目がきらきら

「和蝋燭の炎の長さはどれくらいですか?」
店の女の子がお客様の質問に答えられず聞いてきた。

「百匁の和蝋燭だから芯は紙芯だから大きい炎になるよ」
炎の長さまで聞いてこられたお客様は珍しい。

手作業にまた戻るか戻らないかうちに
三十匁のをもってきた。
「これは?」
ムム。
「二十匁は?」

なんだい?いったい・・・

お客さまを見ると若い。
でも目が蝋燭の光のようにキラキラしている。

お話しを伺うと劇で使われるとのこと。
殺陣を軸にした劇集団なのだそうだ。

どうりでみんな役者の目をしているわけだ・・・

いいなあ。

「あうるすぽっと」
http://www.owlspot.jp/performance/080528.html

10Quatre
http://www.10quatre.com/top.html

浅草本番

長かった連休も今日で終り。

ようやく日常に戻れるかとおもうけれど、
浅草は三社祭の空気が占めている。

そう。
浅草は、これからが本番じゃ・・・

さあ!今日もがんばろ!!

ウォーターフロント浅草

連休もあと二日。

どこにでかけてもヒトヒト人だから
じっとしているのが最良の方法だろう。

観光地のど真ん中だから、ここにいるとある種のバロメーターになる。
とにかく人は多い。

四半世紀前、店を始めた頃とは比較にならないほど
人並みが押しよせる。
斜陽の浅草なんていつの話し?なんて時代になった。

三社も間近という空気がなおのことひきつけるのかもしれない。
担ぎ手がいない・・・なんて時代があったなんて今は考えられないほど祭りにも人が溢れる。

かわいそうに、疲れた子供たちが大道に遠慮なくしゃがりこんでいる。
お年よりも人並みにもまれて、、、これはつかれるだろう。

そんなときは、川っぷちに出てみてはどうだろう。
ちょっともう少しだけ足を伸ばせば墨田区側の墨田公園もあるし
アサヒビール本社内のカフェもある。
漢音様を見下ろすのもおつなものだ。

浅草の人間がこんなこと言っていいのだろうか・・・とも思うが
まあ、ここは墨田川プロムナードなのだ。
川をはさむけれど、全体が公園なのだ。

観音様だけが目玉でもない。
花やしきだけが遊び場ではない。

川風に吹かれて、浜成兄弟が大川(隅田川)から観音像を拾い上げた
1400年前の古の時代を想像しながら散策するのもおもしろいのではないだろうか。

さあ明日は晴れると言う予報が出ているし
また輪をかけて忙しくなりそうだ・・・

ショック!!

いい沈香大玉が入ったので、紐仕立で製作。
あと、編みこみだけだったのに・・・

パキッだって・・・
ボサが見事に砕けた。

涙・涙・涙


よそ見したのが悪かった・・・

白いカーネーション

毎年5月の第二日曜日が母の日なんて、誰でも?知るところだろう。

小学校の頃、母の日が近づくとお母さんに何をあげる?と、とかく話題になった。

学校側でもカーネーションを用意してくれたり、
プレゼントを工作の時間に手作りしたり、
母の似顔絵を描いたりと、学校上げて忙しくなった。

同じクラスに母親のいない友人がいた。
いつも我が身のことのように気になった。

何故なら僕には父がいなかった。
当時は父の日はあまり熱心ではなかったようで、
父のいない僕にはそれだけでも、ホッとするのだった。

もしかしたら母の日と同じように父親の似顔絵を描いたり
プレゼントを用意したりと慌しかったのかもしれないのだが、

人間の記憶とは、都合の悪いことは海馬の奥底にしまいこんでしまうようで
記憶にまったく残っていない。

もしこの母の日のように「お父さんに何か送りましょ」と
学校あげてお祭り騒ぎになったらいる場所がなくなってしまう。

どうしよう・・・さぞかし悲しい思いになったことだろう。

だから母の日が近づくにつれ、
友人の心のひだが痛いくらい伝わってくるのだった。

その日の前日、だと思うが・・・
担任の先生は、「○○さんは、おかあさんはいなかったね。君がおうちではお母さん代わりなんだよね」

ぎょっとした。
わかっていたんだ(担任だものあたりまえなことだが)・・・

「だからそういう人は白いカーネーションをあげるんだよ」

「おうちに帰ったら、仏壇に「産んでくれてありがとう」と言って、カーネーションをあげて下さい」と一輪の白いカーネーションを手渡したのだった。

胸がジーンとなった。