獅子です。
裏表に2頭並んでいます。
材料はモモですね。
少し前の玉のようですが、
良く彫れています。
片手用だから玉は18mmと大きい。
腕輪にしても面白いだろうけれど
正絹紐を通して、片手念珠にしようと思う。
獅子です。
裏表に2頭並んでいます。
材料はモモですね。
少し前の玉のようですが、
良く彫れています。
片手用だから玉は18mmと大きい。
腕輪にしても面白いだろうけれど
正絹紐を通して、片手念珠にしようと思う。
ブタも褒めれば木に昇る
「褒めて育てる」
言葉とは、つくづく生かすも殺すも使い方次第だと思う。
千言万語の中から相手の精神状態、生活状況、立場を読み取り、
会いある言葉。
繰り出す言葉が生きる言葉であると思う。
言葉にはいいかげん辟易した、無力だと思った時期があった。
けれど、「一言」「ほんの一行」で・・・
本当に一言で人生を180度変えることもある。
だから言葉は重要なのだ。
あるときから
生きた言葉と死んだ言葉があるということに気付いた。
いいかげんなものよのう・・・
となるか否かは、話し手の意識次第なんだなあとつくづく思う。
とは思うものの、もう大人だからね。よい(都合のよいともいう)解釈のほうをのみ受け入れることに今はしている。
「ブログ見てますよ」
「がんばってくださいね」
訪ねてくださったお客様に一声かけられた。
ありがたいお言葉だ。
また、はりきっちゃおう。
とても乗車券にはみえません。
中にはしっかり乗車券がついてます。
突然のTさんの訪問に面食らう。
週末に行くよ。と聞いていたから、
「店長~ぉ。きちゃった」
と聞きなれた声が背後から
何事かと文字通り驚いたのだ。
「ほい」
と差し出されたのは、霊場行きの電車の切符。
冊子形式になっていて、朱印帖を兼ねている。
なんとおもしろい切符。
鉄の血も湧いてきて、記念としてとっておきたい気持ちもわくが
使うところに意義があるんじゃない?と釘を刺されてしまった。
秩父行きは、片道だけ自転車をばらして輪行(りんこう)しようと思っていたので
渡りに船といえばそのとおりなのだけれど、正直嬉しかった。
気持ちが本当にありがたかった。
忙しい仕事の合間をぬって、状況を知らせに訪ねてくださったのだ。
本当にありがたい。
もとは、108玉本連の水晶念珠。
親玉と二天を当方で追加して片手二本に分割しました。
紅水晶仕立てと紫水晶二天になりました。
これならば、子供に持たせられますね。
人絹の糸なんて、まず使わないから、
普段使わない素材のものは同じ糸でも
糸のさばきが難しい。
ちょっとしか使わないのにもったいないなあ・・・ブツブツ・・・
なんて思いながらほぐしていたら、
糸に足元をすくわれてしまった。
こんなはずじゃなかったのにと思いながら
二倍も三倍も時間がかかってしまった。
最後には半分でチョッキン。
時間かけていられないの。
夕方、久しぶりにTさんから電話をもらった。
「店長~お」
いつもの声だ。
「あ!お久しぶりですね」
「行ってきましたよぉ」
「行って来たんですねぇ」
そう・・・昨日、こどもの日にメールをいただいていたのだ。
「・・・・おみやげ楽しみにネ」
メール文のその部分だけ読んでいて、肝心の「秩父に行ってきました」が
記憶からすっぽり抜けていた。
(なにくれんのかなあ??)
だけが頭に残っているのだから、
人間とは・・・いやこの場合、
TONは、と言ったほうがよいのかもしれないが、
とにかく頂戴することだけは、記憶にしっかり残っていたのだ。
「いつ行くんですか」とTさん。
あ!すっかり自分が、自転車で秩父を廻ることを忘れていた。
まあそれくらい忙しかったのだ。
観音様お許しあれ。
「ロードレーサーも2人見ましたよぉ」
「写真見てくれましたか」
ご家族の写真を添付してくれていたのだ。
お開帳に合わせて家族を連れて回ってきたと言うことで
ご機嫌のTさん。言葉が走ります。
ちょっと僕はたじたじ。
法螺貝を持って登ったらしいが、たいへんだったみたいだ。
その法螺貝を持って僕の結願の日に札所に来て
吹いてくださるとの心遣いなのだ。
僕も風来坊みたいな人間だから、いつパッと飛び出すかわからない。
残念だけどそこまでお願いしたら罰も当たると予見して、
申し訳なくて・・・おみやげだけいただくことに。
(もらえるものだけはしっかりもらうのだ)
「きっと役にたつものですよ・・・」
「なんだろう・・・」
?を残し、
またの再会を楽しみに受話器を下ろした。