浅草のそら:
秋
もう立秋です。
秋が立つというのに、
なんでこんなに暑いのか。
まして梅雨の様相すらまだ抜け切れていないというのに。
調べました。
何故何故?
立秋は二十四節気のひとつ。
季節の変わり目を指すわけでありまして、ではどこの季節を指すかと言うと、二十四節気が生まれた地方の季節が元になるわけです。
ではどこで二十四節気が生まれたかと言うと中国殷の時代に成立したものといわれていますから、大陸の黄河中流域の気候にあわせた変わり目ということなのですね。
と言うと島国日本との気候の違いは歴然。ここに肌で感じる季節のギャップが現れてくると言うもののようであります。
ちなみに殷の首都近くの中国太原市と東京の温度差は10℃近くあるようで、そのまま日本に伝わった二十四節気の概念では感覚に誤差が出るのは当然と言うわけですね。
なあるほど。
ともあれ暦の上だけでも涼しくなる約束を取り付けたような気になってちょっとは涼しくなるかも。です。
迫力あるでしょ
浅草のそら
最近の朝のそらはこんな感じばかり。
たまにはスカッと秋の空・・・
っと、夏の空にならないかなあ。
写経の余韻
大忙し
朝は小雨。
昼はカンカンの快晴。
にわかに曇ってきたよん。


そのたびに商品を出したり入れたり大忙し。
えーい。
なんとかならんかい。
見方を変えれば
子供用に製作した深海珊瑚の片手。
小学生だからといっても安価なもので納得させていいはずはないと思う。
そこで、大人用の念珠をそのまんまスケールダウンし、
目の肥えた、本物のわかるお子様用に創った物だ。

本物ゆえに充分みごたえはあると思う。
「子供にもったいないわ」などと言わないで欲しい。
小さい時に本物に触れておくのはとてもよいことなんですよ。
ましてや自分のものとして大切にする心も同時に養ってもらう。
じゃあ子供が大きくなったときどうするの?
の答えは、玉を足して径を大きくしたらよいのです。
また、他の玉とのアソートにしてもよいでしょう。
要は腕一つ、アイデア次第と言うところだろうと思う。
改めて見ていて、大人がそのまま使用してもよいのではないかとも思う。
腕輪念珠はさすがにお葬式など法要の際に使用することはお勧めできないが、このサイズなら何ら違和感はないし、邪魔にもならない。
お守りサイズ、大人の手のひらにすっぽり隠れるサイズだ。
多目的に使えそうでもある。
一つの分野になるかもしれないと一人思った。
四季
早いもので、東京の7月盆もあっという間に過ぎ、月遅れのお盆もあと一週間あまり。
いよいよ民族大移動の時期が近づいてきた。
そして、お店で展示している盆提灯もいよいよお別れとなる。
ただ、浅草はサンバカーニバルが終らないと夏の雰囲気は抜けることはない。
町中を飾るあの黄色いサンバの提灯が、いやでも気持ちを盛り上げてくれるからだろうか。
が、店内は盆提灯の占めるの割合が大きいから、なくなるととたんに夏の終わりを否応なく感じさせられてしまう。
そんなこんなで、この時期はいつも悩むのである。
カンカンに照りつける太陽の下、秋のディスプレーにはまだ早いし、夏を惜しむ気持ちも手伝って次への行動が取れないで金縛り状態になる。
じゃあ今年はどうしよう・・・か。
冷夏の影響ですでに秋の様相も無きにしも非ずだけれど、かと言って真夏を過ごした!という実感も乏しいから秋への様変わりは逆効果を生みそうだ。
考えるに日本の四季は、きっちり入れ替わるからいいのだと思う。
春になったんだかならないのだかはっきりしない。
梅雨が明けたんだかどうだかうやむやにある。
夏なのか?秋が・・・、冬が・・・
まるで亜熱帯の住人のような感覚に近づきつつある。
冬夏のそれぞれの厳しさを味わうからこそ、季節の変わり目に喜びを享受できるというもの。
喜びの大きさは、日本人の感受性の豊かさを増幅させてくれたのだと信じる。
こんな季節の変わり目のおぼつかない日本では、これからどうなるのだろう・・・
つまりは、喜びの質を変えないといけなくなるのだろうか。それとも・・・
老婆心ながらそんな危惧すら感じる昨今なのである。
ともあれ、若干少なめの蝉時雨を聞きながら、日本の変わっていく姿を想像している。

