支えられて
どうも体調が思わしくない。
出かけるのもちょっと億劫で中でごそごそやっていると
「店長さん」
懐かしいイントネーションの声に思わず頭を声の主のほうに向けた。
以前、うちで働いてもらっていたOさんの太陽みたいな笑顔がそこにあった。
寿退社でみんなに見送られて職を辞してから19年振り。
風船のように丸かったお顔も年相応に落ち着いて見えた。
姿かたちは変わっても、すぐにわかるね。
人は形じゃあないと、生きた見本のような人だと思った。
「人を外で待たしているから」と足早に去った。
頑張り屋の後姿を見送った。
S師からお手紙がポストに投函されていた。
はがきの小さなフィールドでは収まりきれない達筆な筆で、びっしり書かれていた。
生きた仏教を実践される師には感服するところ大なのだけれど、
文章で人が生かされるということをいつも気付かされるのだ。
また改めて教えられる。
痛み入る思いで文字を追った。
位牌が欲しいと電話が入り僕にかわった。
仏壇や仏具は、ホームページには出していないんです。
もしよければ、すぐに画像をアップしましょうか?
と聞くと、
「ネットは苦手であまり見ません」と答えてきた。
「じゃあカタログを送りましょうか」という話でまとまり住所を聞いていると
どこかで聞いたことのある住所。
すると電話の向うから、
「TONさんでしょ」
突然名指しされたので度肝を抜かれた。
20数年前にはよくお付き合いのあったKさんだった。
本人は気付いていないが、昔から僕のパワーが落ちそうになると
何かしらの手段で連絡をもらうのだ。不思議な縁だと思っている。
なんだか不思議な一日だった。
調子の悪さがどこかに飛んでいた。
今日の浅草の空
ムディター夏号でました。
こうやってみると・・・
ほぼ毎日出がけに写す浅草の空。
同じ景色なのに、空の様子一つで心持ちまで変わってしまう。
いかに人は(僕は?かもしれないが)環境に変化される生きものなのだろうか・・・
適量な雲の量と表情で心が和む。

雨模様は恐くもある。

暑い・・・

雲の量ひとつでのんびりしても見える。

雲が流れ、爽やかに感じるのだが・・・

おまけで川向こうの景色も・・・

こういうストラップはいかが

白檀玉で念珠のパーツを作り
その形式でストラップにしました。
おもしろいでしょ。
こんなに伸びて・・・
正月飾りの猫柳。
こんなにりっぱになりました。
根っこもしっかり生えて地面に植え替えればいいのかな。
たいしたものだと感心する。
今日の浅草のそら
いろめがね
秋葉原の事件後様々な波紋があるという。
ネット上に、避難の声に混じって、同調する声、予告する声、殺人者を褒め称える声
様々な責任、無責任な書き込みが後を絶たないという。補導されたものも現れたとか。
それもまた、メディアの恰好のソースになっている。
メディアの姿勢を見ていると、
そら恐ろしく感じる最近の若者像を創っていく。
けれど僕の周りには1人としてそんな人は見かけないゾ。
鼻にピアスしていようが、タトゥーをこれ見よがしにしていようが、
ズボンを地べたに引きずるように下げて歩くことはあっても
個の表現がそうであるだけで、素直な日本人さ。
世の中がどこかおかしいと言う前に、
色眼鏡をかけさせられている自分に気付くべきが先。
知らずうちに、いろめがねをぼくもかけている。
褒めて育てるのか、
けなし、欠点を指摘し続け育てるのか。
口に苦い塩もたまには必要だが、
長所を伸ばす教育がよいといわれ、だれしもそうだなと納得しているご時世ではないか。
メディアもおなじ。
塩はちょっとでよい。
娑婆世界の大変さは言われなくてもわかっているのだ。
1%のよさでも0.1%でも0.01%でもよい。
よさが見出せる出来事があるならば、もっともっと流したらよい。
それこそ、針小棒大はメディアの得意分野ではないか。
小さな奇麗事を探し見つけだし、膨大に報道し続けたらよいのだ。
夢を語ったらよいのだ。
方向を示したらよいのだ。
良いことを保護したらよいのだ。
繰り返し、人間の暗部を穿り出し、垂れ流しするのとどちらがよいか、
明白ではないか。
これ以上若者、幼きものを腐らせない、白けさせない為にも。
はっきりしない天気です。



