浅草のそら

お空ついでに、浅草のこんな風景もあります。

あなたは、足早にアットホームに帰りたくなる人か・・・・

それとも、
赤い提灯がほっといてくれない人か・・・・

TONは若い頃は後者のほうでありました。

今は・・・

仕事が待ってるゾ。

の、人なのでありました。

ジャンジャン。

菊は強い

以前は女の子の名前に菊の字をつけることが多いような気がする。

実際調査したわけではないので感覚的なものでしかないけれど、日本的だから菊の一字をつけるのかなくらいの認識でしかなった。
菊、菊子、字を変えて音だけの紀久子、喜久子、男名でも菊雄、菊夫、喜久雄、菊三郎などなど・・・
番町更屋敷のお菊という特殊な立場もあるが。

毎月写経の例会に仏前に華を供える。仏花というものである。
何年か前までは、フリージアだのカーネーションだの洋花でほんわりしたイメージの花が主流であった時もあった。

が日持ちがしない。

きっちり毎朝、水を取り替えてあげても、せいぜい一週間もてばよい。

特に夏場はどうしようもなく水を腐らせしおれてしまう。

いつの頃か、昔ながらの菊が主流になってきた。

スーパーでもお彼岸になれば仏花が売られるのだから、手に入りやすいと言えば手に入りやすいからなのだろうし、安いという理由も考えられる。

菊が用いられるようになって解ったことがあった。

彼らは少々の水の濁りにも充分持ちこたえる。

強い。

一緒にそえてある用花が次々に脱落していく中で、しっかり芳香も保ちながら、花の照りを失わない。

はっはーん!
なるほど、菊というのはこういう強さがあったのか・・・・

畏れ多いことですが、天皇家が菊の御紋章になさることに深く納得させられるまでもなく、日本人の菊好きは、こんな花の清楚さながら粘り強い生命力を好んだのかなと妙に感動したTONでした。

もう一歩

もう一歩踏み込んでもらえないものだろうか・・・・

仏具の修理に職人に出した。
戻ってきて、ワクワクしながら荷造りを解いた。

2か月近くかかって手直ししてもらった塗り物。

さぞかし美しく蘇ってくれたものと信じて覆っていた薄紙をはがしてみる。

きれいにつやが戻ってした。
一安心。

ふと金箔部分に目が行ってしまった。

はくの上に指紋の跡。
(そうなんです。箔の上を触ると長い年月の中で指紋が浮き出てくるのです)

よく見ると・・・・
金箔部分は職人に出した時と何も変化が見られない。

全く慌ててしまった。

どうなのこれ・・・・・

即、職人に電話。

「箔?いじってませんよ」

あまりに悪びれず答えてくるから、返す言葉を失った。

だってね。光る部分は自然に目が行くものなんです。

昔、カーウォッシュのアルバイトをしていたころ、「バンパーやエンブレムのメッキ部分(ずいぶん古いですね)は、特にぴっかぴかに磨くんだよ。そこが綺麗だと全部きれいに見えるものなんだ」と先輩から教えてもらったものです。
動線をトレースするということがその道にはあるはず。

期待して預けた人のことを考えたら、どんなに漆黒の漆は綺麗でも、金箔が手垢まみれになっていたら、半減どころのものではないでしょう・・・・

お客様の視点にちょっと立ってみれば、仮に指定されていない部分でも、「お客様、ここをこうしたほうがもっときれいになりますよ」ってアドバイスしたくならないかなぁ。
ちょっとがっかりした。

暇さえあれば念珠の玉を磨いたり(お直しの)、多少金額が高くなることがあっても、お客様の立場に立って考えてみれば、喜んでいただけるだろうと思えば、より以上の出来上がりを予測できればお伺いだけは立てる。

でも・・・

自分でも同じような失敗をしているかも。

いい勉強をさせてもらった。
今一度お客様の動線を頭と心に感じてみなくちゃぁ・・・・

藝大生の自主作品を拝見。

猫が150匹以上生息するらしい・・・・;;

気づく

念珠を直していると、後ろから・・・

「もしもし・・・・」

「作業中申し訳ありません」と声をかけられた。

念珠の玉数についての質問だった。

通り一遍の答えだったけれど答えさせていただいた。

「被災した人たちに頼まれて・・・・」

という会話にはっとして聞き返した。

「どちらですか?」

「大船渡から」

そこから話の糸口が広がり、商店会の寄せ書きを大船渡の小学校に送らせていただきましたとなっていった。

「被災からすでに三ヶ月を過ぎ、表面は生活がなんとかできる状態になりはしたが、何か足りないというのです」

何か足りない。

落ち着かない・・・・

そう・・・・

多くの家族が仏壇もお位牌も全て流されてしまった。
あるべきものがないのだ。

ふと気が付いた。という。

「せめて念珠を身につけたいと思うようになったの」

そうおっしゃった。

心のよりどころ。

震災直後から自分は何ができるのだろう・・・
ずっと知恵を絞ってきた。

手に入るだけのローソクを被災地に陸送しようかとしたが、ローソクは危ないからとマスコミの言葉に、気持ちを押しとどめた。

こういうとき自分の仕事の中には何もできない。だから、仲間を募って物資を集めて急きょ送ったりと僅かな仕事をさせてもらった。

被災したばかりは衣食住の条件をそろえることが急務だったが・・・・

心の問題がどんどん顕現してき始めているんだ。

目に見える問題もいっこうに終息しているわけではないけれど、
人として人間らしさの根本をなす先祖供養や祈るというベースは、僕らの業界の責任として真剣に考えないと・・・・

本当に考えさせられた。