嬉しい知らせ

珊瑚は言わずと知れた子宝と安産のお守りだ。

先週本当に久しぶりに甥っ子似のSさんが初々しい新妻と連れ添って訪ねてくれた。
体は大きいけれど気が優しい。
そう金太郎みたいなおにいちゃんだ。

その金太郎にいちゃんは、自分の念珠のパワーアップを図るのと一緒に子宝に恵まれるにはどうしたらいいかなとお守り代わりの念珠の素材を質問してきた。

鸚鵡返しに「珊瑚でしょ」。
口を突いて出た。
全くもって考える時間もなく間髪いれず口が勝手に開いた。

珊瑚には昔から女性の邪鬼払いと、子宝、安産の絶大なる信仰があった。
僕もそんな珊瑚が好きになった。
だからすんなりと口に出たのかもしれない。
もしかしたら珊瑚がSさんを待っていたのかもしれない。

日曜の朝に電話が入った。
Sさんだった。
「赤ちゃん・・・」
「できたの?」またぼくは即答していた。
感動していた。

珊瑚がどうのというのではなかった。
Sさんの心根が嬉しくて気持ちが泣いていた。

浅草寺本堂屋根の葺き替え

節分会が終わると本堂屋根の葺き替えが 始まる。
本瓦からチタン瓦になののだという。

あと数日で本瓦の風情のあるこの風景も見納めとなる。

東京大空襲碑


ウォーキングの途中にある供養碑。
浅草周辺には戦争のメモリアルがとても多い。
たった60年前のことである。

勝海舟


墨田区役所の足元に建つ勝海舟の銅像も朝焼けの中が一番似合う。

お化けが出るかな

足元に35㎜のフィルムが転がっている。

大晦日の大掃除のときにどこからか転がり出て、そのまま年を越したのだ。
HUJIFILM ASA400-24枚撮り、使用済み。

2000年にはネットショップを始めていたから、カメラはデジタルに切り替えた。だから少なくとも9年はたってしまっていることになる。

中身はなんだろう・・・
概ね自宅で撮っていたものだとすれば、子供成長記録だろうか。

今更という気もするし、見たい欲望もでてくる。

中身を見たいいう欲求と、お化けになっていたらどうしようという葛藤があるのである。そっとしとこうか・・・いやいや、今ならまだ救えるかも・・・くだらないと思われるかもしれないけれど躊躇している。

しげしげ見ていると、たった24枚撮り、よくても36枚捕りの中によくまあ収まったものだ。
被写体を撮りたいという欲求を当時はよくこの枚数で我慢できたものだと思う。

中学時代はリコーオートハーフが我が家の唯一のカメラだった。
解像度は滅茶苦茶に悪かったけれど、フィルムを小さくこま割りしてくれるから通常の2倍枚数を撮ることができた。
高いフィルムを買えなかったBoo家では非常に重宝した(おまけにモータードライブだったし)。

それでもせいぜい36枚撮×2+α=80枚程度が限界。
子供心にこれは凄いと感じた。ついでに現像代も凄いことになった。

今は僕の携帯電話ですらメモリーが1ギガだから・・・3000枚以上は撮れる勘定。
普段何気なく使っているけれど、改めて考えると技術の革新は凄いことだ。

フィルム時代は限られた資源、資産のバランスの中で、渾身の一場面にチャンスを絞って画面を切り取っていた。フィルムがもったいなくてやたらと撮れなかった。
好き放題に撮れないだけに、一枚一枚に魂がこもっていた。
デジタルになって何となくこの一枚に対しての思い入れが希薄になったような気もする。こんなこと感じるのぼくだけかなあ。
まあシャッターチャンスに賭ける勝負の世界は同じなのかもしれないが。

気に入ればとっておく。気に入らなければ捨てる。デジタルならでは自由自在の世界。自由な反面これって日本人の美徳を失わせたかもしれない。限られた資源の中で工夫を凝らすと言う発想に鈍化をもたらしたのかもしれない。
まあこれもデジタル文化かな。などと、どうでもいいことにあーだ、こーだとこねくり回す思考がそもそもおじさんなのかもしれない。

簡単にしかも自由に写真を撮れるのは楽しいものね。

やはり、フィルムの中身が見たくなってきた。
お化けの出現を覚悟で、近くにある現像無料のDPEに出してみようっと。