念珠の玉には過去いろいろ彫ったものがある。
これは最新。
「鶴」念珠。
裏には亀を彫る。
長寿国日本。お年寄りがより幸せに長く「安心して」生きることのできる。
そんな夢を見ながら製作する。
長寿念珠だ。
念珠の玉には過去いろいろ彫ったものがある。
これは最新。
「鶴」念珠。
裏には亀を彫る。
長寿国日本。お年寄りがより幸せに長く「安心して」生きることのできる。
そんな夢を見ながら製作する。
長寿念珠だ。
手の平に乗るほどの小ささだけれど、
実によく彫れています。
浅草寺雷門の風神と雷神をモデルにしました。
なかなか迫力があります。
どの角度から見ても活き活きしてます。
決まったんですね。
新東京タワーの正式名称。
ただ、名称が絞り込まれたときから、
なんだか「ツリー」はぴんと来ないんだけれど。
そのうち「東京スカイタワー」になるんじゃあないかな・・・
きっと。
「タワー」の語源は「塔」と言われる。
塔の語源はストゥーパと言われていて。
つまりお釈迦さんの遺骨をまつったものが語源。
日本では卒塔婆つまり、お墓にまつる細長い板のこと、
そして五輪塔やお墓そのものだったり、
五重塔や三重塔がそれにあたる。
その「塔」と「タワー」が言語的に同根とは面白いと思ってきた。
だから、
「ツリー」の名称がピンと来ないのかもしれない。
浅草に新東京タワーが決定していれば、タワーになったんじゃないかな?
なあんて、勝手に思っている。
今度はクリスマスツリーのツリーと思えばいいかな。
ここを軸に東京が緑化都市になっていく
起爆剤になるならばその名前も生きていくだろう。
単に商業施設ばかりで占められていくならば、
枯れ木の森みたいで名前が白々しいものになっていくんじゃないのかな。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0611/24/news092.html
http://www.fuziman.com/
なかなか巡礼に出かけられない。
これは、足を鍛えろとの天のおさとしだろうか。
・・・などと勝手に解釈し
走りこんでおこうとばかりに、
暫くぶりにローラー台を踏んでみた。
これがローラー台
自走式なので、前後の40cm巾のローラーの上に
いつも乗っている自転車を乗せて普通に走る。
前後のローラーどうしはベルトで結ばれていて、
ペダルを踏めば、後輪が回ると同時に前輪も回る。
だから、自転車はこけないでローラーの上を走る。
当然のことだが、止まれば転ぶ。
脱輪すれば、足はペダルに縛り付けているから
もろにひっくり返る。
後輪を固定したマシンもあるけれど、
バランス感覚が要求されるのでこちらのほうが
実走の感覚で走れる。
しかし乗り始めは、以外に勇気がいる。
今日30年ぶりに乗ったことになる。
壁に手をついたまま二三回ペダルを回したら
さっとハンドルに両手を移す。
ふらつくこともなく昨日の練習の続きのように
すっと乗れた。
「へ~~」
自分で驚く。
両手離しこそしなかったけれど、なんの戸惑いもない。
一挙に30年の空白が消え去った感がする。
一度身についたものは、しっかりと体が覚えているものだ。
余計な考えは、やたらに持たないことも大事だ。
悟らされた気がした。
父の日と聞いてふと思い出した。
僕の人生に母の日はあっても父の日が意識にのぼったことはない。
生まれて数年で先に逝ってしまった父はアルバムの中の空想の人。
仏壇=父であって、
何ら実態の伴わない存在でしかなかったが共にいた。
不思議と子供時代から、その仏壇のある小部屋、
といっても半畳の盲腸のような出窓部屋が
僕と父とを結ぶ唯一の空間だった。
どこの家でもやっていたことだが、
季節の初物やもらい物はまず仏壇に備えた。
なぜそうするかなど考えもしなかったが習慣だった。
そのうち盲腸部屋は、おやつを食べるのも、
マンガ本を読むのも、勉強をする時も、
内緒の宝物を隠すための秘密基地ともなっていった。
そのうち布団を持ち込んで・・・半畳にどう寝たのか思い出せないが、
ガサガサ小虫(ゴキブリ)の音も気にせずそこで寝た。
僕にとって、そこが我が家の仏間であり精神安定剤だった。
結局は、僕が「気が付こうと気付くまいと」、
歴然と父の懐で育てられ、心の状態も保たれてきたのだと今にして思うのだ。
今年は、ちょっとはよい線香をあげようか・・・
季節ですね
新義真言宗の脇は、弘法大師と興教大師が正式。
でも、どれだけ浸透しているだろうか。
お寺では、豊山派でも智山派でも照会しているはずなんだけれど
お客様の口から聞けることは殆んどない。
大島部屋のお相撲さんでした。
2m近く上背のある方もいた。
がたいもしっかりしているし、すごい圧巻。
やっぱり最高の格闘技だわ。
以前は他の部屋のお相撲さんだったけれどよく来てくれた。
どうしたかなあ・・・