浅草のそら  明日は流鏑馬

墨田公園内には馬場の準備がされていましたよ。

あ!流鏑馬のためのね。この長い馬場に厚みが10cmくらいの砂が盛られて馬の脚にいいような馬場が築かれます。

明日が本番です。

厩舎です。明日はおんま臭くなります。


川の向こう側は公園も整備されてよりらしくなりましたねぇ~。気持ちいいです。

浅草のそら

TONも朝ブラはスカイツリー方面ばかり。全く変化がないよ。。。とは言わせない。

もう鯉のぼり!乱舞していました。

高架に変更されるとはいえ、レールのさびと枕木がむき出しになっていく様は心が痛いよ。

車両基地があったなんて忘れられてしまうんだろうな。
どんどん変化していく。

浅草のそら

昨日、花まつりの日に対しての一言が何故か消えちゃいました。

もうひと押ししていなかったのかなぁ。。。

だから画像だけ。

同時に5年前の昨日発令された「非常事態宣言」時の浅草の様子でした。

本当なら(仏教徒なら?か)今日は喜ばしい一日なのである。

TONは今日つまり花まつりの今日「非常事態宣言」が発出されたのを金輪際忘れられないのである。よりによってお釈迦様がお生まれになられた今日。灌仏会、花まつりの今日。武漢コロナが猛威を振るい東京オリンピックを間近に控えた今日、不要不急のである気を禁止された日なのである。

5年経ったこの日はインバウンドに、観光の町としての賑わいは戻ったが、コロナ前と後ではその様相は一変した。

TON自らの事を振り返れば、不動、平凡、あたりまえというものを信じなくなった。信じられなくなった。さらに10年前の3.11で心は大波にただようはめに陥ったが、輪をかけて今度は世界レベルの大激震に目の前の当たり前の光景なんてない事に気づかされた。

いや、青年時代から昨日と今日が同じと思っていたわけではないのだが、仏教に関わってから心経の奥意を探せば探すほど形あるものなんてこの世には何一つない。不動なんて何一つないことは頭でわかっているのだけど、それにしがみついている自分を見つける。

この十数年は頭の理解から魂に刻まれる理解をさせられた。経典をひも解くよりよほど身に沁みさせられてきたのだ。動なるものにしがみつくな。未練を持つな。
そんなことを教えられてきたような気がするのだ。高い授業料なのはわかっている。