ホスピス

友人のブログを読んでいて、自分が以前参加していた、
仏教ホスピスの会のことを思い出した。

「末期がん患者の集い」と当時は呼んでいたと思うが、
毎週土曜日に築地まで出かけていた。
もう14、5年前の話だが。

参加者は本人が末期のがん患者、家族が患者、生還者、
支える家族、そしてご遺族。
モルヒネを打ちながら参加していた方もいらっしゃった。

入会のあいさつを求められ、参加動機を訪ねられた。
「僕もどうなるかわからないから」と正直なところを話した。
健常者ではぼく一人の参加だった。

そう・・・どうなるかわからないから。
そのときにはどう闘うのだろうか、どう開き直るのだろうか、
メンタル部分と、最新医療を知っておきたいと思ったからに他ならなかった。

壮絶な闘いを繰り返し、生を勝ち取った話しもあれば、
術後でいつ再発するかと戦々恐々の毎日を送っているといった話など、
まさしく「生」の闘いのなまなましい話を車座になって聞くことができた。

そんなおどろおどろしい話しを一人一人がこともなげに話されるのだが、
誰もが明るいのには驚かされた。

同じがん患者同士話し合えるということが、安らぎを与えられたと、
殆どの人からの共通した答えだった。

「一人じゃない」に気づくことで、人は荷を軽くできるんだと知った。

十五年

もう15年経つ。
沈香の香りが好きで腕に付けてとにかく付けっぱなし。
もう真っ黒になっているが、もともとの色合いに輪をかけて
僕の色に染まっているのだ。

こんな色になっても、沈香の匂いはむせるほど香る。

大きい玉が二天となるがこれは、玉の試験のため入れた。
最近の玉の代表格で白っぽいもの、暗黒だが、年輪がはっきりしないもの
あえて二種類を抽出して組んでみた。

数ヵ月後にどう変化しているだろうか。

舌をまく

お客様のMさん作、念珠直し読本。
ぼくが「こうやって、ああやって直すんですよ」と説明したことを
逐一記憶されていて、海外にいる同門の修行者のために
お直しセットを作ってしまった。

元来、英語に堪能な方だからちょちょいのちょいっという感じで
簡単にこさえたかと聞くと、
「いやいや結構こういう翻訳はめんどくさかった」と、同情を求められた。

「それは大変でしたね」と見え透いた反応をし、
ありがたく試作品を頂戴した。

これで海外の仏教者の方に
こうやるんですよと念珠作りを気安く説明できると言うものである。

あ。その前に読まないといけなかった・・・

25年ぶりに友人とひょんな所で再会した。

実はトイレに入りながら、彼のことを思い出していたのだ。
恩もあるのに挨拶一つしていない。

何かのつてを使って近々調べてみよう・・・

と思い立って、後ろで順番待ちしている気配に気遣い、
早々に切り上げ、どうぞと交代しようとした。

何の気なしにその顔を見た。
血の気が引いた・・・いや、狂喜した。
その本人が立っていたのだ。

何故?
なんて全く思わない。

やあー・・・言葉にならなかった。
握手を交わし、近況を伝えた。
世話になった彼のお母さんは亡くなっていた。仕事も替えていた。
すっかり様相は変化してしまったが、時の経過もすっかり忘れ
白髪が多くなったことも、形容しがたい身体的変化も目には入らなかった。
25年前にすでに飛んでいた。

縁とはこんなものか・・・

表情がみんな違うのです

材質はつげ材を使用。

手彫りなので、一玉づつ全く表情が異なる。
デフォルメされたものもあれば、妙にリアルだったりも

これがいい。