ずっと以前から、TON店長は、マイナーな自分の「姓」を求めて俗に言うルーツ探しと言うことに手を染めた・・・というかいまだに継続中である。

偶然(仏教的には必然なのだが)仕事先で回った土地にマイナーな自分の姓が履いて捨てるほどあったことに驚嘆したのがそもそもの発端だった。

その興味の輪は、周辺に拡がっていった。

出張で行く先々でまず挨拶代わりに行なうことは、電話ボックスに陣取るのだ。
何をするかと言えば、50音別電話帳の「に」のページを開けて同姓を舐めるように探す。
全て書き写して持ち帰る。電話ボックスは貸切となる。迷惑な話だ。
隣県に同族と思われる人々が多くいることも知った。

お墓はまず黙って横切れない。
必ず一基一基覗き込んで墓標まで確認していた。
そんな興味が高じてお墓の仕事につこうとは思いもしなかったが・・・

そんなことが20年は続いただろうか。

おぼろげながら、分布が見えてきた頃にインターネットが普及し始めた。

ネットにルーツ探しのホームページを見つけ、苗字探しをライフワークにしている人たちの多さに驚いた。

あるサイトに出会い、全国の電話帳データベースを利用して僅かな金額で調べてくれることを知った。
依頼した次の日、添付メールが届き、全国の世帯数と分布をあっけなく知ることができた。

おかげで丸の内にあるNTTのセンターに行って暫く篭城する計画は中止となった。
二十年かけて未完の作業が一晩で終了した。ちょっとばかりつまらなくなった。
インターネットの怖さも感じた。同時に何かができそうな期待感も生まれた。

マイナーと思われた僕の姓は、全国に約3500世帯の同姓がいた。

今まで自分の研究成果以上の発見は、兵庫県の明石市に極端に多く分布していることがわかった。なぜここに多いのかは今もって解らない。
同時にその地方の方々が揚羽蝶の平家紋を使用していることも知った。
ふ~ん。兵庫県か。

実は神戸の付近には一方ならぬ深い縁があったのだ。

子供の頃のことゆえ今はどこにどうしているものやら所在も生死すらも不明なのだが。
いつか見つけてみたい人がいた。

そんな意識を持ち始めてからやたらと西に縁ができた。

縁とは不思議である。
出逢う人出逢う人、慕わしくて仕方がない。

原因があるから、結果がある。
もしかしたら、ご先祖が随分とお世話になっていたのかもしれないな。
冗談交じりに聞こえるが案外本人は真剣だったりする。

どういう縁に触れて、どういう結果に誘導されるのかはわからない。
けれど、とにかく僕にできることは、今を最良の出会いと感じて、最善を尽くすだけ。

そう思いながら出逢わしてもらう。
何とも言葉にできないほど実に楽しい。

今日はどういう縁のつながりなのだろう・・・
と思いながら次の出逢いを期待する。

阿弥陀様だけ

定番の梵字彫り腕輪。
ただちょっと違うのは、
お客様の要請で、全て阿弥陀如来のつまりキリークの梵字に仕立てました。

余談ですが、
梵字が好きで長いことやっていると、
梵字のほうから

「私はバンだ」
「タラークでっせ」
「アンだがな」・・・

と応えてくれる。

気が触れたわけではない。
きっとそんなものなのだろう・・・

きっと

スカイツリーその後

遠い絵ならまだまだ余裕で入るけど・・・

東武本社ビルも外装はそろそろ終わりそう。

近いのは、そろそろ限界。
これでも 21㎜なんだけど。


横十間川の対岸からの定点撮影。

秋には200m位まで立ち上がるとか言うし・・・

歴史

なんの写真か一目でわかる人がいたら、同業者かよほど毎日仏壇に向かってお勤めをして、古くなったからそろそろ買い替えないといけないかしら・・・と日々考えている方だろうと思う。

仏壇の中扉の障子部分の写真なのである。
クリーニングやお洗濯(仏壇をきれいにすること)を依頼された。
登山で例えれば1合目(にも満たないかな)は中子の修理。
なんたって昭和12年の仏壇だからと高をくくるが、
70年を越えてなお使用に充分耐えられる。

昭和12年と言えば北京郊外の盧溝橋で中国側からの一発の銃弾で、日中戦争に突入していった年。
仏壇は戦争で亡くなった息子のためにせめてもと父親が新調した。

よほど大事に使われていたことは、紗の張替えをしたときに実感した。
70年経つのに、破れの一箇所も見られない。
洗えばまた使えそうな紗。剥がしてみると70年の汚れとは思えないほどきれいな状態に驚く。

よほどよいお線香を使ってきたのだろう。
簡単に汚れは落ちる。
高級なお線香は、煙は出すが汚れは簡単に落ちる。
クリーニングをしてみれば、手に取るようにわかるのだ。

息子を思って仏壇を新調した親の心。その遺志を受け継いだ家族の心。
そんな思いが、ぐっと胸に押し寄せる。

ひさびさ

テレビ東京のガイアの夜明けを久しぶりに見過ごさず(寝過ごし)にすんだ。

http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview090609.html
見なさいとばかりに上さんがチャンネルを回したのだ。
(今は回すといわないかな)

自転車がテーマだった。
通勤族に自転車が見直されていること。
自転車のユニクロ「アサヒ」の躍進のこと
アシスト自転車が原付の販売台数を上回ったこと
新システムの駐輪スペースのこと
などなど興味に尽きる内容だった。

ただね・・・

抜本的な自転車が既存の交通体系の中でどこを占めていて、現実どうなっているのかという投げかけがなかった(エピローグに一言だけあったけど)ことは残念だった。

もちろん自転車乗りからすれば、自転車は軽車両であって、車道を走り都市間交通の一助と思っている。

でも自転車を操作するほうにどれだけ意識をもって乗っているかと言う意識の格差は、ことを複雑にしている問題と思う。

交通マナーの問題で取りざたされる事だって、低速車と高速車をニ系統で考える所までいっていないし、実際の自転車レーンの問題だって、どうみても付け焼きとしか言いようのない姿に映ってしまうのだ。

朝のジョギングコースでも自転車を猛スピードで疾走させてくる通勤族の猛威にさらされている。いつかぶつかるぞ。

もうそろそろ行政も本腰を入れるときなのじゃないのかな。