ウォーターフロント浅草

連休もあと二日。

どこにでかけてもヒトヒト人だから
じっとしているのが最良の方法だろう。

観光地のど真ん中だから、ここにいるとある種のバロメーターになる。
とにかく人は多い。

四半世紀前、店を始めた頃とは比較にならないほど
人並みが押しよせる。
斜陽の浅草なんていつの話し?なんて時代になった。

三社も間近という空気がなおのことひきつけるのかもしれない。
担ぎ手がいない・・・なんて時代があったなんて今は考えられないほど祭りにも人が溢れる。

かわいそうに、疲れた子供たちが大道に遠慮なくしゃがりこんでいる。
お年よりも人並みにもまれて、、、これはつかれるだろう。

そんなときは、川っぷちに出てみてはどうだろう。
ちょっともう少しだけ足を伸ばせば墨田区側の墨田公園もあるし
アサヒビール本社内のカフェもある。
漢音様を見下ろすのもおつなものだ。

浅草の人間がこんなこと言っていいのだろうか・・・とも思うが
まあ、ここは墨田川プロムナードなのだ。
川をはさむけれど、全体が公園なのだ。

観音様だけが目玉でもない。
花やしきだけが遊び場ではない。

川風に吹かれて、浜成兄弟が大川(隅田川)から観音像を拾い上げた
1400年前の古の時代を想像しながら散策するのもおもしろいのではないだろうか。

さあ明日は晴れると言う予報が出ているし
また輪をかけて忙しくなりそうだ・・・

ショック!!

いい沈香大玉が入ったので、紐仕立で製作。
あと、編みこみだけだったのに・・・

パキッだって・・・
ボサが見事に砕けた。

涙・涙・涙


よそ見したのが悪かった・・・

白いカーネーション

毎年5月の第二日曜日が母の日なんて、誰でも?知るところだろう。

小学校の頃、母の日が近づくとお母さんに何をあげる?と、とかく話題になった。

学校側でもカーネーションを用意してくれたり、
プレゼントを工作の時間に手作りしたり、
母の似顔絵を描いたりと、学校上げて忙しくなった。

同じクラスに母親のいない友人がいた。
いつも我が身のことのように気になった。

何故なら僕には父がいなかった。
当時は父の日はあまり熱心ではなかったようで、
父のいない僕にはそれだけでも、ホッとするのだった。

もしかしたら母の日と同じように父親の似顔絵を描いたり
プレゼントを用意したりと慌しかったのかもしれないのだが、

人間の記憶とは、都合の悪いことは海馬の奥底にしまいこんでしまうようで
記憶にまったく残っていない。

もしこの母の日のように「お父さんに何か送りましょ」と
学校あげてお祭り騒ぎになったらいる場所がなくなってしまう。

どうしよう・・・さぞかし悲しい思いになったことだろう。

だから母の日が近づくにつれ、
友人の心のひだが痛いくらい伝わってくるのだった。

その日の前日、だと思うが・・・
担任の先生は、「○○さんは、おかあさんはいなかったね。君がおうちではお母さん代わりなんだよね」

ぎょっとした。
わかっていたんだ(担任だものあたりまえなことだが)・・・

「だからそういう人は白いカーネーションをあげるんだよ」

「おうちに帰ったら、仏壇に「産んでくれてありがとう」と言って、カーネーションをあげて下さい」と一輪の白いカーネーションを手渡したのだった。

胸がジーンとなった。

下町観光便

いよいよ走り出しました。

何処かのスクールバスか、米軍の車かなんて思っていたら・・・
どうも様子が違う。

上野に自転車で出かける間にも二度ほど顔を見る。
定期便のようだが・・・

とすると・・・
あ!
そう、これでした。

東京駅から秋葉原、上野、浅草を経由して両国までの下町観光バス。

以前、上野ー浅草間に二階建てバスが運行されましたが
惜しまれつつ何年か前に廃止されました。

今度は、東京駅からとなると、観光としても、
行きづらい浅草方面にも、簡易な足としてちょうどよいのではないかな。

気づくと雷門通りにバス停が設けられていました。


今は1時間に2本と田舎のバスの如く少ないけれど、

顔もなかなか面白い。

そのうちに増便されるといいですね。

側方もオリジナリティー溢れています。

後姿はさらにキュートです。

この写真を撮るために仕事中だというのに・・・十数分待ち続けたのだから、
道行く人は怪しいと思ったかな・・・

鉄の血が少々沸きました。

式典はこんな様子だったようだ。友人が教えてくれた。
http://www.hattori.in/shitamachi.html