
どこの国のお店かと・・・

正月でもないのに店内は大盛り上がり。
おかげでレジ周りは人が行き来できない有様。
BGMが聞こえないほどに会話の声が溢れていたし。
正月とちょっと違うのは、全員の方と言葉が通じないこと。
そして、三日月型の音木のような道具(ブエというらしい)を投げて吉凶を皆さんが占っていること。
とても不思議で尋ねてみた。
三日月の道具は握ると手に余る程度の大きさで、片側は平たく、反対側はアールをつけたなだらかな形。
表表or裏裏は凶で、表裏に出ると吉なんですよと教えてくれた。
浅草にあるお店を11軒回ってきたけど店に入ることもできなかった。とか。
「ここは大丈夫だったからどうしようかと思ったけど良かったわ」との弁。
ところ変わればだけど、生涯使う念珠を選ぶのだし、神様にお伺いを立ててその声に素直に耳を傾けるのだから、床に座って占うことを遠目で見るしかないじゃない。。。口出しすることはできません・・・・。
まあ、Oリングしながら腕輪念珠を選ぶ方もいらっしゃるのだから、団体さんとそうでないかの違いかな・・・と思ってみたりのTONでした。
浅草のそら

浅草のそら

浅草のそら

オーダー1点

浅草のそら

浅草のそら

浅草のそら

時代が変わるということか
30年以上こういう仕事をしていると色々なお客様の意見を聞くことができて、思わず苦笑せざるを得なくなることも、それ以上に文化の危機を感じることもある。
仏壇を収めさせて頂く時には、その家にとっては大変喜ばしいことなのだ。
なぜなら、先祖をお祭りできる家が入ることなのだから。ご先祖様のおうちを建てれることが喜びなのだ。
これはセールストークでも何でもない。いかに仏壇を買ってもらおうかと先祖の名を借りて商売をしようとしての言葉ではない。
TONがこの仕事を初めて10年くらいの間にお客様から教えていただいた言葉なのだ。
10年くらいというのはえらく限定しているけど・・・と思うだろうがめっきり減ってきてしまったということなのである。まだお年寄りが(といっても戦前生まれのお年より)一家のうちにいらっしゃって、信心のないTONにでもわかりやすく噛んで含ませていただくように教えていただいたものだ。
そういうお年寄りのおうちに伺うと決まってお赤飯が炊かれていた。
おめでたいことなのだから・・・。
時が移ると徐々にめでたいことという感触から離れていった。
実用的ということがあきらかに優先となってきた気がする。
それは肌で感じることで、必要に迫られてということが購入動機の割合が多くなったことにもよるのかもしれないが、赤飯で迎えられることは皆無になった。
仏壇屋が家具屋になるのも日を待たないのではないかと思わされている・・・。
少し前にある方からお叱りをいただいた。
火がぼーぼー出て蝋がダラダラ垂れる。すすがめちゃくちゃ出る。
本和ろうそくをお買い求めいただいたからお小言を頂戴した。
洋ローソクがあたりまえの時代にあって、和ローソクの燃え方はとてつもなく火が大きい。
実は洋ローソクとて、もともと火が小さいわけなのではない。
芯の寸法を抑えることで出さないようにしているのだ。
と、いうことで快く引き取らせていただいた。
この燃え方にf分の一ゆらぎが隠されていて、人の心のストレスを癒してくれるのだということを理解していただいている方でないと使えないものなのだろうか・・・今は。
と考えてしまうTONなのである。

いいねぇ。。。和ろうそくの火は・・・・・

