沽券
沽券図と言う言葉をはじめて知った。
「沽券(こけん)にかかわる」つまり人の値打ち、プライドに充てた言葉の元となる言葉。
江戸時代から土地の売買の証文のことで、いくらで売り買いするという時の証文のことだという。
50歳を過ぎてもこんな言葉も知らないの?と思うなかれ。恥を忍んでの話しなのだ。
その沽券がどうしたかというと、明治初年、詳しくは明治4年12月27日に大久保利通によって地租改正に先立ち、沽券税という形で始まった。
つまり土地の所有者から等しく税金を取る法律が施行されたのだった。
これは実に画期的なことで、江戸時代までは市街地の土地は無税だったのだから。
武士も町民も別け隔てなく、税金を納めることができるようになったのだ。
資料によれば、
沽券(土地の売買証文)に課せられた明治初期の「沽券税」の領収証が、津市一身田町の醤油(しょうゆ)製造会社「下津(しもづ)醤油」(下津和文社長)から見つかった。国税庁税務大学校税務情報センターは「沽券税の執行を示すものはこれまで確認されておらず、極めて貴重な史料」としている。
沽券税は、廃藩置県に伴って明治政府が1873年(明治6年)に実施した地租改正に先立ち導入された。72年後半から、それまでは無税だった市街地の土地に沽券金(売買地価)の1%を課税した。
長々とお読みいただいて恐縮だが、何を言いたかったのかというと、この税金の元となったのであろう図面が公文書館に保存されていた。
そして、その沽券台帳なる図面にわが社念珠堂が立地しているここ、この場所が、1400年をはるか昔、大川からすくい上げられた観音様を私邸に祀った第一号の篤信者である土師中知の子孫が代々、ここに邸宅地を構えていたそのことが記載されていたのである。
見ると明治6年当時四百数十円であった土地は、大正2年の同図では1000円を超えていた。
じつに面白くもあり、不思議にも思う。これも一つの歴史である。
こんなに大切な歴史が人々の記憶から忘れ去られていることに、寂しさを感じてしまうのはおかしいだろうか。
スカイツリーその後
日曜の朝は、隅田川周辺を走った後、自転車で押上に出かけるのが習慣だった。
押上への目的はもちろんスカイツリー。
進捗状況がここに行かないと見えないから。もとい。見えなかったからに他ならない。
けれど、ここ最近は浅草からでも遠望できるようになってしまった。
クレーンが、ではない。
タワーの躯体そのものがにょっきり見える。
それはそうだろうと思う。
10月には100mになりますとポスターでも宣言してしまっているのだから。
あと3ヶ月で吾妻橋にあるアサヒビール本社ビル(ジョッキビル)を抜いて、横浜のマリンタワーとほぼ同じ高さになる。
見ものである。
そんなだからつい現場主義に揺らぎが出てきてしまい、
遠望することで納得してしまうようになったという訳。
この写真はタワーをとったつもりなのだけれど、雲に魅せられてしまいつい雲海の如くの写真になってしまった。
下方真ん中に針の先のようにちょっとばかりクレーンの頭が見える。
そこがタワーの位置となる。
http://www.skytree-obayashi.com/newlytower/index.html 現在が76mと言うから完成したらこの写真の画角一杯になるのだろうか。
風景は随分変わりそうだ。
明日にでも行ってこようっと。
浅草のそら
これが見たかった
浅草のそら
スカイツリーが見え始めた
キングギドラのようなクレーンが地上600mの高さを誇るスカイツリーの基層部。
ついにここ神谷バー辺りからもスカイツリーが望めるようになってきた。
いよいよ、天空にそびえ立つ。
といってもまだ2年あるけれど、秋には100mまで高くなるというから、クレーンの頭がジョッキビル程度には到達するのだろう。
分度器があれば、今の高さを計算することは簡単なんだけれど、そばに行って見上げてみたい。
さてさてまた業平通いがはじまりますかな。
二天門
さすが!観音様

スローガンも違うのだ。

