い入れが希薄になったような気もする。こんなこと感じるのぼくだけかなあ。
まあシャッターチャンスに賭ける勝負の世界は同じなのかもしれないが。

気に入ればとっておく。気に入らなければ捨てる。デジタルならでは自由自在の世界。自由な反面これって日本人の美徳を失わせたかもしれない。限られた資源の中で工夫を凝らすと言う発想に鈍化をもたらしたのかもしれない。
まあこれもデジタル文化かな。などと、どうでもいいことにあーだ、こーだとこねくり回す思考がそもそもおじさんなのかもしれない。

簡単にしかも自由に写真を撮れるのは楽しいものね。

やはり、フィルムの中身が見たくなってきた。
お化けの出現を覚悟で、近くにある現像無料のDPEに出してみようっと。

浅草寺の井戸

いつのまにか宝蔵門近くにできた井戸

このとおり水は出ます。

けれど、飲めない井戸水なのだそうだ。

浅草のどこにでもあった光景が、いつのまにか物珍しく目に映るようになってしまうのだから・・・

面白いものだと思う。

親子地蔵もあたたかそう


「あったかいね」
「よかったわね」
心なしか会話が聞こえてくる。

何十万という母子が冷たい中国の荒野で彷徨したのだもの・・・

宝物ってなんだろう

今日、「神戸から電話です」と呼ばれて驚き慌てて受話に出ました。

たまたま(ということは仏教的にはないのだが)同じブログのシステムの店子で神戸に冠三宝というお店を持たれるKさまからだったのです。

ブログの縁で、念珠ブレスをお買い求めくださって、今日到着しましたということのご報告と、そのお礼の言葉を頂戴しました。

「嬉しくてお電話しちゃいました」と嬉しそうなお声を聞いて、「喜んでいただいてこの上なく嬉しいです」と言葉にでたけれど、どう表現してよいやらどぎまぎでした。

自分の表現力のなさに呆れてしまいます。
でも何より嬉しいものです。

力が湧いてきます。

朝一番で店に訪ねて下さった東京のKさん。
メールで何度かやり取りさせていただいて、石の種類を決めたうえでご来店されたのです。
30分程度お時間を頂戴して、4本製作させていただきました。
お客様を目の前に製作するのは、昔はドキドキもので、玉でも落としようものならあたふたし頭は真っ白となったものです。
今はなんとふてぶてしくなったものでしょうか。

持ち込みの玉もありましたので何気なく、
「どこのお店で買われたんですか?」と尋ねると、
「だいぶ前ですがここですよ」との答え。

これもまた冥利に尽きる話しです。

数日かけて、古いお客様台帳を整理しました。
日付を見るともう二十年も前の台帳でした。

場所をとるのと紙だとどうしても融通が利かないために、電子化しようと決めたのです。
店番の合間を縫いながら一枚一枚読み返しつつスキャニングしました。

お客様との出会いの様子。
ご家族のこと。
どんな表情をしている方なのか。
どうすると喜んで下さるのか。お悩み事は・・・etc.
お買い上げの商品のこと以上に、お客様の人となりを想像できるカルテのようなものです。

店に立たせたバイトの子たちにも昔は書いてもらいました。

それは、一枚の紙きれなのです。けれど、僕には「人」そのものなのです。
だから、お客様一人一人が、20年経った今でも、カルテに目を通すと実像と化してきます。

面白いもので、読むとお客様のことばかりが想像されるのではなく、対面させてもらった店側の人間性も実像化してくるのです。

表面的なことばかりに終始する記入例。枝葉がやたらと多く、かえってお客様の実像が見えてこない記入例。情の機微に触れる記入例・・・

対面した店員のお客様への愛情度が見事に現れます。

でも熱心に書いてある台帳には、自分で記入したものも含めて頭が下がります。
そこには、対面したお客様をあらゆる角度で知ろうとする努力の跡が読み取れるからです。読みながら涙が出ることすらあります。

僕にはこの書き込みが初心を思い出さしてくれる原点回帰の妙薬であり、カンフル剤であり、宝物なのです。