浅草のそら
涙を呑む
久しぶりに浅草は賑わった。
ゴールデンウィークは近場の観光地でとかマスコミでも情報を流していたし、
こんな形でどっと出たわけではないのだろうけれど、やはり人がぶつかるほどの活気さが、やはり浅草らしい。
御陰様で店もそれなりに混みだした。
そんな中ある親子さんがご来店くださった。
「チョット待ってね、まだあるから」
仏具を一つ一つ時間をかけて丁寧に選ばれていた。
ご供養するために必要な一通りの買ってくださった。
接客しながらふとお客様の口から、
「津波にあったその日が命日と思って、供養してあげたい・・・から」
ん?と思った。
品物をお渡しするとき、
「どちらからですか?」の問うてみた。
「岩手」と一言。
さらに問うと、
「大槌町」と言葉少なに応えて下さった。
きっと口には出されたくなかったのかもしれない。
僕も僕で次の言葉が出なかった。
自分も岩手のお客様の現状がまったくつかめないこと、
宮城の親戚をなくしていること、
など我知らず口にしていた。
被災時には他所にあって難を免れたお母さんと現地にいた娘。
家族の大事に一緒にいられなかったと心を痛める母の弁。
「母がいてくれたから生きていける」と子の心。
最大級の難が現実として究極な状態に落とし込めたのだ。
我知らず涙を呑んでいた。
あまりに心の傷が深いだろうことを察すると、どんな応答も空々しい言葉になってしまう。
ともに涙を呑むこといかできない自分があった。
外の喧騒とは裏腹に被災地はやっとスタートラインにつけるところにたどり着けたのだろうか・・・・
スギライト片手
浅草のそら
たいへんだあ
胸を熱くする
昨日、岩手県の大船渡小学校の校長先生からお電話をいただいた。
先月3日に、商店会員全員(ほぼ)で街頭で声をはって道行く人にお願いし、
同じく田原小学校の子供たちに協力してもらって完成させた寄せ書きそして募金を大船渡出身の知人のつてで、大船渡小学校に持って行っていただいた、そのお礼の電話だった。
正直なところは軽い気持ちの寄せ書きで被災地の人に励ましのメッセージが伝えられたらな・・・くらいの気持ちしかなかったのだが、商店会員の皆と話し合い、スケジュールを組んで今までにない参加率でのぞめた寄せ書きと義援金募集の企画は、780名の人々の寄せ書きと手形押しの結果として残った。
ご協力くださった来街者の皆様へのお礼とご報告をかねて先々週に道路(観光センター前)に掲示させていただいたことは、すでにこのブログでもかかせていただいたけれど、見れば見るほど、780名の心が伝わってきて、おいそれと簡単に援助物資と同梱して送るには申し訳なくなってしまった。
そんな思いにさせてくれたのも、心のこもった一言一言の結晶の力だったのではないかと思った。
小学校では、校長先生が学校の入り口近くに掲示してくださって浅草から応援メッセージが送られたことを説明してくださったと聞いた。
「子供たちが本当に喜んでいます」「ありがとう」
そう言う校長先生の電話口の声に、僕は胸が熱くなり次の言葉が出なかった。
浅草のそら
浅草のそら
仏具二題
ちょっと毛色の変わった仏具セットが手に入った。
何れも6具足で、香炉、火立、花立、仏飯器、茶湯器、そして線香立の6種類。
ひとつは、有田焼の三衛門として昔から名をはせた内のひとつ源衛門窯による作。
火立、香炉が3.8号(3.8は寸の意味:約11.5cm)となる。

源衛門窯特有の色調。

いまひとつは、こちらも九谷焼の代表柄、銀彩をモチーフにした、宇野千代の薄墨桜。
宇野千代と言えば桜を連想するが、さらに銀彩のイメージが加わって絵の奥行きさと上品な風合いが、高級感を醸し出している。

上置き仏壇や家具調のホワイト系の仏壇に似合いそう。

仏具と言うと、仏壇のサービス品のように扱われる代物と最近の傾向なのだが、高級仏具わ中心にして仏壇を決めるというのも、これからの選択肢に杯ってもよいのではないかと思う(仏像を中心にというのは当家では極自然に行なわれてきたが)

