バトンタッチ

あと少しで父が逝った歳になる。

もの心がついたときには(もの心の到達年齢は人によって様々だろうが)、
視界に生身の体はなく、二次元の白黒になったガラス越しの肖像が
僕の父親だった。

けれど、あいにく母親の腕(かいな)に満足していたのか、
二つ年上の姉にせっせと育てられた為なのか
父の割り込む余地がないほどに
寂しさを感じたことなど思い出せない。

もうすでに受け入れてしまっている者には、
存在しないこと。それが自然体なのかもしれない。

母は再婚することもなく懸命に働き尽くめた。
死ぬ思いを何度も越えながら。
母への感謝は、口で表すことは出来ない。
そう思えばますます、父の影は薄くなると思うのだが、

人並みに家庭を持ち、子供も一人二人と増えていくにつれ、
父の肖像を追いかけている自分に気付いた。

意識した覚えは全くないのだが、
「父ならどう考えるだろう・・・」

ほんの些細な心の動き。
気付くと自分の心に占める割合がどんどん塗り替えられている。

実体と共に暮らした時間など小指の先ほどの時間であったのに、
五十数年間共に暮らしたような実感が湧いてくる。

父母恩重経には、子供の不幸に泣く親の心の痛みと
いつかそれに気付く子の思いが綴られている。

思いを傾けなかった父への姿勢は、まさしく親不孝であったろう。

ずいぶん時間がかかったけれど・・・

生を与えられたその瞬間に、
親の情の全てをバトンタッチされていたことに、

ようやくながら、気付かされる昨今なのである。

地図折り・・・

地図を折る。

四隅を折る

四辺の余白を折り返す

左右

そして上下

これでしっかりしました。
あとは蛇腹に折るだけ。

こうして・・・

こうやって・・・

さらにこうする。

でこうすれば・・・

蛇腹完成。

もう一折で完成。


これで完成。

で、ここにルートを書き込むのだ。

写経の日

冷たい雨とイレギュラーの第二火曜日の開催というダブルパンチで

生徒さんたちのの足を鈍らせてしまったみたいだ。

いつもの顔と会えないのはやはり寂しい。

生徒さんが帰ったあと、感謝して線香を供養する。

なんとも言えない空気に包まれる。

理屈抜きで手を合わせたくなる。

何年振り?

久しぶりに手に入れた、5万分の1の地形図。
山登りにはなくてはならない必需品。

等高線を追ってみたり、小字(こあざ)を確かめたり、
時のたつのを忘れて鳥瞰図が頭の中に描き出されている。

冷静に考えると子供と一緒だ。