ジオラマ

上野に出かけたついでに浅草の歴史を調べようと
ちょっと寄り道をした。

旧仁丹塔の近くの浅草文庫に寄ることにした。
区の郷土資料館よりも嗜好を凝らしたニッチな資料が豊富にある。
地の利の悪さで意外に知られていない。

東京電力の営業所内にあるのだから、見つけにくいと言うこともあって来館者で混み合うと言う場面に遭遇したためしはない。

歴史資料を探しにきたはずなのだが・・・
一階フロアーでこんな催しをやっているんだもの


浅草十二階(凌雲閣)のある風景をジオラマで再現。

下町の横丁は、いやメインストリートもこんなだったぞ・・・

あ!こんな風景あったよなあ・・・

すっかり魅入ってしまっている間に、
2階にある浅草文庫は閉館してしまいました。

場所はテプコ浅草館

玉石混交

この10月から台東区は、ゴミの集荷方法が変わりました。

今までの可燃ごみとプラスチックゴミの分別がなくなりました。
そこで二日目の感想。

正直なところ、ゴミながらも、無分別の混合集荷は気持ちが悪い。
玉石混交に感じてしまう。

この同じゴミ箱に何でもかんでも捨てる行為がまず第一の関門。
混じったごみを見るのが第二の関門。
気持ちの悪さを誘う。

何年も続いた分別ゴミの習慣は、意外にエコ意識を植え付けてくれた。
可燃ごみにピニール製品を見つけられたら、集荷しなかったのだから
俄然出す側の意識は育つ。

こうなるとは予想していたけれど、気持ちの悪さは子供ですら思っているみたい。
いや、子供だからなを思うかもしれない。

混合ゴミでよいというのは処理場の理由だったり、
焼却炉が高性能になったからという理由なのだろう。

けれど、住民に育ったエコ意識を落とさせない配慮が大事なのではと思った。

ビニールやプラゴミなどは、貴重な石油製品。
集荷場に集まるそのゴミの量を見るにつけ、「これではいけない」意識が自然と芽生えてくる。
これだけ石油を無駄にしていると認識できるだけでもエコ意識と思うのだが・・・

水際が自然に啓蒙すされるよい機会なのだと改めて知った。

これでは精神衛生上良くない。
我が家では今までどおり、2系統に分別し続けることにしようと思う。

雷門一之宮商店会

念珠堂前の通りをはさむ僅か100mのこの通りなのだが、
いよいよ商店会としてスタートした。

都営浅草線のホームから、ながーい階段をヒーヒー言って登り出口に到着する。
表に出ると、どういう印象を持つだろうか。
ぼくの古い記憶をたどると、
どこの裏道に出てしまったのだろうか、ここはあの繁華街のはずの浅草だろうかと
不安になった。

そんこんながきっかけで地元有志が集まりスタートが切られた。
初めの難関は、通りの名称。
行政的には区道○号線とあるのだが、まさかね。
区道○号線通り会なんて末代の恥だ。

初めタヌキ通り商店会のようにユニークな名を考えた。
この地に昔あった稲荷にちなんで、「お稲荷さん商店会」なんていう声もあったのだが・・・どうもピンと来ない。

そこで、雷門の歴史を紐解く作業を始めた。

行政の愚策のひとつに行政区分の効率化の為の町名変更がある。
新宿区には箪笥町だ鉄砲町だと、江戸時代さながら何がそこにあったのか連想できる古の名前が残る。
しかし、町名の統合は、無味乾燥の上に文化を失う危惧さえ感じる。
先祖との縦の糸がプッツンと切れてしまう。

浅草の旧町名をみると実に多彩だ。
駒形町、材木町、森下町、三間町、朝鮮長屋、真砂町、専堂坊屋敷、鉾屋敷、並木町、茶屋町、馬道町、花川戸町、山之宿町、猿若町、金龍山下瓦町、聖天町、狸長屋、田町、孔雀長屋・・・
と、じつに多種多様な歴史の香りがプンプンする名が連ねる。
今の浅草何丁目、雷門何丁目、東浅草何丁目・・・とは雲泥の違いを感じる。

明治初期の資料を見ると、並木町の一角につまり、今の雷門2丁目18番地先に土師長夷の宅地がある。
つまり、浅草寺ご本仏である1寸8分の観音像を奉った、土師中知(はじのなかとも・まなかち)の後裔がここに庵をむすんでいたのである。
土師中知の後裔を「専堂坊」(専当坊とも)とあり、浅草寺に承仕した。
権現思想の興隆から中知を阿弥陀仏を本地(本地垂迹説)とし、居宅内に奉ったと記録されている。

さらに言えば花川戸には檜前浜成(ひのくまのはまなり)の屋敷があり、
同じく齋頭坊。
本地は観音菩薩。

山之宿には檜前竹成(ひのくまのたけなり)の屋敷があった。
同じく常音坊。
本地は勢至菩薩。

それ故に、この三町を宮元三町会と呼んでいた。
残念ながら、明治4年の大火ですべて灰燼に帰してしまった。

話しを戻すが、
専堂坊のあった場所が、ちょうど雷門通りから南側に位置する地域で
四百六十三坪あった。
ちょうど、この通りが切れる少し手前までがその所領ということになる。
土師中知つまり「一之宮」専堂坊がちょうどここになのである。
古老しか記憶にないことなのである。

この縁(えにし)は後に伝えなければいけないと感じ
名を会の名に入れることにした。