お勉強日

WEB2の時代と言う

昨年末からWEB2の話題がよく取りざたされる。
昔のパソコン通信時代を知るご同輩には、

「何を今さら」と、おもう部分もあるだろう。
ロングテール
WEB2
は流行語のように闊歩し始めている。

タイムリーにEC研究会のフォーラムが開催された。
何はともあれ、雨の中、駆けつけた。


三菱総研も久しぶり。
EC研究会には、2000年頃から
仕事と相談しながら通っている。
一方通行のお付き合いだが
WEBの動向を考えていくのにとても役立つ。

主催している土屋氏の人柄に魅かれるところも大である。

受付で配られた資料に目を通していると
1996年5月からの活動となっていた。
そうか…丸十年。

自分が、第一次WEB店を立ち上げたのが
1996年5月だから同じ頃というわけか…
ちょっとセンチになる。
僕は、そのあと遠回りするのだが。

久しぶりに最後まで参加できた。

神田までの道のりは、酒飲み時代なら
まず、無事には帰れない誘惑の道だが
今は、何の未練もなく、風景を楽しみながらも
足早(短い足には早くもないが)に岐路に着く。


都会の川だね。やっぱり。

黒ひすい。ゲット

またbooちゃん博物館にニューフェイス。

長くお付き合いしてくれている玉屋さんと
話しをしている間に、珍しい黒翡翠を見せられた。
玉の状態もなかなかいい。
共石で、腕輪も用意されている。

いい!と思うと待ったなしになってしまうからね。

boo突猛進なのである。
(猪)

けれど照りがいい。
緑やラベンダーの翡翠もいいけれど
黒は、奥行きを感じておもしろい表情を見せてくれる。
さあ、どんな仕立てにしようかなあ。

小さい玉だけど翡翠の表情はよく出ています。

生還

久しぶりに、特攻隊の生還者のお一人にお会いした。
予科練の教官もされたというから当時は、
猛者(もさ)の一人であったろう。

癌を患い、脳梗塞になりそのたびに、
無事生還を果たしてこられた

「今度」はないかもね…
と、おっしゃっていた言葉には、
不思議と、悲壮感はなかった。

身辺整理のおつもりで、いくつもあったお位牌を
奥様を亡くされたことを契機に、
ひとつにまとめられようと、わざわざ、いらしてくださった。

「日本昔話」に登場するような、なんとも人の良い翁。
古い日本人が、そのままのような語り口。

つい時を忘れ、話に聞き入ってしまう。

僕の小学校4年生の学級担任も、特攻帰りの先生だった。
特攻として飛び立ちながら、エンジン故障で着水して
九死に一生を得た、類(たぐい)まれな運の持ち主。
けれど心中は、傍から見るほど穏やかでは、なかったであろうその半生。

礼を重んじ、不礼には、びんたで応えるおっかない先生だった。
何度、ぶっ飛ばされたか覚えていなし。

しかし、いつも父のようにまとわり付き
甘えていた記憶だけが残っている。

話しながら、ふと思い出す。

自分も毎月靖国神社に、行かしてもらうんですよ。と、
お話したのが契機に、
「置き土産ね」と予科練の話をうんと置いていってくださった。

この足で検査入院だとか…
90歳を超えて、さらに元気でいて欲しい。

どよ~ん

疲れた~~~
だからスポーツは、
見るものじゃなく、やるもんだっていうの…

人間やたらと、集中できるものじゃない。
40分も50分も黙って見ていられるかって。

運動しながら勝った負けたは、まだ爽快感があるけれど…
もう、たまらない。
騒ぎっぱなしとなった。

早々に人足の絶えた静かな浅草の町の
そこかしこから
「どよめき」「ため息」がどっとあふれ出していた。

頑張ってね

同じお客様から何度かお電話をいただく
オーダー念珠の打ち合わせなのだが

念珠のオーダー内容もそこそこに
なぜ、念珠を製作したくなったかを話してくださった。

お父様が重病なのだという。
全治するまで何年かかるかわからないのだと言う。
自分がしっかりしないといけない。
だから、気を癒してくれる念珠が欲しいのだと言う。

そうですか…
頑張って下さいね。

そうとしかいえない。

病は苦しい。
お釈迦様ですら
「病」を人生の四苦(生老病死)に入れていらっしゃる。

でも仏の智慧は、病ですら、人生の糧にしようとしてくれる。
そんな話をすると、そうなんです。私もそう思うんです。
だって。

つよいなあ…

すでに一点突破してんじゃない。
がんばってね…

ひそかにエールを送る。

日本人

盆提灯がお店に並ぶと
ふだん何屋さん?
と、しゃべりながら入ってこられるお客さん同士の会話も
「お盆ねー」
「おばあちゃん亡くなってさあ」
「お葬式はいつだったっけ」

と、明らかに夏向きの話題に変化する。

人は環境によって進化する…いやいや変化する。

お客様から盆提灯の質問を受け、
久しぶりに、改めて虎の巻を読み返した。

それによれば、
「仏壇屋は、日本の文化を後世に残す使命がある。」

日本人の生活様式が、どんどん変化しお盆行事すら
行わない家庭が増えた。

「お盆は海外旅行」だの
「お盆は家族で海水浴よ」
「デズニーランドがいいよ」

ぶわ、ぶわ、ぶわっかもーん!
日本人の日本人たる心を何とするか!

そういうboo店長何しているの… て?

お店してマーす。って。
それは違うだろう。って?

日本人の根底にはね、お天道様に感謝する
言い替えれば、先祖と自然の恵みに感謝し、その気持ちをお返しする
そんな心がDNAに仕込まれているはずなんだよね。

だから、訳がわからないけれど、気がそそられるって言うことがある。
落ち着いてしまう。って言うことがある。

2500年かけて日本人の心の文化を創ってきたのだから
それが、短期間で消えるわけない。
お盆が近づくと
どことなく落ち着かなくなってくる。
ザワザワしくるのがわかる。ホントだよ。

そんなことおっしゃっている諸兄がいれば、お墓参りしてごらんって。
心落ち着かないときは、心に反していることをしてるんだって。
ちっちゃくてもいいから、精霊棚つくって、迎え火焚いて、
手を合わせてごらんって。

日本人でよかったーーって思うことが、大切と思う。

季節がら盆棚

毎年のことだけど、
盆棚を飾ると夏!と、にわかに汗ばんでクーラーもきかなくなる。
これも条件反射と言うものか。
職業病か。

もう1年も折り返しか…と妙な気持ちにさせられる。

こうして、お店の玄関先に、旧盆の終る8月まで
どーんと陣地をはって主張する。
おかげで、かわいがっている水連ちゃんが
隅に追いやられてしまうのだ。

そのせいだろうか… ん?

 1枚葉が枯れてきた。

ど・ど・どうしたんだ。
すいれーーん!
頑張れ!立つんだ

知ってる人いたら教えてケロー!!

そっと独学?

今日も、忙しいっていうのに
店を抜け出して、霞ヶ関に出張。
まあ…いわゆる…勉強っていう範疇の…つまり

どうしても聞いておきたかったわけなのです。
記者の眼から見た、Eコマーズ。
どういう観点で捕らえているのか
現役の編集者が講演されるので
これは、逃せない、しかし店が…

どうしたものか、雨になった。
お客様の足に影響してくる。が、
こちらは抜け出しやすくなった。ありがとう「雨」。

もう眼をつぶっても、
スイスイっと到着できる、足慣れた会場。
NTTデータキュービットの主催で
そのたびに新しい発見をさせてもらう。
友人にも記者は、いるがちょっと変わっている。

言葉を替えれば、

「個性豊か」
「個が確立している」
「好奇心満タン」これは、ちょと違うか。

とにかく特有の雰囲気を持つ。

二人の講師に話を伺うことがでした。

悠々社 山﨑修氏
エディーワンの楠本亘氏
全く違う出版という
垣根の向こうのような世界でも

その活動の基礎にあるものは、
「人対人」なのだなあと実感。
人間の活動である以上
どのような活動でも人のやる行為は
仏教的に言えば、人間(じんかん)であり

情の世界であり、それをほかしておいて
結果だけを求めるなんてことは、出来ないんだなあ…
そんな思いが残った(独りよがりの納得かもしれないけど)。

条件反射

もう、6月。

6月と言えば、

来月は7月。

7月と言えば・・・
僕の誕生日・・・いやいや、お盆月。

はーー・・・。もうお盆ですか。
ここ東京は、新暦のお盆なのである。

ありがたいことに、地方からの方も多いから、
7月もお盆。8月もお盆。9月は彼岸と立て続けに
供養心が表面化する。

とっても月々、供養月なのであり、
仏壇屋さんの忙しくなる月、つまり繁忙期となるのである。

こちらの気持ちも、どことなくあちらの世界が
(ここでいうこちらは自分 あちらとは、黄泉の国のこと)
なんとなく近くに迫ってきているような・・・
不思議な感覚がめばえてくる。

夏は、お盆提灯(ぼんちょうちん)。

今では、スーパーや、お人形屋さんにまで現れるように
なってしまい、「今年はもういいかなあ・・・」なんて
出すのをためらいたくなる空気が、若干なりともある。

どこでもやっているんだものね・・・
しかしこれは、言い訳けなのだ。

そういいながらも気付くと、倉庫から小物を出してきて
夏の準備をしている。しないと寂しい。

仏壇屋の性(さが)というのだろうか・・・

気付く前に、文句を言う前に・・・勝手に体が動いている。
ハブロフの豚・・・いや、犬というやつか。
ベルを鳴らされると、勝手によだれが出てしまう、慣らされた犬なのだ。

たまーに熊本の妻の実家に帰る。
養豚業をしている義父の仕事場についつい、子豚見たさに
豚小屋の中を散歩する。
なんのアクションもしないのに、豚たちがついてくる。
人をみるとよだれをたらす。子豚はいいが親はこわい
猪?と見間違える奴もいる。「僕は食えないぞ」心でさけぶ
まだいっぱいついてくる。「食ったら共食いだぞ…」
でも、これは人を見れば、餌をありつけるという養豚の習性なのだろう。

僕への愛ではないのだ。いや正しくは、あるのだろう。
細胞の一つ一つに、脳みその奥底に「生存する為の方程式」が
刷り込まれている。

6月になれば心がざわつく、僕とどこが違うか・・・。