桜の様子

まだ三分咲きかな・・・
でも、
日が緩めばあっという間に満開だろう・・・
そうなるともう青葉の季節。
早いなあ・・・
おはよう

今日は起きていたね。
もう・・・
この冷え込みの中・・・
この時間にすでに・・・
まあ・・・
たくましいというか・・・
ご苦労さんというか・・・
好き者というか・・・

飲めればどこでもいいんだよな。
のんべえは。
一月は正月でで酒が飲めるぞ、酒が飲める飲めるぞ♪
二月は・・・
三月は・・・・♪♪♪・・・
でしょ。

でも、その足元には、東京大空襲のあと、逃げ遅れ亡くなられた多くの方々の処理に困って仮埋葬された場所。
いっぱい、いっぱい埋められていたっていうことを
頭の隅でいいから置いておいてね。
賑やかさ(繁栄を)を感謝し、その気持ちのわずかでも回向してねと思うんだ。
そういう場所でもあるんだよ。
墨田公園は。
レガッタ
小さくて見えにくいけどボートが写っています。
レガッタの練習風景が目に付くようになりました。
恒例の早慶戦も近し。
吾妻橋

吾妻橋から見る浅草の表情って、
空が高くてちょっとホッとする。
少し浅草っ子になってきたかな。
とも思う。
けど、僕は生涯浜っ子さ。
どうでもいいけどね。
ちなみに浅草への墨田区側からの玄関口吾妻橋は、江戸時代からの橋で三代目になる。
江戸時代はもちろん木橋として架けられており、小舟の渡しでの時代、数少ない地続きの交通手段だったのだ。
吾妻橋は面白いことに、官橋つまりお上が架けた橋ではなく、民間の力で架けた橋であった。
ゆえに橋のたもとにて通行料を徴収していた。
浅草寺が民衆の力で盛隆を誇った奇異な寺ということを考えると、民の橋、吾妻橋も浅草らしいといえるのではないかと思えてならない。
三社の予感
浅草のそら
ジンクス
26日は朝のジョギングの最中は雲の多いお天気であったけれど、なんとか持ってくれていたが、ぱらついてきてしまった。
当日は仏壇の納品が午後に予定されていたので、通常ならば心配するところだ。
が、が、店を開いてこの方、仏壇の納品に(墓石も含めて)雨に祟られたことは一度もないのが僕の自慢?なのである。
嵐の日に収めたこともある。
何もそんな日にと言われる御仁もいらっしゃるかと思うけれど、どうしてもその日しかダメというお客様もいらっしゃるのだ。
で、しかたなく叩きつける雨と風の中納品先に向かう。
お客様の家を数百メートルという時になってワイパーのスイッチを切った。
仙台まで納品したときもそうだった。
東北道は、ずっと雨。
だって台風が追いかけてくるんだもの。
早朝に仙台について、仮眠して向かうことにした。
目がさめると陽光がまぶしかった。
台風一過の日本晴れ。
虹まで見せて歓迎してくれる。
そんなことはざらにあるのだ。
雨男の僕が雨の神様を引き寄せるのかもしれないけれど・・・
先祖のお家を新築するのだから、皆(ってだれだって?)きっと喜んでくれているのだろう。
だから仏壇の納品となると天気の心配はしたことがない。
いつも安心している。
僕のジンクス・・・
今だ破られず。
どう生きるかだなあ・・・
テレビで藤野高明さん(70)のことを知った。
両眼失明、両手とも手首から先がない。
終戦間もない子供時代、河原で拾った金属筒が不発弾とも知らず、遊んでいるうちに爆発。
共にいた二歳年下の弟の命を奪い、自らも二重苦の身体となった。
腕のない氏は盲学校からも拒否された。
指先が使えなければ点字が読めないからだ。
ある日、ハンセン病の患者さんが唇で点字を読むことを知った。
彼は一念発起し独学で唇で点字を読む訓練をした。
二十歳を過ぎてようやく盲学校中学部に編入した。
現在、聾唖学校教師を務めあげ第二の人生を講演活動などに送っている。
そんな氏が、人生を振り返り、
「自らの人生は人に支えられ感謝できる人生だった。生まれてきてよかった」と語る姿に涙を禁じえなかった。
http://mainichi.jp/universalon/clipping/archive/news/2009/01/20/20090120ddm012040005000c.html

