どんより・・・
ビルマ翡翠いろいろ
本翡翠(ビルマ翡翠)にも
グリーン、紫、ピンク、グレー、黒・・・と
いろいろ多彩だけれど
代表格のグリーンにも本当にさまざま表情を持つ。
実におもしろいと言うのか、興味深々の石である。
昔、翡翠で仏像を作ってもらったことがあったが
高価なダイヤモンド刃が次々に粉みじんになってしまい
職人に散々泣かれた覚えがある。
何しろ、硬度が尋常でない高さで、粘り強いとくるから
製作する側は、たまったもんじゃない。
たしかに、「王の石」と呼ばれるだけの事はある。
何の石がいいですか?と聞かれたら
迷わず翡翠をどうぞと言いたくなる。
でも・・・高いから。
ちょっと躊躇する。
浅草の今日の空
空を見つめてばかり・・・
想い出の浅草
「50年ぶりに浅草に来ました」
レジで精算していた老夫婦が店の女の子と親しげに話していた。
「あなたが二回生まれ変わるくらい前の話だよ」
25歳と思ってくれたみたい。得したね(^^
「どうでしたか浅草は?」、との質問に、
「すっかり変わりましたね~~~」
「特に瓢箪池のあたりが全く面影が残っていなかった」
と、いかにも残念そうに聞こえた。
昔の自分たちの足跡を見つけ出せなかったのだろう。
70歳を少し越えたご夫婦は、
若い時代の1ページを「浅草」というキーワードでお互いをリンクしているのだ。
ここ浅草を訪ねてくださるときには、
街を見、店を見、通りの木々を目にしていても、
きっと今のそれを見ているのではないのだ。
50年前の自分たちをそこに映し、再現しながら、
トレースしているのだろう・・・
きっと…
老夫婦が発した「すっかり」と言う言葉には、
どんな感慨が込められていたのだろう。
瓢箪池は、六区の今の馬券売り場から浅草寺にかけて存在した。
戦争で焼け落ちた本堂の再建のために売り渡されたと
話を聞いたことがあるがまんざら眉唾でもないのかもしれない。
古い地図を見ると、浅草寺の一体不可分の領域と思えてならないが
ここ浅草の住民の、そして観光客にも憩いの場となったのであろうことは
想像に難くない。
http://www.edo.net/edo/asakusa/s31web/map/m1.html
池を知る人は、「あの瓢箪池を埋め立てたのが浅草衰退の原因だ」と
語る方は少なくない。
それほどの、「ほっと空間」だったのだろう。
雷門から仲見世を通り浅草寺の往復で終わってしまう今の浅草の姿は、
やはりここ最近の異様な姿なのかもしれない。
浅草が憩える空間となっていた当時が偲ばれる。
偶然見つけたこのサイトには、数少ない瓢箪池の写真も含まれている。
昭和三十一年浅草
洒落て装った町ではない。
下町のどこにでもあった等身大の姿。
そんな息遣い、町の匂いが漂ってくる。
蒔絵タイプの干支シール
梵字シールのレパートリー。
蓮も上手に使うとグッと引き立ちます。
風神雷神もなかなか渋いのだ。
来年の干支もデザインが決まりました。
これが本命なのだけれど…
ねずみ年。ちゅーちゃんと言う感じでしょうか。
こちらは、
今までの干支シールね。
浅草の今日の空
スッキリ!
浅草の空、今日は雲に魅せられる。
とにかく気持ちよかったーーー!
青空。
経の空は見ていると雲の有様が奥行きがあって実に面白い。
漁眠荘のバックにも面白い雲が…
あちこちと空ばかり見ている。
バーチャルがリアルになるとき
大阪から慕わしいお客様がみえられた。
懐かしさが込み上げてくる。
といっても初対面だ。
しかし、3年半お付き合いさせていただいている。
そう・・・ネットの中でお会いしているのだ。
今までも何度こうした出逢いがあったろうか。
そのたびとても不思議な感覚になる。
お顔は初めて拝見するのに、
もう、すでに心象部分は心得ているのだ。
ネットがマスコミを騒がすときは
大概がマイナスイメージ。
自殺サイトでどうの
2チャンで炎上した云々、
事実、スパンメールは相変わらず多いし
ウィルスは日常茶飯事にお邪魔されるようになっている。
けれど、これほど時と場所を超えて
お付き合いの出来るツールがあるだろうか。
若い時代(もちろん今も若いが)、
人のつながり創りに情熱をかけていたんだ。
親友の不幸な最期に触発されて、人を孤独にさせてはいけない。
そんな気持ちが根底にいつもあった。
心のつながる人のnet創り。
今、仕事でnetを利用し九年たつ。
これほど広範囲に情のやり取りの出来るツールはないと確信している。
隣人に心を伝えるツール。
待ち望んでいたのはこれだったのかも知れないと思うようになった。
けれど、あくまで必要なのは情(なさけ)なのであって「私欲」であってはならないのだとも思う。
net環境がさらに善い方に前進してもらいたいものだ。
浅草の今日の空
久しぶり。
秋はこうでなくちゃ。
こんな腕輪もあります。
直しでお預かりしたものですが、
プレゼントされたものだとか。
どこかで見たことあるなあと思っていたが、
どう見ても自分の仕事だ。
どこをどう巡ってきたのかわからないけれど、
こうして再会することができた。
ふしぎだ・・・。
ゴム糸で編みこみ。