40年目の主張

どういう訳だろう…、
まあ原因は僕が作ったことに間違いないのだが…。

僕の耳の話なのだ。

この一週間、右の耳が痛い痛いと思っているうちに、
鈍痛でおさまらなくなってしまった。

本格的に治療を要する痛みになってきたものだから、
消毒液と化膿止めの軟膏を合わせ鏡で覗き込みながら、
恐る恐る治療することとなってしまった。

もともと化膿しやすい体質であるし、
幼少時より目、耳、口、鼻の病気には事欠かない歴史があるので、
因果は良く分かるのだ。

どこをどうすればよいかは、下手な新米医者より感覚的に分かる。

が、この痛みはどうしても合点がいかない。
外耳なのでさほど心配せずにいたのだが、
それでも痛みが長引くと、気候も丁度良くない時期だし、
自己治療も潮時、そろそろ医者に行くかと思っている矢先、
痛みが急にひいてしまった。

そこで患部を覗き込みながら、考えてみる余裕が生まれた。

患部は脂肪の吐き出し口
(つまり指で押すとチューと脂肪が出てくる所だ)
が、ある場所だった。

どうやらそれが耳掃除していたときに、
傷つけて菌が繁殖したのだろうと言う結論に達した。

小学校頃までは溜まった脂肪を定期的に押し出して、
母親にとってもらっていたのだ。

中学にあがると、母親に甘えるにもストレートにできなくなり、
溜まってるなあと思いながらもおざなりにしていた。
そのうちいつしか頭から離れていたのだ。

どう考えてもそこしかない。

すると、小6で12歳だから…
おーーー40年。
40年目にして自己主張をしたのだった。

そんなに黙っていなくてもよかったろうに…
脂肪口と言っても妙に愛おしさが湧くものだ。

それそのものは、生物学的な器官の一つに過ぎないのに
やたら同情心を感じる。

そこが、「母親との接点」ということもあるのだろうか。

親の言葉だったと思うが
「相手の醜い部分こそ、そこがいとおしく感じる。
なぜなら、その場所は、心配し続けた親の愛情が
ことのほか詰まっている場所だからね」
と、思い出された。

改めて体中には、いくつかそんなスポットがあることに気付かされた。
親不孝しているからなあ…

こうして痛みを伴ってまで、想起させるのだ。

じゃあ父親との接点ってどこにあるんだろう…

フッと想い出すそんなときに最適かなあ

今日の浅草の空

今日もどんより梅雨の空。

まあ、お百姓さんには大切な雨だからね。

めぐりんの南周り用バス。
ここでは、おまり見ないカラーなのだ。

10人目

中越地震で10人目の犠牲者が出てしまった…

しかも菩提寺の墓石類に押しつぶされる形で
発見されたと聞く。

胸が押し付けられる苦しさを感じる。

今回は、聖域での犠牲者がなかったと、
昨日早朝に書いたばかりだっただけに、
やるせない気持ちになった。

なんだか、
そこら中で書き散らしている感がある。

道路で事故が起きれば、加害者本人はもちろん、
道路管理者の責任も取られる。
川が氾濫すれば、河川管理者が。
崖が崩れれば、斜面の管理者の責任がいつも問われる。

聖域と呼ばれる公共の区域は、
決して一宗教法人の私物ではない。

都会にあっては特にそれは顕著に思う。
その区域内にあって、まして付帯施設で事故が起きれば
管理責任を問われるのははもちろん、
俗な言い方をすれば「聖域」という看板に傷がつくというものではないか。

なにより、尊い生命は帰ってこないのだから。

畏怖を感じるほどの伽藍建築にしのぎを削るのもよいが、
そこが、災害時には広域避難所になるのだという概念が
どこまで用意されているのだろうか。

その地域何万人分の非常食や飲料水、テント、
トイレまで用意せよとは言わないが
(丸の内の事業所では、準備していると聞くが)

少なくとも宗教の看板を掲げるところが、

広域の非常時の意識を持たないでどうするのだろう。

「災害時には、まかせなさい」
と言ってくれる、法人はいないものだろうか。

ましてや祭事用具で人命を落とす愚は、
そろそろ辞めにしまいか。

浅草のトンボ

子供の頃は、近くの池にヤゴ採りに
よく行った。

益虫であることは聞かされて知っていたし
なにより身軽に飛行する姿は、大好きだった。

都会といっても昔は、そこいらじゅうに沼地や田んぼも残っていたし
ギンヤンマもシオカラもアキアカネも珍しくもなく、
当然に生活の一部としてあった。

市街化、特に土地の有効利用のため高層化する都会は
生物体系をことごとく変化させたように思う。

いなくなって初めて、貴重さがわかってくる。
自然は生き物なんだなあ…

朝、必ず店前に水を撒く。
一時の水溜りができる。

どこに生息していたのか、
ひらりとどこからか飛来するものがあった。

吹き出すホースの水に飛び込んできた。
トンボである。

おいおい…
ホースの水のいきおいに巻き込まれて、
路面に落ちて気を失ってしまった。

まだ新米だね。

見るとあまり知らない種類だった。
後で調べて「ノシメトンボ」ということがわかった。

拾い上げ、人工呼吸こそしなかったが、
すぐに息を吹き返した。

小さな命、けれど大いなる自然が戻った気がした。

そろそろ考えようよ。

中越沖地震の一方を受けた空からリポートをテレビで見ていた。

若いリポーターが活躍の場を得たりと、
懸命にに状況を説明していた。

地震の規模の大きさを肌で感じるリポートだった。

ある大きな建物の近くに取材ヘリは近づいた。
「神社です。神社が倒壊しています」

神社かあ…ずいぶん大きな神社だなあ
拝殿かい?珍しい形の神社だねえ・・・

あれれ、墓所があるよ…
敷地内に墓石が100基以上立っていた。

(おかしいよリポーターさん、神社じゃなさそうだよ)

「神社が大変なことになってます・・・」
テレビではまだ神社と繰返していた。

鳥居は?  

ない。
これは、お寺です。

さらに見ていると、大きな灯籠が倒れていた。
墓も軒並み倒れていた。

この地震では、犠牲者はなかったが
地震の度に倒壊した灯籠の下敷きになって犠牲者が出ている。
なのに、こうして災害現場を見ていると、
相変わらず、灯籠や墓石の倒壊がテレビの格好の対象になっている。

もうそろそろ、この構図はお終いにならないだろうか。

神社仏閣の敷地は、非常時、広域避難所になりうる区域だ。
まして、そこは聖域。

そこで、その付帯設備で人命が奪われるなんて
あまりにも悲しいことだ。

鉄筋を各部材に通す補強を行えばある程度、
崩壊は防げるはずなのに・・・

昨今、
神社仏閣の使用目的が多目的に変化してきていることを考えると
まして、都会の中の聖域は、格好の避難所として考えるべきであって、
威容さや荘厳さを誇らしげにすることのみが、
目的ではあってはならないと思うのである。

過去、まだ墓石工事を請け負っていた頃、
地震対策のためにと、ある時期から、
墓石のパーツに鉄筋を数本必ず通した。

中には、関東には珍しい、おかカロート形式のお城みたいなお墓も設計した。
全て、鉄筋量を計算して部材をつなぎ合わせた。
墓石の設計をやめて数年経ってから、比較的大きな地震があった。

心配で施主さんたちに連絡を取った。
周りの墓石はことごとく、竿石がずれたり
倒壊したにもかかわらず、
びくともしなかったそうだ。ホッとした。

天変地異があれば、
人情として、人は不動のものに身を添いたくなるのだ。
せめてその期待は裏切らないで欲しい。

マスコミのカメラの走るところが、
決まって神社仏閣の大灯籠などだ。
僕がカメラマンなら、
きっと地震規模の大きさを示せる格好の素材対象として、
神社仏閣を頭に描くだろう。もちろんいい写真を撮りたいがためである。

そんな期待を見事に覆してくれる、
災害に備えた聖域になって欲しいと思うのは、
僕ばかりではないだろう。

猫のおなか・・・?

当店はレジの周りには、格子枡を設けて
香炉が人目に楽しめるよう配置にしている。

お客さまのみならず、販売側もレジに立ちながら、
あーだ。こーだ。と、香炉の柄を気にしながら見ることができる。

で、レジ前で作業をしていると…

気になる香炉が目に飛び込んできた。

あれ?

こんな柄あったっけ?
それもそのはず、どう見ても
トラ猫のお腹そのものじゃないか。

この太り気味は、ドラえもんのそれにそっくりだし。

?????
ありえない。
入れた覚えないもの。

表に回って確かめてみた。
なんのことはない、九谷焼の赤富士の香炉じゃないの。

物事は、裏表確かめないといけないよと
諮詢してくれているようだった。

梅雨空は明けません。

台風が過ぎ去って青空が見えたのは
ほんの僅かでした。

また、もとの梅雨空。

今年のお盆は、なんだろう…
災難がすべて揃った。

台風と地震
雷も火事もあったから、あとはオヤジだけか…
あ!自分がおやじだったっけ。

そんな中でも、雷門前は賑やか賑やか。
外人の団体さんも溢れていて、
さかんにシャッターを切っていました。

そんな中に混じって写す自分は何人?